1879年夏

 明治12年、1879年。


 前年に紀尾井坂での大久保の暗殺を防いだ壱心は史実の内容に様々な要綱を詰め込み、ついでに基礎学力として教育内容……特に理系科目を未来の知識を少しだけ入れた内容で授業を進めるように検閲した上で教育令を発布し、国内環境の整備を行っていた。


 そして、外交問題としても大きな問題を片付けようとしていた。それが琉球王国の帰属問題だ。


 1872年に琉球藩の設置、1871年の琉球漂流民殺害事件、1874年の台湾出兵という流れで清国は琉球を日本領土として認めるという流れになっていたが、実際に日本が琉球を沖縄として併合したのは1879年のことになる。これは清国への貢ぎ物などに様々な利権が絡んでおり、琉球内に抵抗する勢力があったからだ。

 史実では台湾出兵後に出した方針に何の対応もしない琉球側に業を煮やした日本が武力行使を厭わない立場を取り、交渉したことで第二次琉球処分は実現した。

 この話は本世界線でもその流れは変わらない。藩王である尚泰を逮捕し、東京へと送ることで琉球王国は終わり、沖縄としての道を歩み始める。利権を失った一部の元支配者層は清国へと亡命する者が後を絶たなかったが、元々重税を課せられていた民たちは王朝の廃止にそこまで忌避感を抱かなかったという。

 そして沖縄となった琉球では琉球王国の復活を求め、日本に反発する勢力である頑固党と日本の支配を認めるの開化党が誕生しその争いは日清戦争まで続くことになる。


 ……国内向けの話はこんなところだろうか。だが、東アジアを渡り歩き、アジアにおける日本のイニシアチブの獲得を目指すために活動している大陸浪人たちから得られた話はもう少し色が違っていた。


 まず、第二次琉球処分問題で日本が列強と共に清国の属国を切り崩したのを受けて朝鮮の外交に激震が走る。日本の朝鮮進出と属国の消滅を警戒した清国が日本だけに列強の味方を与えるのはマズいとして朝鮮に列強との間に条約を締結し、国交を結ぶように促し始めたのだ。

 華夷秩序を国是として動いていた朝鮮は開国が既定路線となり、これまでの貿易拒否体制から一転して開国に向けて動き始める。少し先の話になるが、1882年には米朝修好通商条約調印を始めとする条約を締結し、同様の内容で英独とも条約締結を実行することになる。


 ここに朝鮮半島を間として清国と日本のにらみ合いが始まったのだ。また、この時点では清国は琉球のことを諦めてはいない。事実上、1874年の時点で琉球を日本の領土として認めはしたが1879年の第二次琉球処分に伴う清国への朝貢の廃止には強い抗議をしており、出兵も辞さない覚悟だ。これを抑える形で、翌年にはアメリカ元大統領ユリシーズ・グラントが仲介の下で北京にて日清の交渉が行われる予定となっている。

 この流れで壱心は史実と同様に清国とロシアとの領土問題を念頭に置かせた上で日清修好条規を期限内改正し、日本でも最恵国待遇を得られるように進めるように命じた。琉球に重きを置かず、外交カードの一つとして琉球を切らせるように言っておいたのだ。そのため、琉球は元来日本に属するものであるとしつつも先島諸島を割譲し清領とする事を提案する予定となっている。

 ただし、清国がそれを受け入れるとは到底思っていないが。彼らは琉球圏全域の復興を目論んでいることは明らかであって清側が調印しないのは目に見えていた。

 そして同様に日本……とりわけ未来の日本地図の形を知っている壱心も沖縄を割譲する気はさらさらなかった。ただ単にこの件に関して壱心は完全に史実を踏襲して事を運ぼうとしてるだけだ。いくら日本国内を自分が変えたといえども諸外国はそれを知る由もない。自らに都合が良い形で話が進むのであればその通りに進ませる。ただそれだけの話だ。


 公務ではそんなことを一所懸命に進めていた壱心だが、最近は個人的にも色々なことが起きていた。


「壱心、聞いたぞ! ようやくか!」

「……ありがとよ」


 笑顔で東京での壱心の住まいを訪れたのは安川新兵衛。最近、西南戦争での功を理由に中将になりかけたが、その座を蹴って自由民権運動に身を投じている壱心の親友だ。彼は土産として干しアワビを片手に壱心の下を訪れていた。

