中洲川端

 カフェーを出た一行は次に食事処に移っていた。そこで出されるのは壱心が外国にあったと勝手に言ってそれを簡単に信用した料理人たちが壱心主導の下、苦心の末に作り出した品物が並ぶ店だ。

 要するに、未来の日本人がファミレスで注文するようなものを並べた店になる。カレーやオムライス、中華そばにパスタの類。ハンバーグにステーキや簡単なピザにドリア、うどんに日替わり定食などがメニューとして並ぶ中彼らは興味のままに酒を飲みつつ限界まで食事を行った。


「壱心くんも美食家じゃのぉ」

「地元の農家と北海道あってこそですよ。安価な小麦が入ってますからね」


 早良製糸場の蚕の死骸を利用した養鶏場で採れる卵や鶏、そして八反堀などの農具改善によって開墾が進んだことにより裏作の小麦も大量に入っている。

 また、北海道から入って来る乳製品や大量の小麦、それから甜菜糖による甘味も届けられており食事の幅が大いに広がりつつある。


「それにしてもカレーというものは美味しかったね。僕のカフェーで出したいな」

「……あれは香辛料が多く、薬種問屋に頼むことになると思います。高いので採算上、あまりお勧めはしませんが」

「へへへ、残念」

「代わりに肉じゃがやシチューというものでしたら……」


 食欲のままに歴史を改造している壱心。しかし、この件に関しては頑張っているのだからこれくらいの役得はあっていいものではないかと開き直っている。後ろめたさがないわけではないが、特許も取っていないし何とかなると高を括ったのだ。


 それは兎も角、彼らの行楽は終盤を迎え始める。向かうのは中州の中で飴を配っている場所。カフェーのようにおさわり・・・・で済まさずに最後まで行うのを売りとしている店が群なす場所だ。


「へへへ。さぁ、今日のお楽しみだよ。どこにしようか? 香月君が考えたらしい個室で湯女と遊ぶことを目的としつつ、柳町遊郭の『海原や』がそのまま移転したかのような濃厚な奉仕が期待できる『温水や』? それとも、礼儀作法を守り格式高い『桜桃楼』? はたまた色んな新体験を味わえる僕の店?」

「うぅむ、壱心くんが考えた店も気になるが花園さん、あんたの店はどうなっちょるんじゃ? 新体験とは……」

「へへぇ……面白いよぉ? 色んな関係で色んな場面を望み通りに体験出来る場所さ」


 要するに後で言うところのイメクラの様な物だろう。壱心はそう推測する。


(……隙が出来るから性行為はしたくないんだが……まぁ、いずれ避けては通れん道でもあるしいいか……)


 いい感じにアルコールが入っており、二人のペースに呑まれて警戒が薄れている壱心。このまま流れに乗ってその道に足を運ぶ……ところで、不意に背後に近づく気配を感じて足を止めた。


「……亜美か」


 現れた相手を見もせずに当てる壱心。それなりに酔っているとはいえ、これほどまでに接近されるまで気配に気付けないというのは彼の知る中で二人のみ。その内、該当者の一名である咲は現在、花園がいない内にと言って京都にいるはずだ。残された該当者は亜美だけになる。


 彼女はその場に現れると申し訳なさそうに頭を下げ、その場にいる二人に聞こえない声量で告げた。


「はい……大変申し訳ございませんが、財部様の」

「わかった」


 財部の名前が出るや否や既に連絡済みの出来事が早まったという態で進めることにした壱心。微妙に残念な気分にならなくもないが、彼は予定が早まったという話を二人に告げる。


「何じゃ、今からが面白いところじゃというのにのぉ……」

「運がなかったね」


 壱心と同様にアルコールで頭が回っていない上、気が急いている二人はそれ以上の追及をしない様だ。カフェーで散々焦らされたせいもあるだろう。二人は壱心がついて来ないと分かると彼を置いて夜の町へと消えていく。


「……すみません」

「お前は悪くないだろ」


(いえ、財部様から尾行してくるように言われて嫌な展開があったら自分の名前を出していいと言われてまして……)


 黒い内心でそう呟く亜美。恐るべしはその隠密能力だろう。彼女は既に壱心が想定している隠密能力を遥かに超えていた。正直に言えば、本気を出せば彼を暗殺することも容易いだろう。

