遺言

 横井に呼ばれた壱心と桜の両名はすぐに護衛役として咲を伴い横井の屋敷を訪問した。そして、彼らはすぐに横井の部屋に案内される。三人の前に現れたのは平時と変わらぬ横井小楠の姿だった。


「よく、来てくれた。これだけは死ぬ前に伝えておきたかった……」


 様々な思いが胸中にあるのだろう。挨拶もそこそこに横井はしばし瞑目してから壱心のことを見やる。そんな彼を前に思っていたよりかは元気そうだと思った壱心は一言告げる。


「先生、死ぬなんて仰られずに」

「いや、君たちに話をするために妖の薬を飲んだ。これが最期になるだろう」


 桜の方を見てそう告げる横井。彼はこの場にいる面々の顔を見て何かに納得するように頷いてから言った。


「まず、香月殿には謝りたい。何も言わず、国守桜を預けたことを」

「何を仰りますか。桜には随分と助けられて……」

「終わりよければ、というがあの時点では不審な点ばかりだっただろう。特に咲殿には迷惑をかけた」


 視線と水を向けられて否定も肯定もしない咲。その行為が肯定の意を示しているのだが、実際に迷惑を掛けられた側であるため敢えてのことだ。そのことを理解し、明治二年の彼女との初邂逅を思い出し、苦笑しつつ横井は切り出す。


「さて……どこから話したものか悩むのだが、話しておくべきこととして私が言う妖の存在について。これは言っておくべきことだと思う」

「妖、ですか」


 壱心が合の手を入れると横井は頷いた。


「そうだ。何とも美しい、天女の様な妖と得も言われぬ程不気味な、悪鬼の如き妖の争い……あれが私の晩節を狂わせた。桜、お前も知ってのことだ」


 桜は何も言わずに頷いた。その目は険しく、ついに語るのか。そんな思いを雄弁に宿している。そして彼女は横井が話す前にその花唇を開く。


「壱心様……これまで黙っておりました私の出自について、そして訊かずにいてくださった悪坊主様と私の関係について、横井様より説明があります」

「……やはり、か」


 桜の言葉に思わずそう漏らす壱心。木の精霊と仙人。何らかの関係がありそうだとは思っていたのだ。寧ろ、何の関係もないのであればこの世界はファンタジーが豊富過ぎて困っていたところだ。

 しかし、事情を知らない横井は少しだけ驚いた表情になる。


「やはり、香月殿もあの妖と……?」

「……命を拾われました」

「それは、いつ……」

「……私の暗殺未遂事件があった頃ですよ。秋月の乱の前後」


 あまり思い出したくない記憶を探る壱心。しかし、この場では言わざるを得ないことだろう。横井は知っているのであれば話は早いとばかりに頷いた。その表情にはわずかながら笑みすら浮かべている。


「あの妖たちは突然この世界に現れた。そして現れるや否や仲違いを始めたのだ。何でも、奴らは未来の存在で男はこの時代に来るつもりはなく、女は男を何かしらで止めたいと考えていたようでな……荒唐無稽な話だが、真実だ」

「……その辺りについては、彼らとの話の間に察しております」

「そうか……では、もう一つの前提だ。奴らが言う歴史の収束力については?」

「存じません」


 ではそこから話そう。そう告げる横井に壱心は内心で驚きを隠せなかった。横井の頭脳は壱心の驚きに値すべきだった。壱心はこの時代の人間にタイムスリップの概念が分かるとは思っていなかったのだ。


「奴らが言う歴史の収束力は……言うなれば、途中経過が違おうとも結果は同じになるという話のようだ。例えば香月殿が空腹になったとして、蕎麦を食べるか饂飩を食べるかを選んだとする。どちらを食べた方がいいか、それは分からん。だが君の空腹という事象は蕎麦と饂飩という広がりを見せ、どちらかを食べることによって収束する。この一連の流れの規模を大きくした話となる」

「……そうですね。ただ、それを選んだことで次の選択に影響が出るのは……」


 歴史の連続性について論じようとする壱心。だが、横井はそれを遮った。


「そうだ。当事者はその中身が気になって然るべきだ。だが、奴らからすればそれはどうでもいいことだ。奴にとって大事なのは空腹が収まったという結果。君が美味い蕎麦を食おうとも泥水を流し込まれようとも奴等には関係のない話。奴らは……いや、あの男は歴史において空腹ではなくなったという結果だけを求めているんだ」