 対する壱心の心中は微妙なところだ。何せ、壱心が内務卿になってから新兵衛は在野に下ったのだから。だが、別に壱心に対する恨みで在野に下ったのではなく、外からこの国を支えたいと事前に話があったので何とも言えない。


 そんな壱心の心中を察してか知らずかは不明だが興奮している安川は壱心に続けて尋ねる。


「で、いつ生まれそうなんだ?」

「後、二、三か月といったところらしい……」


 正確には41日後の21時頃らしい。しかし、そこまで分かっているのは気味が悪い上に情報源が秘匿されている相手からであるので壱心はその辺は濁した。


「そうかそうか!」


 壱心の内心はともかく、話を聞いて自分のことのように手を打って喜ぶ安川。彼がここに来たのは壱心と亜美の間に子が出来たという話を聞いての事だった。干しアワビを持って来たのも妊娠中にアワビを食べると生まれた子の目が綺麗になるという言い伝えからだ。


「よかったなぁ! 俺はもう心配で心配で……」

「何でお前がそんなに心配するんだ……まぁ、ありがとうよ」

「で、亜美さんはどこに? 本当は妻が話したがっていたんだが、ここは警備が厳重だからな。代わりにウチの妻とかから聞いた出産の心構えみたいなもんをまとめて持って来たんだが……」


 メモ紙の様な物を見せながらマメな男はそう告げる。壱心はその心配りに驚きながらも頭を下げた。


「……お前、本当にいい奴だな。ありがとよ。ただ、悪いが亜美は福岡でここより厳重警備されてるよ。手紙で送るからくれ」

「そうか! だったら多少下世話な話も出来るな」

「は?」


 壱死因が呆気にとられた次の瞬間、安川は爆弾を投下して来た。


「で、次は誰だ? ここに残ってるし、咲さんか?」

「……いや、何言ってんだお前」

「決まってんだろ? 次の子どもの話だよ。あーあ、羨ましいね。金髪のあの子とそのお付き、亜美さんに咲さん、より取り見取りだな」

「色々言いたいことはあるが、妻含めて愛人が三人いる一夫一妻制反対者は言う事が違うな。亜美にいいことを伝えてくれた礼にこちらも訪問させてくれるか?」


 愛人の子ども含めて既に三人の子どもがいる友人に壱心は半笑いでそう応じた。

彼は東京がまだ江戸だったころから遊びに本気になったりしており、ペニシリンにお世話になったことも何度もある。因みに戦場での傷はなく、全て寝室にて行われる夜戦の後始末だ。これによって助けられた愛人が一人いる。時は明治初期。妾の制度は健在の時期だ。一応、来年の刑法には妾の文字が消えることになっており、政府内でも一夫一妻制が進められていくことになるが正式にそれが定まるのは明治三十一年のこと。今の感覚としては安川の言い分の方が正しい。そのため、安川は壱心の反撃に待ったをかけた。


「おいおい、相変わらずこっちの冗談は通じねぇな。それにその言い方じゃお前は一夫一妻制に賛成するのか? 金髪のお嬢ちゃんが泣きそうだ」


 そこを衝かれると壱心も困る。亜美の妊娠が発覚した頃から圧が凄いのだ。最近は壱心が福岡に戻ると鰻の蒸籠せいろ蒸しが毎回一度は食卓に上がるし、宇美も何やらリリアンに利三を絡めた意味深な発言を繰り返す。そんなことを思い出していると壱心も何やら疲れて来た。


 そういうことで目の前の相手で鬱憤晴らしをすることにする。


「……はぁ。お前が冗談が通じないと思うならそうなるんだろうな。今からお前の家に行こう」

「待った待った。通じる通じる。冗談で済まそうぜ? 全員を相手にしてたら持たないって」

「全員を相手? それだけで話が済めばいいな……調べはついてるんだぞ? 中州をご利用いただきありがとうございますってのはな」


 壱心の胡散臭い爽やかな笑み。その発言にすぐにピンときた安川は席を立った。


「待て。客の情報を売り飛ばす気か! 言いふらすぞ!」

「言えるもんなら言ってみろ。情けねぇ亭主だと思われるだけだ」

「汚ぇぞ」

「なぁに、冗談だ冗談……お前がそう思ってくれるのなら、だけどな」


 こんな感じで碌でもない憂さ晴らしを行い、壱心は今日もまた難しい難題に取り組みを続けるのだった。



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