「……これが、ひこーきですか」

「そうだよ。詳しいことは教えられないけどね」


 壱心から許可を貰って加布里湾までやって来た亜美が見たのは思っていたのと違う乗り物だった。しかし、楽器の持ち運びを考えるとこちら方がいいかと考え直して彼女は飛行機に乗り込む。


「……凄い座り心地ですね。何ですかこれ?」

「詳しいことは教えられないって言った通り。空飛ぶからシートベルト……使い方わかんないか。えっと……」


 離陸準備を整えて彼女たちは大空へとはばたく。航路は福岡からアメリカ北西部の自然豊かな地域。誰かに飛行機なんてものを見られた日には口封じのために弥子が奔走しなければならないためそうなった。

 因みに現地に着いてからはこれまた原子力を超小型の動力として使用する自転車を使わせるつもりだという。偏執病パラノイアにでも陥ってそうな雰囲気だが、原子力が何かわからない亜美には何も言えなかった。


 そんなこんなでフライトしている彼女たちだが下が海しか見えなくなった頃。急に客室に放送が鳴り響く。


『後、8時間で着くよ。何かあったら嫌だし着くまで寝てて』

「え?」


 返事を待たずして室内に空気が漏れるような謎の音が聞こえる。その直後、亜美の視界は暗転した。


 そして次に亜美が目覚めた時から彼女の初めての欧米視察が始まるのだが、物騒な電動式自転車をすぐに乗りこなすための特訓の他、あまり本筋に関係のない音楽の話と聞いていて気分がよくなるわけでもない人種差別や女性差別の話となるため割愛させていただく。因みに、弥子が人里離れたところに着陸した飛行機から一切出て来ず、亜美一人での欧米旅行となったのが色々な問題を生んでいた。だが、彼女に出会った誰もが認める絶世の美少女である彼女が共に歩けば余計に目立ったはずであることは想像に難くないので亜美は何も言わなかった。

 それはさておき、首尾よく楽器を手に入れた亜美は弥子と共に日本に帰りつく。碌な目に遭わなかったし、自転車の様なナニカを盗難に遭いかけて相手が転んだから戻って来たと安堵した亜美が知らないところで原子力事故が起き掛けたりしていたが終わり良ければ総て良しの精神で帰国した亜美。


 しかし、それは始まりに過ぎない。


 そこから始まるのが猛特訓だ。先程もあった通り、弥子は人前に出る気がない。そのため、誰も扱い方を知らない舶来品の楽器をどう扱うのか、まず最初に亜美が全て覚えなければならないのだ。


「運指がバラバラだよ。もうちょっと頑張って」

「は、はい……」


 しかも教える側は非の打ち所がない天才だ。教科書を読んで覚えた通りにすれば出来たと宣う少女に亜美は何とも言えなかった。何を訊いてもそうあったからと答えられるので参考にすら出来ない。唯一参考に出来たのは彼女の楽器経験についてだ。彼女はあまり深くは語らなかったが、亜美の目標である悪坊主たちの心を動かすという点で大きな意味を持つことを教えてくれた。


「歌も踊りも悪坊主が教えてくれた。それで流行りの小悪魔を見て、楽器ができたら悪坊主に格好いいって思われるかなって頑張った」

「どうだったんですか?」

「……何か、小悪魔の曲を練習してたら本人たちが来て……お礼言ったら悪坊主の会社の依頼だって言われて、どういうことか確認したら小悪魔を結成したのが悪坊主だった。楽器と踊りも、発声方法すら全部悪坊主から教えてもらったんだって……」


 これを聞いた時点で亜美は音楽で悪坊主を感動させるのを諦めた。これが参考になった部分だ。亜美の目標は大きく、小悪魔を目指しているが実現できるとは思っていない。小悪魔に技術を教えた相手を感動させる程の技量まで自身が到達するとは到底思えないのだ。