 だが、その隠密行為をやってしまえば警戒される。そのことを財部に指摘されていた。そのため、亜美は細心の注意を払って警戒までには至らない範囲で済ませている。


「行こうか」

「はい」


 決して言えない思考をしつつ、亜美は壱心と共に予定の場所に向かう。周囲にはガス灯などにより煌びやかな町が演出されており、ちょっとしたデート気分だ。

 アルコールで少し陽気さを増している壱心と足取り軽く目的地まで向かう亜美。目的地はそう遠いところではなく、周囲の建物よりも少しだけ小さな小屋の様な場所だった。

 しかし、費用で言えば周囲の建物と変わらない。外見は赤レンガ造りで木製の扉をしたその小屋は防音設備を整えた環境になるのだ。少し段差のある入り口を超えて二人が中に入るとそこには福岡に居た香月組の面々が居た。


「あ、来た来た」

「……俺が一番最後か。遅れて悪いな……で、リリィはどうした? 不機嫌だが」

「……余計なにおいがいたしますので」


 利三に招かれて室内に入る壱心。その間に壱心はリリアンからの歓迎を受け、不機嫌になられるという理不尽を味わいつつ席に着く。そうしている間に亜美は楽屋の方に移動したらしい。


「うふふ……西洋の音楽と雅楽の融合ですか。楽しみですね」

「……そんな扱いになってるのか。亜美が連れて行った人数を考えると壇上が賑やかになりそうだが……取り敢えず、ことに和太鼓のセットかあれ」


 中州を築く上で集まって来た人の内、選抜した面々を考える壱心は箏と三味線が設置されている場所を見ながらそんなことを考えた。

 ついでに客席の様子を見ると周囲の香月組は近況を話しながら提供された飲食を楽しんでいるようだった。

 少々話をしに自分も混ざりに行くか。そう考えたところで壇上に人が現れる。最初に出て来たのは尺八や三味線を持った美女たち。

 そして次に出てきたのが狐の面を被ってたり、外は暑いというのに着込んでおり、何者かわからない状態。しかし彼女が現れるだけで何らかのオーラを感じ取ったのか周囲に静けさが波及する。

 続いて出てきたのが宇美だ。彼女は派手な洋服を着て楽しそうに客席……というよりリリアンに手を振ってドラムの席に着く。


 最後に出てきたのが亜美。さらりとした顔をしながら少しだけ衆目を気にしつつ進む少女の姿に香月組の一部はギャップを覚えた。そんな中、壱心だけは違うところに目が向かう。


(……ピンマイクにアルミのピック。欲しいなぁ、あの技術……)


 亜美のせっかくの晴れ姿にもかかわらず、アルコールが回っていても一人違うことを考える壱心。そんな彼と亜美の目が合う。すると亜美の方が切り出した。


「お集まりいただきありがとうございます。本日は中洲川端にて様々な開発が実を結んだことによる集会ですが、そこに音楽にて一花添えさせていただきたく思います。拙い演奏になりますがどうぞよろしくお願い致します」


 箏が鳴り始める。演奏が始まった。流麗な手さばきで静かに始まった演奏は接待漬けによってよい音楽を聴き慣れた香月組の面々でもかなりのものだと頷けるものだった。続いて和太鼓とベースが全く同時に演奏を始める。瞬間、食事をしていた人々の手が止まった。


(おぉ、あのベース……考えられるのはもう財部様しかいないなあれ……)


 激しい曲調。これまでの雅楽にはなかったタイプの音楽だ。そこに亜美のギターと声が加わる。それに伴って尺八や三味線が主張を開始し、音楽は爆発的に盛り上がった。


「凄い。こんな音楽の中でも亜美さんの声が聞こえます!」

「想いの力でしょうね、うふふ……」


(……これ、言ってもいい物だろうか? いや、面倒なことになるだろうし、何より壇上の目が怖い……しかし、精度いいなこのマイク……声がそのまま大きくなったかのようだ……)


 音楽は恋の歌だ。後世からすればチープなものかもしれないが珍しい音楽に負けないように大音量で歌ってを聞くとその思いの丈が……と、そこでふと壱心は周囲の視線に気付いた。


(……あぁ、これそういうことか……)


 ここにいる全員が亜美と壱心の関係を知っている。つまり、恋の歌はそういうことになる。気付いてしまえばそう言うものだ。歌詞が過激になればなる程、壱心は顔が赤くなり始める。


「……壱心様、顔が赤ぉございますよ?」

「アルコールが入ってるからな」


 音楽は一曲だけ。しかも、前半の客観的に聞けていた部分を聞く限りはいい曲だったが終わるまで気が気ではなかった。しかも大盛況ということで今後もこの音楽は流れ続けることになるとのことだ。


(こりゃ、あの冷めた仙人様は逃げる訳だ……だが、俺には……)


 財部の押しの強さを目の当たりにした壱心はそう思うと共に顔を真っ赤にして退場した亜美のことを思うのだった。






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