四殖公
さて、以前に香月壱心が福岡県令に就任した際に後に彼が呼ばれることになる名を一つ紹介させていただいた。
その名は三殖公。紡織、就職、美食の基礎を作ったことに加えて死者の上に立つ者としての名として様々な意味を込められた名だった。
だが、その名は長くは続かない。それを塗り替える名前が付くからだ。
その名こそが
この話はそんな彼が福岡の町から離れることになるまでの最後の仕事、女色の町を作るまでの残された時間について触りだけ記すことになる。
話は城東会戦から数日が過ぎた頃、戦で九州の男衆が死に、労働力不足と貧困層の流入に壱心が悩んでいる時に戻る。西南戦争が終わり次第中央に飛ぶことが決定している壱心は薩軍の最後の抵抗を横目で見ながら福岡の一層の発展のために働いていた。
具体的には現在の福岡の遊郭……西南戦争の福岡の変で被害を被った柳町遊郭の女衒と新たな町作りについての話し合いだ。
「……仰ることは分かりました。ですが、それでしたら柳町の復興と更なる発展のために元の地に色々とお造りになられた方がよろしいと我々は思いますが」
「今回の一件はあくまで貧困層の救済であって町の発展は二次的な作用に過ぎない。そのため、仕組みから全く異なるものになる」
壱心の相手は柳町遊郭に資金とコネを引っ張りたい女衒の主だ。彼は何だかんだ言いながらも既存の遊郭を別の場所でも広げて歓楽街と呼ぶとしか考えておらず壱心の仕組みが異なるという話を聞いて首を傾げた。
「具体的には?」
「遊郭の様に長時間の拘束はなく、住居の自由を認める。また、給金は歩合にする代わりに出勤時の食事は簡素ながらこちらで持つ」
無茶なことを言っている。話を持ち掛けられた柳町遊郭の女衒の主である村井はそう思った。そんなことを許せば女はすぐに逃げてしまうだろう。しかし、村井が不況の中で実入りが少ないのも事実。潰れそうな事業でも相手が金を払えばそれでいいと割り切ることにした。だが一応、相手から依頼してきたことという態を取りたいため惚けた顔で告げる。
「……そのやり方でしたら私らが現地ですることもなさそうですがね」
「教育は必要だ。楽器の鳴らし方、男を悦ばせる芸、礼儀作法……教えるべきことは幾らでもある」
その言葉を引き出したかった。そう言わんばかりのタイミングで村井は切り出す。
「畏まりました。ただ、こちらも過去の拠点を捨てることになるのでタダ、という訳には行きません。前金で二百円。成功報酬で更に三百円。金貨で、頂くことになりますがよろしいですか?」
「……いいだろう。この証文に署名しろ」
壱心は相手の言い分を承諾し、証文を準備させる。村井はそれを受け取ると隅から隅まで確認し始めた。
(……小難しい事ばっかり書いてあるが、妙なことは書いちゃいねぇか)
村井が念入りに書面を確認していると不意に咲がこの場に現れる。彼女を見るや否や何を考えたのかすぐに署名しようとする村井だが、咲はそれを無視して壱心に告げた。
「壱心様、花園様が急にいらっしゃいました。何やらよく分かりませんが面白そうな匂いがするとのことで……」
「今はマズい。お引き取り願え」
「もう来てます」
「…………今、家の前にいる気配がそれか?」
先は無言で首肯する。壱心は頭を抱えたくなったがそれを面の皮一枚で押し止めて村井に告げた。
「悪いが」
「えぇえぇ。仁義礼、智信忠孝悌を忘れた忘八とはいえ身の程は覚えておりますよ。大名様と貴族様のお話に割って入る程の度胸はございません」
村井はすぐにその部屋から抜け出した。代わりに通されるのが花園と呼ばれた男になる。彼を見るなり咲はいつもより壱心に近づく。
(……こういう時のこれは男避けだな……何があったかは推して知れるが……)
へらへら笑っている男を前に壱心は事前に何もなく対応を願うその姿勢に苦言を呈した。すると相手は簡単に謝罪をする。
(嫌に素直だな……)
壱心の印象はそれだった。毒気を抜かれてしまった壱心は早速本題に入ることにする。
「……それで、本日は何用ですか?」
「歓楽街を作ると聞いてね、僕もそれに噛ませてほしい!」
前置きも何もないストレートな発言だ。完全に毒気を抜かれた壱心は相手の言い分を簡単に飲んでしまう。
「……はぁ。それはいいですが……」
「どうせなら日本一の歓楽街を目指そうじゃないか! 咲さんには以前、可能性を示していただいたことがあってね。その時の恩じゃないけど無料で協力するよ!」
説明を求めるかのようにして壱心は咲を見やる。彼女は憮然としたまま京都での一件……日本初のSMクラブが勝手に出来上がったことに関する話をした。途中から何が誇らしいのか花園はしたり顔で頷いている。
「あれから想像力が掻き立てられる世界に興味が出て来てね。へへへ……あ、それはそれとして普通に貴族の嗜みとして芸術関係にも話は付けやすい。どうかな?」
何ともだらしない笑みを浮かべたかと思うと急に真面目な顔をする花園。壱心はどれが本当の顔かと訝しみながらも相手の協力に魅力に感じた。
「……素直に嬉しい申し出ですが、こちらからは何をすればよろしいでしょうか」
「うん? そうだね。中身は自分で考えるけど流石に町を作るほどは稼いじゃいないからその辺りはお任せしようかな。ちょっと今は派手な着物を着せた女性に給仕をさせて金銭に応じて性的サービスをするとか考えてるんだ。咲さん、どうかな?」
