戦の裏側
西南戦争は終盤に入っていた。新政府軍の大勝だ。既に戦いの趨勢は決まっており戦術レベル以下での小さな負けはあり得るかもしれないがそれ以上のことはありえない。新政府首脳は胸を撫で下ろし、軍部も面目を保てたと一安心だ。だが、その裏で西南戦争の事実上の最高司令官である壱心は頭を抱えていた。
「……労働力が死に過ぎだ」
「まぁ、戦争ですから……」
「ついでに、女子どもの流入が多すぎる。屋稲が悲鳴を上げて救貧院の廃止を訴えてきたがそれを一部飲まないといけないレベルだ……予想を遥かに上回る数字だな」
彼を悩ませていたもの。それは戦争につきものの問題だった。孤児や死に別れた家族たち、戦争によって没落が決まった家の子女や田畑が焼かれたり強制的な徴収を受けて貧困層に転落した人々。それらが少しでも良い条件で生存出来そうな場所を求めて福岡に集まったのだ。
(福岡単体で見れば戦争による死者よりも社会増の方が著しい……だが、人口構成が歪過ぎてどこから手を付けるべきか分からんレベルだ……)
噂によって集まった貧困層や非合法な身売りによる犠牲者など正確な統計は不明だが恐らく、戦場に送り出した兵士以上の数が福岡の町には流れてきている。
「……早良製糸場の城下町に入れるにしても厳しい。何か手はあるか?」
政務補佐であり壱心の秘書となっている桜に問いかける壱心。彼女はすまし顔で答えた。
「こうなっては色街に手を入れましょう。幸い、炭鉱帰りで多少の金銭を持った男がこの町にはそれなりにおりますので、それで経済を回せば……」
「色街か……」
「行くのでしたら結構ですが、その前に子を産める方々に」
「どこから出て来た。そして何でそうなる」
突如現れた亜美に驚く壱心。雷雲仙人が不在になった拠点に向かうようになってからというものの亜美の不思議さは増していた。だが、彼女にとってそれは今重要なことではないようだ。
「壱心様、悪坊主様より頂いた薬……見せてもらってもよろしいでしょうか」
「何だ急に……見てもいいが飲むなよ?」
机上に出してそれを見せる壱心。亜美はそれを上から丹念に眺め、数を数えているようだ。悪坊主から渡された時は六錠あったそれ。今は三錠になっていた。
「三錠……私が最後に見た時から減ってますが……」
後の言葉を亜美が選んでいる間に壱心は平然とした態度で答える。
「俺が飲んだ。表面上、何もないと思っていたんだが、流石に家族を見殺しにしたというのは裏で多大なストレスになってたらしくてな。自律神経に支障が出始めていたから飲んだ。これを飲んでからはもう問題ないみたいだ」
何でもないことのように告げる壱心。だが、これも薬の効果であることを財部から教えられている亜美は歯噛みする。
「どうした?」
「……いえ。ただ、不調でいらっしゃったのでしたら私どもに相談を」
「一応、桜にはしておいたんだが……」
「せっかく薬があるのですから。見たところ、私でもわかる成分しか入っていない体に優しいモノでしたしね」
「な……」
艶やかに笑みを浮かべる桜に亜美は絶句する。しかし、場の空気は数の上で完全に向こう側だ。そして向こう側はこんな些細な問題よりも社会的な問題について話をしたがっている。
「で、亜美は何かいい案はあるか?」
そう問われた亜美は思うところがあってもその問いに答えるのを優先せざるを得ない。歯噛みしたい気分を抑えて務めて冷静に彼女は口を開いた。
「流入して来た貧困層、そして人口構成比の歪みですか……基本は炭鉱の工夫や製糸場の女工を積極的に拡大するとして……少し、思うところはありますがやはり花街の拡大ですかね……」
続く言葉は桜に妨げられた。その様子をどこか他人事のように見ながら壱心は思考を続ける。
(……貧困層の最後のセーフティネットはいつの世でも変わらない、か。仕方ないな。これでいくか……)
亜美も桜と同じ意見を出したことで壱心の意見も固まった。
