攻略作戦

 日清戦争の緒戦は日本軍の勝利で終わった。その報告を聞いた日本国民は歓喜の声を上げる。その中で、重苦しい空気を放っている場所が一つだけあった。


「……さて、どうするか」


 内閣総理大臣、香月壱心がやって来ている大本営だった。彼らは意気揚々と連日勝利の報告を行っていたのだが、壱心は口でこそ褒めるものの常にその先について考えているのでその空気を感じ取った報告側も現状に浮かれることが出来ない状況にされていたのだ。これが軍と政府……もとい、軍と元勲の関係となる。


「朝鮮政府より漢城を守ってほしいとの依頼か。それをやるには平壌で決戦をしろということになるが……陸軍は何と?」

「はッ! 現地では野津閣下以下、第五師団が先手を打ち平壌攻略の計画を立てております! 山縣閣下の承認が得られており、実行に移すとのこと!」

「そうか……ならいい」

「ありがとうございます!」


 見た目だけでは立場が完全に逆転しているように見える名のある士官が壱心に礼を述べる。壱心の今の一言はつまり、公としてのコメントだ。この意見は政府でも壱心が承認したものとして押し通すことが出来る。


「さて、調略の方は進んでるか?」

「……えぇ。清軍の統括をしている葉志趙を敗軍の将として貶める動きが強くなっています。何らかの手を打たねば清軍は瓦解するでしょう。特に左宝貴は葉の撤退案を聞いて憤然としており、完全に連携が絶たれております」


 次に話を振られたのは咲だった。この場に似つかわしくない美女の姿に一部より顰蹙を買っているのだが、壱心を前にして面と向かって異論を挟む者はいなかった。

 何より、彼女が実際に優秀であることを知っている面々だ。京都に行く時は彼女が経営する茶屋を避けて通るくらいには咲のことを理解している。

 そんな彼女に壱心は確認の意味を込めて尋ねた。


「左宝貴?」

「えぇ、清国の名将と言って差し支えないでしょう。が……それはある程度の規模に対して、そして自軍を率いる際についての評価ですね。今回の戦には不適です。何せ、中央の命で定められた総司令官の話を聞かずに投獄するのですから……」

「何と、敵軍は司令官不在で戦うと!?」

「その通りみたいだな……」


 驚く士官。この辺りは別に壱心の調略は本来必要ない部分である。壱心がやったのはその時期を少しだけ早める手伝いと、総司令官がいない中で誰が指揮を執るのかに当たっての仲間割れだ。それ以外は史実通り、清軍が勝手に自壊しているだけの話である。

 それは兎も角として、日本側が何をするべきか。それがここで話し合うべき内容になる。それを話す前に壱心は資料を準備した。


「で、攻めるに当たって平壌の城の図形がこれなんだが……」

「……ガトリング砲が配備されており、我が軍よりも敵の方が多く、音に聞こえた堅城ですか」


 精細な見取り図を前にしての驚きを呑み込みながらこの場にいる士官たちは論議を重ねる。ただ、壱心の顔色を窺いながらだ。その空気に壱心は少し思うところがあるが、話の内容自体は自分がいなくてもきちんと進んでいるので何も言わないことにしておく。一通り意見がまとまったところで彼らは壱心にそれを告げた。


「ここは現場の判断に委ねましょう。野津の作戦通り包囲完成を待ち、準備射撃による威圧。また敵の出撃を誘うための陽動を大同江側の堡塁の攻撃に出た後、包囲して全面攻撃かと」

「ふむ……まぁ、妥当なところだな」


 妥当どころか史実においてわずか二日で平壌を落とした戦法だ。壱心も特に異論はなかった。ただ一つ付け加えておくこととして壱心から質問が出る。


「それで、十分な補給は送っているな?」

「勿論です。閣下の指示通りに」

「そうか……」


(……なら、特に俺がここでするべきことはないな……)


「よし、ではこれでいいだろう。私はこれで失礼する」

「「はっ! 畏まりました!」」


 ようやく空気が弛緩する。壱心が去った後、しばらくは緊張からの緩和で賑やかになる大本営だが、その緩んだ空気も僅かなこと。彼らは壱心がいなくなった後も己が職務を全うすべく盛んに議論を開始するのだった。


