明治前期の政治
内務卿
1878年、香月壱心は内務卿に就任した。それに対する中央からの抵抗は殆どないと言ってよかった。それまで内務卿を務めていた木戸は療養に入り、彼の代わりとなりうる存在である大久保は明治政府と天皇制の一本化を目指して宮内卿に入ろうとしていたからだ。
(……内閣制が成立するまでの間、この国じゃ内務卿が実質的な総理大臣なんだよな。来るところまで来てしまったというか……)
成り行きで来るにしてはとんでもない場所にまで到達してしまっていた壱心。だがやるからにはしっかりとやる。それが彼の流儀だ。彼はこれからすべきことを整理する。
「……取り敢えず、やることは決まってるな。治安維持だ……っと、その前にやっておくべきことがあるな」
関ヶ原以降の最大の戦いを完勝した新政府。これにより不平士族たちは武力交渉では自らの要求を通すことが出来ないことを悟り、その動きは小さくなった。これまでのように大規模な活動は出来なくなり、ある程度の治安は保てるだろう。
しかし、内政に不満を持つ者がいなくなった訳ではない。今後も不平士族たちは様々な形で動いていき世を乱す。例えば史実で例を挙げるとすれば1878年の紀尾井坂の変。大久保利通が不平士族によって暗殺される事件がある。大規模に動かない代わりに水面下で動く。そう言った不平士族の動きがみられるようになってくるのが今の時代だ。こう言った物を取り締まる必要があり、それをやるのが壱心の仕事というわけだ。
因みに紀尾井坂の変については事前に準備をしている計画殺人であり、後の時代に実行者たちの名前が割れていることから壱心は既に動くことが出来ていた。壱心が今考えているのはどう止めるのか、だ。
(……止めるのは決めてるが恩を売るべきか否か……現時点で既に方々に売り過ぎてるからこれ以上売ってもな……)
碌でもない考えを抱きながらどうするか考える壱心。止めるのは決定事項であってもどう止めるのかが問題となって来る。これまで
(……事前に止めるか。正直、個別の暗殺事件に関わってる暇はない。大久保さんなら別に俺が動かなくても勝手に国のために尽くすだろうしな)
紀尾井坂の変については実行段階で止めに入ることにした壱心。その指令はすぐに東京の情報網を統括する恵美の手によって香月組の手の者に届けられる。これでこの一件は片付くだろう。
「さて……今度こそ普通に治安維持についてだ。どこから手を付けたものか」
壱心はそう呟きつつ頭を悩ませる。治安が乱れている理由は簡単だ。経済不安。これに尽きる。日々の暮らしに不安を覚えていることがそのまま彼らを動かす原動力となり、国を脅かしている。これに対して壱心も何の手も打っていない訳ではない。勿論、色々と動いてはいるのだ。
(西南戦争で農村が厳しくなってることから地租は史実の2.5%に下げてある。地方制度改革として地方新三法の郡区町村編成法、府県会規則、地方税規則を作ることで緩和はしてあるが……中央の歳入が厳しいな。今後のために必要とはいえ……)
自分の前に内務卿がやって来たこと。そして自身が歴史を基に実施させたことを思いながら頭を悩ませる壱心。色々とやって入る。だが、経済問題ばっかりはどうにもならないのだ。まず大きな問題がインフレ。歳入と歳出の不均衡に伴い、不換紙幣が増発されていること。また、軍事品や工業機械を海外から輸入するがそれによる金銀の流出が止まらない。この二つが生み出すインフレに農業改革などが追いつかない。
去年、国内産業を刺激するために内国勧業博覧会があり、福岡からも早良製糸場の器械の他、八反取りや田打車、後は養蚕の方に関する物を持って来させて各方面に売りが立ったが、焼け石に水。まだ足りていない。
……因みに本題から外れるが壱心の指示で利三がその年の内国勧業博覧会で最高賞を受賞した臥雲辰致のガラ紡を導入した紡績会社を始め、福岡の町に更なる発展を齎し、石炭運搬のために線路を引こうという話が持ち上がっていたりなどと一部の地域では経済的にも活気ある話題が生まれてはいる。
そんな一部の場所を盛り上げるだけでは済まない国全体の不況が今の壱心の悩みの種だ。
(あー……こりゃ木戸さんじゃなくても頭痛くなってくる。今にも目を向けないといけないし先も見通さないといけない。バランスがね……)
国内の活性化は確実に行われているがまだ厳しい現実が目の前にある。その上、海外にも目を向けなければならないのだ。来年には第二次琉球処分が待ち構えているのだ。
(……先のことばかり考えているとやってられんな。今は目の前のことに対応しつつどうしても避けられないことだけ先に手を打つか……ノートはどこだ?)