 何とも忌々しげに話す横井。壱心は何も言わなかった。代わりに横井は続ける。


「……今のは例だ。実際はそんな生易しいものではない。あの男はどうやったかは知らぬが、一通り天女との争いを済ませるとこの国の状況を探ったようだ。そして何やら死人が少ないと言い始めた。天女は止めていたがあの男はそんな彼女を踏みつけながら歴史を修正し、元の場所に帰ろうとしていた。死人が少ないことを修正する、つまりはそういうことだろう」

「……放っておけば災厄になるというわけですか」


 壱心の一言に横井は首肯する。


「そうだ。だが、神は我々を見捨てなかった。男が死を齎す存在だとすればあの女はこの国を守る為の存在なのだろう。二人が消えた後、彼女が血を流した場所から桜が咲いたのだ」


 そこで横井の視線は桜に向かう。まさか、そんな安直な。そう思いながら壱心は彼の言葉を引き継いだ。


「ここにいる桜は……」

「そう。その木の化身だ。この国を守る為に咲いた桜。それが彼女だ」


 桜は何も言わずにただ少しだけ壱心に微笑んで見せた。それだけでは何も読み取れない笑みだ。


「かの天女は悪を自称する男に対し、その行いを止めると宣言し涙を流した。それにより若い桜が一気に成長し、彼女になった」

「……先生、その先は私が」


 桜が口を挟もうとする。だが、それを手で制して横井は続けた。


「待て、お前からの話は別の機会でもできることだ。今は私の話をさせろ。あまり時間がない」

「畏まりました」


 「続けるぞ」そう言って横井は自らの語りを再開する。


「あの男は天女と桜を見て嘲笑し『止められるものなら止めてみろ』と告げると次に隠れて成り行きを見ていた私の存在を言い当て、取引を持ち掛けて来た。勿論、私は受ける気などなかったが……それは取引というには一方的な持ちかけだった。奴は一度私を殺した上で訊いて来たのだ」

「殺した上で……?」


 今、目の前にいる横井は生きているではないか。氣を辿れる咲が思わずそう呟くと彼は耳聡くそれを聞いて告げた。


「そう。確実に首を落とされた。理解するより前に目が自分の身体を視認し、脳に伝達したのだよ……だが、次の瞬間には頭は首の上に戻されていた。血がしたたり落ちる中でな。酷く苦しかったよ。血が足りないというのは」


 まるで他人事のように告げる横井だが、幾分か顔色が悪くなっていた。あまり無理はしない方がいいと壱心は言うが、彼は首を横に振って続ける。


「そして奴は言ったんだ。生きて、死の間際に誰かに今見たことを警告できる未来を選ぶか、ここで何も出来ずに死ぬか……選択の余地などありはしなかったよ」

「そうでしょうね……」


(何でこの人たちはこんな現実味のない話をそこまで真剣に語れるのだろう……)


 この場にいる咲だけがそう思いながら重い顔持ちで話を続ける一行を見渡す。壱心は横井や桜と面識のある咲を連れて来たが失敗だったか、そう思いながらも不意にあることを考えた。


(俺の方の雷雲仙人との取引、不老の妙薬はまだ誰にも渡してないがどうするか……死にそうにない三人……亜美、俺は既に手術を受けているから除外。桜も今の話を聞く限り除外でいいだろう。後は……と、いかんいかん。今は横井先生の話を聞くべき時間……)


 その時だった。急に横井は喀血した。そこからみるみる顔色が悪くなっていく。最初に彼がこの部屋に入ってきた時とは全く異なる土気色の顔になると横井は呻くように告げる。


「これが、奴の呪いだ……今際の時に、薬を飲み、誰か一人にのみあの男のことを話すことを許可する代わりにすぐに死に至るという……」


 病のせいで頭が働かず話が散らかってしまい悪かった。息も絶え絶えにそう告げる横井。だが、ふと笑みを浮かべると口の中で転がすように呟いた。


「ふっ、にしても……香月殿があの男のことを知っていてよかった。知らぬ者、一人にしか話せぬ条件が……かい、潜れたのだからな……」

「先生、無理をなさらず」

「ここで無理をせずしていつやるか……いいか、香月殿。今までの話、無駄なことも混ざってしまいました……が、これだけは……これだけは、爺の遺言として聞いてくだされ。くれぐれもあの男には気をつけて……」


 横井が意識を保てたのはそこまでだった。咲がこの場に横井家の女中を連れてきた時には既に彼の意識はなく……


 ……そしてそこから回復することはなく横井はそのまま天へと旅立った。





 

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