 だが、亜美はそれでも音楽を続ける。仙人や天女を感動させられなくとも壱心であれば感動させられるかもしれないからだ。だから彼女は努力を重ねる。


「んー……手が痛そうだからギターはもう終りね。太鼓にしようか」

「は、はい」


 そんな亜美の頑張りに弥子も応じる。指先が痛めば腕や手首を使う動作をやってもらう。ドラム代わりとなっている小太鼓セットの前に座る亜美。こちらは亜美のお気に入りだった。理由は簡単なことで、こちらであれば使い方が分かる上、亜美には先天的にリズム感があり後天的に体力も与えられていたのである程度演奏ができるからだ。出来ないことを続けるよりもできることをやりながら上達を実感する方が楽しいに決まっている。

 そしてもう一つ。亜美がドラムをやる際は弥子がベースになるのだが、それに合わせて叩くと自分が上手になった気になれることも大きな理由だ。ただ、それを言うとリズムをベースに奪われたらダメだと弥子に怒られたのでもう言わないが。


「……じゃ、今日はここまでかな。もう帰って」

「ありがとうございました」


 一通りの楽器に触ったらその日のレッスンは終了だ。壱心としてはそんなことより渡されたピックの材料について一つでも聞いてくれればありがたいものだが……そう思いつつも現在は歓楽街を作っていること、相手の機嫌を損ねないこと。そして何より自身に合う娯楽が出来るので目を瞑っている。

 そして帰ってから亜美は楽器の量産に取り組み三味線業者や和太鼓職人、絡繰技師などの下を訪問しつつメンバーの募集のために中洲川端に流れて来た者や救貧院の中に才能が有り、見目麗しい人を探す。そんな日々を送っていた。




 そして時は流れて亜美の指が一通りコードを覚え、演奏らしきものが出来るようになる頃。西南戦争は佳境を迎えようとしていた。


 既に薩軍の最後の決戦である和田峠の戦いも過剰な戦力を投入している新政府軍の圧勝で終わり、薩軍は宮崎県の長井俵野に包囲されていた。そこで西郷は解軍の令を出す。


……我軍の窮迫、此に至る。今日の策は唯一死を奮つて決戦するにあるのみ。此際諸隊にして、降らんとするものは降り、死せんとするものは死し、士の卒となり、卒の士となる。唯其の欲する所に任ぜよ……


 西郷のこの宣言により、ここまで西郷に付き従った薩軍の中にも新政府軍に降伏する者が相次いで出ることになる。

 この解軍の令の後に残されたのは僅か800名ほど。しかし、彼らは既に生死を勘定の外に置いた精鋭。その事実を新政府軍は受け止めておりその危険指数はまだ衰えていないとして油断なく包囲を続け、彼らの突囲を許さないことを第一とする方針を打ち立てた。

 これにより、史実における可愛岳突破の公算が崩れる。この指示出したのは壱心だった。彼は臆病者と謗られようとも完全な勝利を目指すために攻勢に出るのではなく、ここで決着をつけるために徹底的な封じ込めを前線に義務付けたのだ。そのための費用の一部をこちらで負担することも検討するとまで言っての厳命は現場にいる諸将に強い印象を与えることに成功した。壱心がこう言ったのは当然、史実での相手の行動を踏まえた上でのことだった。しかし、何も知らない現場の諸将は自腹を切るほどに警戒しているという上の意向を前に強い責任感を覚えて長期戦の構えを取り相手の出方を探ることになった。

 これを受けて完全包囲の構えを見せる新政府軍。翌日の明朝、可愛岳に登り突破可能な場所を探るために警備の手薄な部分を探していた薩軍はその驕りのない防衛陣を見て愕然とした。そして斯くなる上はこの場にて華々しく散ることを武士の誇りとして最後の突撃を決行。前軍が玉砕したのを見届けて西郷は自刃。故郷の桜島を見ることなく逝ったとされる。

 最後が伝聞調なのは誰もその遺体を見ていないからだ。そのため西郷生存説が実しやかに噂されることになるのだが、彼に最後まで付き従った者はここで討死したこと。そして西郷がこの後表舞台に出て来なくなるのは事実だ。


 こうして長きにわたる戦いは歴史のターニングポイントとなり得る部分を尽く事前に潰され、徹底的な準備の前に大した見どころもないままに終結に向かう。

 この事実が近代戦では士族という存在のみで実行することは出来ず、不平士族が立ち上がろうとも新政府をひっくり返すことは出来ないという現実を突きつけることになるのだった。

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