熊本城開放

 政府軍が川尻を占領し、熊本城が開放された。その報が入った翌日の朝、壱心は軍議を行うために熊本城入りを決定し、すぐに福岡に待機中だった兵を引き連れて熊本城へと向かった。

 壱心が一軍を率い、熊本城を訪れるとその周辺には熊本城を包囲していた薩軍の姿はなく、代わりに第一旅団長である親友の安川新兵衛が彼を出迎える。彼を見て壱心は彼の労をねぎらいつつ告げた。


「八代の戦いでは大変だったそうだな」

「奴さんらが急に増えたからな……まさかあの段階になっても薩軍につく者があれだけいるとは思っていなかった」


 激闘を制した親友は少し痩せたようだ。体調が気になるところだが、包囲を解いたとはいえ撤退した薩軍は徹底抗戦の構えを崩していない。彼にはまだまだ働いてもらわなければならない。


 そんなことを考えていると新兵衛は壱心に問いかけて来た。


「で、敵軍はどれだけの予想なんだ総大将さん」

「まだ敵本陣、木山にいる分だけで8000は残ってるだろうな……」


 目先の敵に全力で当たっていたこと。また、先の戦いで薩軍にどれだけの被害が出たのかが不透明だったため質問したらしい。これまでの戦であれば船上から近い方が情報の取入れが速かったが、特定拠点に電信が出来ており、それの活用が出来る明治以降となれば条件は異なり情報は集まるところに集まる。そのため壱心は安川の問いに簡単に答えられた。


「どうするつもりだ?」

「それはこれから軍議に掛ける……が、そうだな。そろそろ散兵戦術から浸透戦術に移行しようと思ってるんだよな……旧御剣隊しか理解してないから一部部隊でのみの運用になるが」


(流石にオチキスみたいな機関砲モドキはまだ出来なかったが、軽量化と小回りが利くように改造が済んだ速射砲なら試作が幾つか上がって来てるしな……迫撃砲も持って来てあるし、宮崎方面だと古賀がこいつらと浸透戦術を使って都城まで進んだとの報告を受けてるから出来なくはないと思うが……)


 何を言っているのかは分からないが、また碌でもないことを考えているなこいつという目を安川から受けつつ、安川の想像通りにとんでもないことを考えている壱心は静かに熊本城入りを果たす。


 その日の夜、兵棋室にて。


「……情報では薩軍は熊本城東方の白川と木山川一帯の扇状台地に戦線を構築したということでいいですな?」

「えぇ。木山を中心とし右翼は大津から左翼は御船に至る長大な防衛線を築いたとのことです。敵総大将は桐野、総勢約8000の兵が揃っているとのこと」


(……これだけ分かっていれば、浸透戦術での近接戦は可能かな……)


 兵棋が並べられているのを見ながら話し込む一行の中で壱心は内心で独りごちていた。盤上には薩軍の駒が並んでおり、本営の木山を囲む形で肥後平野の北から南に諸隊が以下の様に並んでいる。

 大津に野村忍介率いる1500の兵。長嶺に貴島清揮が率いる薩軍六個中隊と別動隊1100名。保田窪に中島健彦が指揮する約900名。健軍に河野主一郎が率いる800名。

 そして健軍の東にある本陣、木山には桐野率いる薩軍が2500。最南端の御船には坂元仲平が指揮する約1,200名。


(……河があって分断されているし、北方……大津に布陣しているあの部隊に今回の実験相手になってもらうか……いや、突出している健軍でもいいか……?)


