歩む道

 1879年秋、亜美は無事に出産を終えた。色々と不思議な出来事は起こったが、事前に雷山で話を受けていた亜美は大した動揺もなく我が子を抱き上げ、男の子の名を呼んだ。


「鉄心」と。


 壱心は自分の名前に文字が被ることをやや嫌がったが、最後は亜美の意見に押し通されて自説を曲げた。亜美は自分の子どもが強く育つようにと慈愛を注ぎながら日々を過ごしていく。

 さて、そんな日々で一番喜んだのは何を隠そう古賀勝俊、その人だった。実の親を超越した溺愛ぶりで鉄心のことを褒め称え、生まれる前から用意していた様々な

玩具を駆使して機嫌を取る日々。亜美が嫌がるほどだった。しかもそう言った場合に限り、彼は姐さんを守る舎弟の如く忠実な番犬となる。だからこそ、質が悪いとは亜美の話。ただ、便利ではあった。顔が恐いので懐くことはなかったが、赤子も顔を覚えたようだ。内務卿の任務を一時的に終え、福岡に戻って来た壱心の目の前で鉄心を抱き上げた時、嫌そうだが泣かれなかった日……古賀は一人で泣いた。


 そんな男の奮闘もあって福岡の香月邸は思いの外暇になった。そうなれば考えるのが人間だ。亜美が壱心の子を産んだことによってこの家のバランスにも否が応でも変化が生まれている。


(……ここまでリリィが妙なことになっているとは思ってなかった……宇美が色々と言ってはいたが、冗談とばかり)


 現在、その変化の真只中にいる男はどこか他人事のようにそう考えていた。因みに彼は今、彼女が子どもの時にそうしていた様にリリアンを膝の上に座らせている。

 衆目の面前で、だ。既にリリアンも22歳を迎えようとしている淑女。しかも外国の血が故か、出るところは出ているメリハリのついた体型。壱心も何も思わない訳ではない。


「リリィ、ちょっと……」

「何ですか?」

「……降りろ」


 きょとんとした顔に少し視線をずらしてぶっきらぼうに告げる壱心。微妙にバツが悪いのは壱心の方だった。それはそうだろう。幕末以来、十年以上にわたって家族と思っていた相手に対し、急に子どもを作ったと言ったのだから。その話を聞いたリリアンの顔を壱心はしばらく夢に見るくらいに酷い顔をしていた。

 涙を流し、その上で彼女は壱心と亜美を祝福してくれたのだ。そんな相手を邪険にすることは少なくとも壱心には無理だった。

 そしてその後は時間と宇美、ついでに利三辺りが何とか……そう思いつつ内務卿の仕事もあるということで距離を置いていたのだが戻ってきたらこの有様だった。何かを覚悟している顔で、今まで以上に接近して来たのだ。


「お疲れになられたのでしょうか。それには気付かずご迷惑を……お休みになりますか?」

「いや、話があるから集めたんだが……このままだと話し辛い上にはしたないだろ」

「……畏まりました」


 何か含みのある表情で素直に降りたリリアン。これでようやく話が進められる……壱心はそう考え、これまで色々な感情を視線でこちらに伝えていた彼女たちに視線を返す。


「さて……全員が集まったところで本題に移らせてもらう」

「今のは「口止め料は払う」ならいいです」

「え~! じゃあ、私はぱふぇってのを食べてみたいです!」

「分かったから話を進ませてくれ」


 それぞれ買収に成功した壱心は改めてこの場にいる面々……咲、宇美、リリアン、そして桜を見渡して小さな試験管を目の前に置いた。


「……皆にはこれを飲んでもらいたい」

「何ですかぁ?」


 アンプルを遠目に見ながら宇美はそう尋ねる。すると壱心は厳かに告げた。


「遅老薬……俺や亜美が治療後に若返り、年を取らなくなった。それに似た効果を出す薬だ」

「……ここにいる面々という割には一つ足りていませんが」

「桜は既に別件で不老に近い。咲、横井先生の話の時……お前もいただろう?」

「……あの話ですか」


 僅かに不快感を滲ませて咲は話を理解する。非現実的ファンタジーな話はあまり好きではないのだ。


「荒唐無稽な話だ。俺からも説明は出来ない。薬の効果が完全に切れるまで半世紀近くあるという……その間、不自由することになるだろう。だから、命令という形ではなく、頼ませてもらう。俺の方で出来る限りの便宜は図らせて貰う。だから、頼む」

