御船の戦い

 薩軍最南端御船。薩軍の最左翼を任されていた坂元仲平が率いる1200名の攻略を一任された香月次郎長は前線の伝令を聞いていた。


「敵、坂元隊の守りは固いですが戦況は我が軍が優勢。完全に押しております」

「そうか……」


 報告はそれ以上のことが出来ないとばかりに伝令兵はそこで言葉を切る。彼らの本陣は徐々に前に進んでおり、この報告の真偽を裏付けていた。


「……浸透戦術、か。初撃が重要と聞いていたがこれを使ってしまえば初撃も何もあったものか」


 兄から聞いていた浸透戦術。それは奇襲による短時間の集中砲撃の後、自律性を与えられた部隊が砲撃によって敵戦線の弱っている部分を探して突破を図る戦術だ。

 突撃後、突破が可能であればその突破点から後続の歩兵部隊を一気に送り込み、敵の後方の拠点や交通路を確保して敵の第一線部隊を前線で孤立させる。この一連の行程が済んだ後に取り残された敵の第一線を味方の後続部隊に始末させることで効率的な攻略が出来るというもの。


 今回の場合、奇襲という問題は壱心たち香月組が開発した最新兵器による小型化された迫撃砲とガトリング砲と機関砲の間に位置する銃火器によって達成された。

 最新兵器というのはピクリン酸を用いた炸薬だ。少し前まで消毒薬として使用していたフェノールがペニシリンによって治療用の座を奪われたことにより余剰在庫が出来た。これをニトロ化して生み出したのがピクリン酸であり、それを火薬として使用することで強力な破壊力を持つ武器を手にしていた。

 また、自律性を与えられた部隊というのも旧御剣隊という歴戦の兵であり散兵戦術の後、浸透戦術も学んだ部隊によってクリアしている。薩軍はこの未知の戦い方への対応に手間取り、戦線は崩壊中だ。


 そんな情報を聞きながら前線から少し離れた位置で放物線を描いては落ちる迫撃砲を後方から眺めつつ、次郎長は瞑目する。迫撃砲の更に前線ではガトリング砲と機関砲の間に位置づけられる銃火器が殺戮の音を奏でながら前進しているようだ。

 目を開かずとも音でわかる。それを理解した後、次郎長は戦場の音を聞きながらゆっくりと目を開き、言った。


「……これから呟くのは独り言だ。分かるな?」

「畏まりました」


 男の返事。それを聞いて次郎長はしばし口ごもった後に告げる。


「本当に、武士の時代は終わってしまったんだな……」


 寂寥感を多分に含ませる声音で次郎長はそう告げる。彼にとって、この光景は衝撃的なものだったのだろう。その心中にある思いを身近ではない誰かに聞いてほしいと強く思う程に。そんな彼に誰でもないはずの伝令が告げる。


「閣下が何を仰られていたのかは砲撃の音で聞こえませんでしたが……奇妙な風の音が返事をしてくれるようですな。刀と銃、姿形は異なれど扱う者の心は同じ……武士の在り方は大小を腰に差すことではなく、心の在り方となってこれからも残るはずです、と」

「……本当に奇妙な風の音だな」

「えぇ。私もそう思います。おしゃべりが過ぎる風もいたものですな」


 然らば、ご免。そう言い残して兄の従者である伝令兵はこの場から消えた。それを見届けて人払いしていた将たちが戻り、彼らに伝令兵より伝えられた情報を流す。

 その中で、次郎長は内心で苦笑していた。


(まったく、兄貴といると良いこと言おうとして微妙になる癖でもつくのかね……まぁあの人たちが兄貴の受け売りで話してるだけなんだろうが。ただ、そんな適当な感じで投げても言いたいことは伝わってくるから質が悪い)