 大規模な戦場実験を凍らせた心で行う壱心。その目は少し前の感情の薄い頃の目をしていた。その理由はこの場にいる誰も知らない。だが、軍議はそのまま進んで行く。


「この辺りが妥当なところだと思いますが……いかがでしょうか?」


 既に周囲からの情報を取りまとめ、決定案に近い形で持ってきている山縣が提出したのは史実通りの布陣だった。だが、第一旅団のみ内容が違う。

 竹迫に布陣する第一旅団の構成には旧勇敢隊のメンバーが多く含まれており軍団長は安川。そして川尻に派遣される第一旅団の別動隊隊長は次郎長。そして構成する面子には旧御剣隊という名が挙がっていた。それを見て壱心は頷く。


「これでいい。だが、第一旅団の別動隊については後程少しやってもらいたいことがある」

「……内容をお伺いしても?」

「新戦法についての考案だ。それで敵陣の左翼を叩き折りたい」


 何もこんな大事な局面でせずとも。そんな声が聞こえた気がするが壱心が周囲を睥睨すると水を打ったように静まり返る。


「では、異論なしということでよろしいかな」


 これから150年ほど時代が下った先であれば強行採決だとマスコミや周囲に叩かれるであろう決まり方。しかし、表立った異論もないためこのまま軍議は進められるのだった。




 かくして壱心が熊本城入りした翌々日の黎明。休息を取った新政府軍は再び始動する。

 まず動いたのが薩軍が防衛線を築いている最北部である大津。野村忍介が率いる部隊に新政府軍の第一、第二旅団が連繋して襲い掛かった。が、野村の部隊は奮戦してこの進撃を防ぐことに成功、その日は決着がつかなかった。

 同日、大津に進撃した部隊とほぼ同じタイミングで動いていたのが別働第五旅団と別働第二旅団だ。彼らは薩軍の中でも突出しており、薩軍本陣である木山の守りになっている健軍に向けて出撃した。

 こちらの軍は別動隊のみで攻め込んで薩軍の逆襲に遭い、被害を大きくしたものの壱心の指示で史実と異なる位置に備えていた安川率いる第一旅団が援軍として到着することで戦況は一気に逆転。敵将である延岡こそ討ち損なったものの敵軍は散り散りになり単体では隊として成り立たない程度にまで叩き、葉山にまで追いやることに成功した。そこで敵本陣にいた薩軍が出てきたことで進軍は止まったが、この敗戦を見て保田窪に居た軍が動揺し、同時刻に包囲されていた別働第五旅団の主力部隊を解囲してしまうという事件が起こる。

 これによって同日の午後に保田窪地区の薩軍を攻めた別働第五旅団は九死に一生を得ることになり、彼らは熊本城への撤退を成功させることになる。

 このように保田窪地域へ進出した別働第五旅団だが、その戦内容についても簡単に記しておく。と言っても、まとめてしまえば敵先陣に猛烈な攻撃を仕掛けることに成功したがその間に包囲され、腹部を殴打され、丸くなったところで背中を刺されていたというものだが。

 先に言っておくが、別働第五旅団の戦いぶりは悪くはなかった。だが、追い詰められた敵というものは実力以上の力を発揮しやすいものだ。まして、薩軍ともなれば一時の好機に全力で喰いつく力がある。別働第五旅団は運が悪かった。

 敵先鋒に猛烈な射撃攻撃を成功させたのはよかったが、弾薬切れになってしまったのが運の尽き。それまで耐えていた薩軍はその機を逃さぬとばかりに全力でことに当たった。中でも貴島が率いる抜刀隊は別働第5旅団の左翼を突破して熊本城へ突入する勢いを見せるほどだった。尤も、その流れを読んでいた壱心はその先に熊本城防衛部隊である鎮台兵を備えていた上、その抜刀隊も熊本城への突撃の前に突出を悟って脱出したが。


 壱心が積極的な介入を見せた川尻以北の戦場の内容はこの様なものだった。残すは壱心が時代を先取りしてみるとの名目で川尻に布陣させ浸透戦術の使用を命じた次郎長率いる旧御剣隊、別働第一旅団。対する薩軍は御船に控えており約1200。


 史実ではこの戦いが関ヶ原以降の日本における最大の野戦である城東会戦の趨勢を決めたが、本世界線ではどうなるのか。話は少し巻き戻り、別働第五旅団が動く少し前となる。

 

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