「それだけでは説明が不十分です。せめて薬の効果と飲んだ場合の情報をください」

「……桜」

「はい」


 ファンタジー餅屋ファンタジーな存在にとばかり壱心は桜に説明を任せた。

 桜の説明ではこの薬は氣を解放した者にしか飲むことは出来ず、その効能として、使用して若返った後十年はほぼ不老。その後、二十年間は常人の三分の一で老化が進行し、そこから十年は常人の半分。そして残りの十年が常人の三分の二の老化の進行速度となる。また、精神はその時の肉体年齢に寄せられるという。


「……つまり、三十年後には使用後より七歳加齢し、四十年後には十二歳プラス。そして使用後五十年の月日を生きても十九歳の加齢……常人の半分に満たない加齢で済むという話でございます」

「そうですか。では、私はもう決めましたのでお二人からどうぞ」


 咲はそう言ってリリアンと宇美に目を向ける。まず口を開いたのはリリアンの方だった。


「壱心様、飲む前に条件があります」

「言ってくれ。出来る限りのことはする」

「では……わ、私を妾にしてください……!」


 言った。言ってやったぞ。そんな空気を出しながらリリアンは壱心を見上げる。彼は思っていたのとなんか違う反応に困っていた。そんな空気を感じ取ったのか彼女は矢継ぎ早に続けた。


「あの、その薬を飲むと他の人とは違って、普通じゃなくなるので、同じ人と家族にならないとダメだと思います。それを分かってて飲ませるんですから、責任は……その、取ってもらいたい、です」

「……そこまで分かっているのであればもっと欲を出したらどうだ?」

「あ……赤ちゃんが欲しいです……!」


 そういう話じゃなくて……壱心はそう思ったが、目の前の少女にとってはそれが一番大事なことらしい。壱心は理解していなかったのだ。見た目が異なる国で一人生活する彼女の重圧、そして乙女心というものを。


「壱心様、ここは証文を認めて約束してあげてください。彼女が納得いく文面と、ご自身が納得できる内容で」

「……あぁ分かった。では、家族として一生面倒を看る」

「Yeah! やりました……」


 安心したように体から力を抜くリリアン。宇美がよかったねと彼女を抱きしめるが壱心は次のことを考えていた。


「それで、宇美は……」

「え~? 別にいいですけど、確認です。それ飲んでも死にたいと思ったら死ねるんですよね?」

「……えぇ」

「だったらいいですよ~! リリィちゃんと同じ内容で飲んじゃいまーす!」


 軽く見えて一瞬狂気の深淵を覗かせた宇美。しかし、これ以上彼女は何かを告げるつもりもないようだ。リリアンとの話に夢中になっている。


 残されたのは咲。彼女は静かに、しかし強い口調で告げた。


「お断りいたします。氣の解放は致しましたが私は人間として生きて人間として死ぬつもりですので」

「……薬を飲んだからと言って人間を止める訳ではないが、やはり難しいか」

「そうですね。これは個人の考えですから。金銭での説得には応じません。それに私は彼女の様には壱心様に懸想している訳でもないのでその方面での説得も無理ですね。強いて言うのであればそこの澄ました顔をした方が土下座する……」


 のであれば少しは考える。咲はそう続けようとしたのだが、それよりも先に桜は額を畳につけていた。


「な……」

「伏してお願い申し上げます。どうか、この薬を……」

「……私は考えると言おうとしたつもりなんですが。逆に胡散臭いですので絶対に嫌ですね」


 桜は頭を下げたまま続ける。


「考えると言ってくださるのでしたらそのままお願いいたします。どうか、考える事だけでもしてください。その為の材料でしたら、幾らでもあります」

「……材料、ですか。そうですね、このままではあまりに考える材料が少ないですからね」

「桜、そんなものがあるんだったら先に俺に言っておいてくれ」


 壱心も知らぬ話。しかし、桜は顔を上げてゆっくり首を横に振った。


「いいえ、壱心様には出来ません。考える材料というのは弥子様との面談です」

「……あの御仁か。会えるのか?」


 苦い顔をする壱心。桜は首肯した。


「えぇ、横井様から話を聞いている彼女であれば可能性はあります」

「……わかった。くれぐれも粗相のないように頼む」


 頭越しに会話を続けられた咲は少し思うところはあったが、自身が嫌いな非現実的な世界の大元になる存在という者に興味がないわけではなかった。そのため、桜の提案を受けることにしたのだった。




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