「では、福岡と博多の中間……中洲川端に歓楽街を作ろう」
彼が告げたのは那珂川と博多川の間にある中州の開拓だった。幕末期、黒田藩が経済を回そうとして失敗し、現在は壱心の手によって早良製糸場や炭鉱開発が重点的に進められていることから開発が後回しになっている場所だ。
「え、菜の花畑にですか? 急に……まさか花を売ることに掛けて?」
「……亜美さん。普通に考えてください。現在、遊ぶだけのお金を持っているのは博多の裕福な商人や大工、そして西新の士族です。双方に遊ばせるに都合のよい立地になりますよね?」
「そうなるな。それを見越して先代藩主様は色々と開拓をされたんだが……まぁ、元手が足りなくてね……その後は軍備に備えるために金が必要だったし、俺の代になると軽工業の発展を重視してそういうのは自然に任せてたからな……」
恐らく、史実よりも実入りが少なく規模も小さくなっている中州とその周辺地域のことを考える壱心。川端どころか中州すらまだ菜の花畑という認識を抱かれている辺りにそれが事実であることが分かる。
「……ただ、普通に開拓するとしてどうしたものか。歓楽街か。接待の記憶しかないんだが……」
「……何とも言い難いのですが、壱心様。流石に少しは遊んでもいいですよ?」
桜の進言に亜美も何も言わなかった。しかし壱心は別に外に出たいと思わない。
(……正直に言うと、家の中で事足りている。普通に美人が多く、酌もしてくれるし、世辞も言う。ついでに言うなら金を払っておべっか使わせるのなら咲にさせた方が得だし……俺の口に合う料理も開発拠点が家だからな……時々は外で食べる事もないわけではないが、昼で十分だ。酒も酒豪の噂が独り歩きして飲み切れん量が入って来る。外に出る必要がな……)
環境にも恵まれた現代っ子の感覚で首を傾げる壱心。経済を回すために金を使えと言われても彼の場合は事業に対する投資で経済を回している上、その投資のための金と備えが必要なので他にやりたくない。
「まぁ、それは今関係ないからいい。それで歓楽街だが何か案はあるか?」
「……演劇とかですかね。最近の流行は」
「おぉ、いいじゃないか」
亜美の情報網からの提案に壱心は頷く。確かに明治初期の中州は演劇が流行っていた記憶がある。ついでに壱心は歓楽街から接待のイメージを払拭できずにいい事を考えたかのように告げる。
「そうだな。雷雲仙人や財部様が気に入るようなやつがあるといいかもな。亜美、その辺りのことを任せていいか?」
「!?!? え、あの……」
「……無理か。ならいいんだが……」
労力を考えずに改善提案を出したらじゃあお前がやれと言われた若手の様な反応をする亜美。しかも、相手は何の含みもなく期待しているだけだ。その上相手は自分が好いた相手と来ている。
「え……鋭意、努力はいたします……」
「あ、あんまり無理はしなくていいからな。普通に遊郭と、演劇とカフェとパブと後は何だ? 取り敢えず、お前の今の本業はあくまで財部様から情報を引き抜くことだから。案があれば大工町の方に投げてくれれば……」
「わ、わかりました」
思っていたよりも深刻に受け止められたしまったと訂正する壱心。亜美も亜美で非常に気遣わせてしまっていることを自覚して互いにしどろもどろになりながら譲り合いをする。そしてこのままでは話が進まないと判断した桜が入った。
「あの、大工町さんの方で建物自体は作れると思いますが中身はどうされるんですか?」
「その辺りは柳町遊郭から人を連れて……」
「そうですか……演劇も関係者に任せるので?」
「あぁ」
取り敢えず亜美との譲り合い合戦からは逃れられたと桜の話に乗る壱心。だが、時既に遅し。亜美は弥子の下を訪れる前に万一の際に備え、話をある程度進めておくことにした。
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