 一方、大本営を後にした壱心と咲だが人目に付かないところまで移動するとそこから更に屋根の上などを移動し、足を早めて自宅へと向かう。そんな中で咲が苦言を呈した。


「……そろそろ年と身分相応の落ち着きを持ってもらいたいところですが」

「こっちの方が早いし、肉体的にも大して衰えていないんだ。何か問題が?」

「誰かに見られた時のいたたまれなさがあります」


 咲と実のない会話を続けながら移動した先。そこは壱心の東京の住まいだった。彼らが急いで移動して来たのはここにやって来ている鉄心との約束があったからだ。

 時は既に日清戦争開始の1894年。鉄心も既に15歳を迎えようとしていた。そんな鉄心は戊辰戦争に始まる父の活躍を聞いて進路を決めたというのだ。当然、壱心の戦時の活躍を聞いて決めたということは彼の目標は立派な軍人。今から士官学校に通うことを目指していた。


(……止めたいんだが)


 そんな息子に対して壱心は彼を止めたかった。理由は簡単だ。そのまま進めば彼は日露戦争時に前線で指揮を執ることになる可能性が高いからだ。


(国のために邪魔な者を暗殺し、友誼を共にした者、果ては父と弟まで犠牲にした人間が何を、と言われるかもしれないが……止められるのであれば止めたい……)


 一度入ってしまえば壱心が口を出すのが難しくなる。彼が注文をつければ間違いなく鉄心は安全なところに配属されることだろう。仮に、何もしなくとも忖度される可能性だって高い。

 だが、壱心が内実はどうであれ公明正大に事を運んでいるとしている以上、悪意を持った人間が何かするという可能性はないわけではないのだ。


「……香月壱心も人の子、というわけですね」

「ふん……」


 壱心の急ぐ様を見て咲がそう告げる。壱心はそれに対して何も答えずに先を急ぐ。自宅に着いたのはそこから一刻もしない後だった。


「戻った。鉄心はいるか?」

「お帰りなさいませ。鉄心ですね。連れて来ます」

「奥の間に通してくれ」

「はい」


 出迎えた宇美にそう指示を出すと壱心は先に奥の間へ移動する。今でいう応接室に近い内装のそこは四人までの会議室の様な場所だ。そこに壱心が入ると間もなくして鉄心も入って来る。


「父上、どうかなさいましたか」

「あぁ。鉄心、お前士官学校に入りたいらしいが……」

「そうです。その為に勉強しております」

「……どうしても入りたいのか? 別の道も色々とあると思うが……」


 何となく困ったように話してしまう壱心。正直、何を今更子どもの人生に口出ししているんだという感がぬぐえないのだ。


「ええ、父上のように立派な軍人になりたいと思います」

「……俺は別に軍人というわけじゃない。戦いは、必要だったからやっただけだ」

「でしたら僕も同じです。今、清国と戦争をしているように、この先も日本は多くの敵国と戦うことになると思います。その時、この国を守るために必要なことを為す。そのために軍人となりたいと思っています」

「……そうか」


(そうかじゃない。これじゃただ決意表明を聞いただけじゃないか……)


 何とも言えない気分の壱心。鉄心が言っていることは自分が軍隊マニュアル的なものがないと知った時に心得として書いた内容だった。徴兵令を出して戦いたくない民衆に言い聞かせている内容を戦おうとしている我が子可愛さにひっくり返すのは流石に躊躇われる。


 そんな壱心の内心を知らずに鉄心は恐る恐る尋ねて来る。


「それで、どうでしょうか……?」

「……俺としてはこの国のために戦うというのであれば外交官となってほしいが」

「外交官?」

「戦争は外交の延長だ。話し合いが決裂した時の最終手段なんだ。戦争をする前提で話を進めるのではなく、話し合って回避できればそれに越したことはない。そのため、万が一に備えるのではなく万が一を起こさないために活躍してほしい。そう言う意味だ」


 どうだろうか。そんな気持ちで壱心は鉄心を見やる。すると彼は明るく頷いた。


「そうですね。そう言った話も士官学校では勉強できると聞いています」

「そうだったな……」


(俺と大野でそうしたんだった……)


 後世で現場主義に傾き過ぎないために壱心たちが取った政策だった。まさか自分が取った政策のことを忘れているわけがないだろうという純粋な瞳で鉄心は壱心に告げる。


「ということは……しっかり勉強して来いということでいいのでしょうか?」

「…………まぁ、無理はするな」

「! 頑張ります!」


 喜ぶ鉄心。壱心は家庭のことは仕事と違って上手く行かないな……と、どこか諦念めいた目をして亜美たちに鉄心の希望を叶えるように告げるのだった。



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