「……何故そこで私に訊くんでしょうか」
「勿論その不快そうな顔を見るためだよ!」
言っていることは割と屑だが、その発想は悪くない。派手な着物の女性に給仕をさせて金銭に応じて性的サービスをするというシステムは昭和初期の日本にあったカフェーというシステムだ。現代で言うならばお触りありの過激なキャバクラといったところだろうか。かなり儲かったという。
(……悪くはないが、時代がそれに追いついていないと思うんだが……まぁ、咲の話を聞く限りではそのSMクラブも密かに流行させたというんだからやり手ではあるんだろうが……)
彼の提案を聞いて壱心は考える。そんな壱心の思考など気にしていないかのように相手は振舞っており、咲は被害が受けていた。
「あぁ、咲さんの嫌そうな顔……ぞくぞくするねぇ。またいい事を思いついた」
「壱心様。普通に嫌なんですが、追加料金を支払ってもらってよろしいでしょうか」
「僕が払おう! 安心して言葉を交わそうじゃないか! と、いけないいけない。きちんと商談を済ませないと香月さんはまだ信用してくれていないみたいだ」
珍しく表情に出すほど相手をするのを嫌がっている咲が言ったなとばかりに花園に吹っかけ、軽く受けられて更に嫌そうな顔をしている。そんな愉快な光景を見つつ壱心は花園の言葉に応じた。
「……いや、対価を支払わなくてもよいのでしたら、幾つかお店を出していただいて結構です。その代わり、その店が上手く行った際には似たようなお店を作りますがよろしいですか?」
「僕好みの店を閣下が量産してくれるんですか! 嬉しいなぁ! ……と言いたいところですが少し我儘を言っても? あぁそんなに警戒しないで。無理ならしなくともよいですから!」
大袈裟な身振りと共にそう告げる花園。壱心は警戒心を抱きながら尋ねる。
「言ってみてください」
「衣装を変えてください。僕だと派手な着物くらいしか用意できないけど閣下なら、閣下なら外国の服を調達できるはずです! 僕はヴィクトリアンメイドのスカートをたくし上げてガーターとその上を確認したい!」
警戒心の無駄遣いだった。後、普通にお帰り願いたい気分になった。メイド服の準備は出来なくはないだろうし、好みは個人の自由だろうが、何となく嫌だった。
それはともかく、壱心は実際にやるのであればという形で尋ねる。
「……それは、国内で作るのではだめですかね」
「いいですよ! その代わり本物そっくりなのが条件です。そのお店を作っていただければ最悪流行らなくとも僕が責任もって買い取ります。ヘッドギアからワンピース、エプロンにタイツとガーターベルトまで!」
(やけにガーターベルトを推すな……勝手にメイド服にないものを要求して来てるし……家に入れたくないタイプの人だ。ここを警戒してるくノ一とかに聞かれてるのを考えると後が嫌だ……それにリリアンの教育に悪い)
欲望全開の花園の発言を聞いていて周囲の目、特に女性陣の目が気になる壱心。だが、男性のそういった欲に対応するのが色街だ。貴重な意見を無碍にすることは出来ない。
「……わかりました。作りましょう」
「わっほーい! 流石は閣下、話が早い。その言葉に応じて僕の方でも少しあなたに信用させる証拠を見せましょう」
そう言って彼が出したのは三百円もの大金だった。しかもすべて十円金貨だ。それを前にして平然と彼は告げる。
「これで僕のお店の着物を作ってもらえますか?」
「……本気なら契約書を書いてもらいますが」
「勿論」
何故か爽やかな好青年が浮かべる笑みと共に絹織物と博多織の委託をする契約書にサインを記す花園。彼から数枚のデザインが渡されると壱心は確かに受領した。
「ではでは、お任せいたしました」
「畏まりました……何か言い残したことは……」
何やら立ち去る雰囲気を出し始めていたため壱心は念のために彼にそう問いかけた。それを受けて彼は思い出したかのように告げる。
「あぁ、では一つだけ。これから色街を作るにあたって既存の店から人を呼ぶことが出て来ると思いますが、柳町の村井という人物には気を付けた方がいいですよ。利に聡いのですぐに話をしに来る上、規模はある程度あることから信用してしまいがちですが、彼の店は質が良くなかった。」
「……大変参考になります」
「いえいえ。色ごとに疎い閣下には無縁の話とは思いますが念のため。どうせ人を呼ぶのでしたら同じ潰れかけでも芸娼妓解放令を鵜呑みにしてそれまでの地位を奪われた『海原や』がいいですよ」
「ご忠告、ありがとうございます」
(……どこからその情報を。いや、聞くまでもないか……)
鋭い目で相手を睨み、すぐにそれを緩める壱心。彼の身体からは酒と女の臭いがした。それが全てだろう。
「礼を言われるようなことはしてませんよ。咲さんを追いかけて福岡に来て馴染みの店でただ遊んでいたら楽しくない話が聞こえた。それだけです」
「壱心様。恐らく本当にそれだけです。深く追求する事も無いと思います」
「手厳しいなぁ……まぁいいさ。それじゃあ」
咲の言葉に対してそう言い残すと彼は去った。その後、村井がどうなったのかは推して知れること。一つだけ言えることは壱心は無駄金を払わずに済んだということだろう。
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