 伝令を聞き終え、今後の作戦を伝えたところで各々が動き出す。僅かなメンバーだけが残された陣幕の中で次郎長は思考を巡らせる。

 戦の序盤で家族が死んだこと。父は次郎長にとって憧れだった。武士であることに拘り、それを体現した男だった。そんな父を見て育った藤五郎も武士であろうとした男だ。彼ら二人が武士であることに拘らない兄の手によって間接的にとはいえ殺されたことは次郎長にとって大きなショックを与えていた。

 そこに今回の一件。薩軍の勇猛さ、鍛錬の過酷さ、そして武士であろうとするために困窮し、今回蜂起したという話も知っている。それが金で生み出される武器によって完膚なきまでに叩きのめされている。戦う階級ではない強制的に徴収された兵たちがする簡単な動作で、だ。


(……これが今の戦いだ。そして、俺たちはそれを動かさなければならない)


 今までの常識が簡単に崩されていく目の前の現実は次郎長に多大なる衝撃を与えていた。それは簡単に拭い去ることが出来るものではない。ただ、それでも今は少しだけ違う見方が出来る。


(だが、これも戦い。そして、俺が武士であるためには今を受け入れ、彼らが戦うことの出来る勇士であることを知って動かさなければならない)


「香月様! 敵軍が崩れたことにより御令兄様の確認を待たずに別働第二旅団が動きました。これにより、敵戦線は完全に崩壊! 撤退する模様です!」

「追撃だ。第三旅団にも伝えろ」

「畏まりました!」


 慌ただしく動く戦場。次郎長はその中で静かに心の中で折り合いをつけていく。現実では次郎長の指示を待っていたかのように第三旅団も動き出した。それによって薩軍最南端に陣取っていた坂元の部隊は西・南・東の三方向から包囲攻撃を受ける形になる。


(今を否定し、過去の武士の姿に拘り続ければそれは無理を生み、崩壊して武士であること自体を否定していくことになる。俺が今やるべきことはこれからの武士像を自ら模索し、その理想に向かって進むこと。それだけだ)


「全軍に告ぐ!! 追撃せよ! この地から薩軍の旗を一掃しろ!」


 次郎長の命令によって全軍が奮起する。正面である西側だけでも対処に困っていたところに更なる追撃を受けた坂元隊はこれにはどうしようも出来ずに御船から敗走を開始。坂元は途中で銃弾を受け、最後は自刃した。


 この大勢が決まったのが別働第五旅団が包囲され、貴島が率いる抜刀隊が熊本城へ突入しようとしたところ。ここの動きがなければ貴島隊による熊本城突撃は現実のものになった可能性もある。

 だが、この御船での戦いのあまりに呆気ない結末は熊本平野全域に広がっていた薩軍全域に衝撃を与えた。最初に薩軍最左翼の御船が敗れるまでほぼ時間はなく、健軍の戦線も大きく後退。その日の夜には健軍と御船が取られたことで挟撃される可能性が高まった保田窪にいた薩軍も下がり、全体が下がったことで連携が崩れるのを嫌って大津でも撤退を余儀なくされる。薩軍の熊本平野での戦線は既に崩れていた。

 翌日の明朝には守る者の居なくなった大津に新政府軍が進駐。続けて薩軍を追撃するために戸嶋、道明、小谷から敵本陣である木山に向かい、小戦を重ねて木山に進出した。これにより、既に失っていた南方の御船と北方の大津から挟撃を受ける形となった薩軍本陣は木山から撤退。本陣を木山東方の矢部浜町へ移転することに決めた。こうして薩軍は全軍が後退することになり、関ヶ原の戦い以来最大の野戦であった城東会戦はわずか一日の戦闘のみで新政府軍の大勝で決着がついた。


 同時に海路で薩摩を抑えられ、公的な支援は見込めない薩軍は袋小路に追い詰められたことになる。既に戦いの趨勢は付いた。一日の戦いでそれを見届けた壱心は後のことを山縣等に任せ、福岡へと帰るのだった。


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