取り敢えず、今後起きるであろう問題についてこの世界に来たばかりの頃に書き上げたノートを見る壱心。取り敢えず、来年には他人事にしている琉球処分が行われる方向で話が進んでいる。ついでにコレラが流行している問題もある。
(……そう言えば、死にかけて治療を受けてからというもののこれまで一度も体調不良になっていないのは……いや、健康なのはいい事だ。気にしないでいい……)
遠い目をする壱心。しかし、それでは仕事が終わらない。取り敢えず彼はコレラの流行に対して福岡で
(西洋医学者は兎も角、町中にいる医者には詳しい話はしたところで納得されないだろうから治療院に対処法を教えて薬として売った方がいいだろうな……)
上からの命令であればそうせざるを得ないだろうと見積もって壱心は適切な処理を認めておく。下水処理が未発達なこの時代において、予防は難しいため対症療法を実施するしかない。
(……取り敢えず、上下水道の整備も一気に進めて行かないとな。銀座大火で東京の一部には下水設備は出来たが……これらの流行を考えると史実より少し早めるか)
これから都市部に人が集まって来るのを考えると下水設備は疫病予防のためにも重要になって来る。壱心は下水設備を作るために公共投資を行うことにした。
(軍備に内政……いや、外交と経済と言い変えるべきか。もう二度と内務卿にはなるつもりはないが、その意思が強まったな。木戸さんの病状も少しは安定して来たと聞いてるし、早いところ撤退……)
執務をしながら余計なことを考えている壱心。そんなことを思考しながら教育令の改定に勤しんでいる彼の執務室の扉にノックがされた。その音から察するに非常に低い位置だ。
「桜か……どうぞ」
「失礼いたします」
入室して来たのは壱心の読み通り、桜だった。一見すれば幼子の様に見える彼女が壱心の執務室に入るのは当初こそ止められたりしてもめたが今となってはよく見たものだ。誰も止めることはない。既に顔パスでここまで通れるようになった彼女は難しい顔をして言った。
「壱心様、横井様の病態が思わしくないようです」
「何?」
桜から告げられたのはこの国で開国派の重鎮として貿易関係を行っていた男の危篤だった。しかも、壱心たちからすれば話はそこだけでは終わらない。明治二年の京の町からの付き合いであり、桜と壱心の間を取り持った人だ。
(確かに、今年で既に70歳。この時代にしては長生きした方と言えばそうだが……このタイミングか。これじゃ木戸さんの胃がまた痛くなる……)
苦い顔をする壱心。防衛省の大村に続いて再び大物が亡くなる可能性に思い至るとそうなるのも仕方のない事だった。そんな顔をしている彼に向かって桜は続ける。
「それで……どうしても私と壱心様にお話をしたいことがある、と」
「何のことだ? 教育関係か。それとも貿易か……」
横井の専門についてのことか。そう尋ねる壱心に対して桜は口を濁し、そして意を決したかのように告げた。
「……私と、悪坊主様のお話について、かと」
「……わかった。執務をキリのいいところまで片付けて今日中に出向こう」
何かがある。そう直感した壱心はそれを確かめるために桜に手伝ってもらい執務を急ぐのだった。
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