雷山の館
人里離れた山の中。そこまで標高は高くなく、森が深いという訳でもない場所にそれは一つ佇んでいた。
「……何と言うか、見ないものですね」
それを発見した少女はそう独りごちる。目の前にあるのは白亜の石造りに見えるがよく分からない材質で出来た平屋敷だ。仮に百年後の人間が見ればこれは特殊な加工をされているが基本は鉄筋コンクリート造りに似た建築物だというのが分かることだろう。
しかし、今ここにいるのは幕末生まれの少女のみ。一度来たとはいえ、記憶すら曖昧な場所で彼女は恐る恐る周辺を見渡す。辺りには妙な気配が漂っているが、目的の場所までの道には誰もいなかった。
(小さな倉庫と言われましたが……倉庫と思わしきものはあれくらいしか……)
同じく白塗りの何かで作られた建造物。その方向に歩みを進めると彼女の探し人が出て来た。そこにいたのは絶世の美を誇る少女……
「よく来れたね……中に入っていいよ」
「よろしくお願いいたします。財部様」
雷雲仙人と共にいた少女、財部七奈だった。
「はい、お茶」
「ありがとうございます」
案内された先にあったのは雑多に物が置いてある場所だった。その中で少しだけスペースの開けた作業場で二人は向かい合う。
戦乱の最中、香月組の隠密部隊トップがここに来ているのには勿論理由がある。それは目の前にいる財部が原因だった。
「それで、私を呼んだご用件は……」
「……悪坊主が頼んだことの内、こっちの……雷山の方は何もしなくていいから。自分にすら見捨てられたぼくだけど、普通の人を魅了するくらいの力は残ってるから変なことされたくない。分かる?」
いきなり切り出されたのは壱心が気にしていた問題、雷山の護衛についての依頼破棄の通達だった。かなり重要視していたものが唐突に消え、亜美は驚きのあまりに尋ねてしまう。
「え、あ……悪坊主様はそれでいいんでしょうか?」
「悪坊主は去り際にぼくが分離してるの見て色々諦めてたからいい。何か言われてもぼくから言う」
(分離……?)
ちょっとよく分からないが、取り敢えず念書は押してもらえるらしいのでそれは受け入れることにしておく。ただ、それだけであれば壱心に送ったように手紙か何かでもいいこと。わざわざ亜美を指定してこの場に呼んだ意味がない。亜美は相手から切り出してくるのを待った。
「それで……ぼくが君を呼んだ理由だけど」
「はい」
「君のことを何となく見たんだけど金髪に好きな人盗られそうになってるよね?」
「!?」
何の話だ急に。そう思ったが、相手が相手なので何も言えずに適当に濁しておく。だが、その程度では財部は止まってくれない。
「あ、前提としてなんだけどさ。君の方が金髪より先に出会ってて、それで金髪の子はこの国では聞き慣れない言葉を喋ってるから仕方なくあの……何とかさんが面倒を看て、それで今盗られそうってことでいいよね?」
「あの、何とかさんとは……」
「心当たりがないなら帰っていいよ」
「…………壱心様のことですね」
財部の突き放すような言葉に亜美は観念した。それにしても話が噛み合わない。相手がこちらのペースに合わせてくれる気はないようだ。
「うん。素直が一番。で、ぼくとしては君の方を応援したいんだよね。絶対幼馴染の方がいいって、後の日本のためにも」
「え? あの、結局どうされるんですか……あの、
「しないよ。悪坊主じゃないんだから」
悪坊主はするのか。そう思った亜美だが相手は何を思ったのか急に立ち上がると周囲を見渡し始めた。
「えーとね。君にはぼくから少しだけ知識をあげようと思ってね……」
「!? いいんですか!?」
「ホントはダメ。だけど、分離体に過ぎないぼくが生きていくために必要な分くらいの改造なら多分やっても嫌われないからそれだけ……でもなぁ。万一でも嫌われるの怖いし、やっぱり教えるんじゃなくて見せるだけにしようかなぁ……」
(……先程から気になる単語が幾つか混じっていますが、向こうの事情はどうなっているのか少し探った方がいいですかね?)
色々と悩んでいるらしい財部に亜美はどうしたいのか自分にもわかるように整理をつけてもらうため前提から話してもらうことにした。
「あの、お伺いしたいことがあるんですが……」
「何? 悪坊主のこと?」
「いえ、まぁそうと言えばそうですが……雷雲仙人様はどこへ?」
「異世界」
亜美には財部が何を言っているのかよく分からなかった。この時代の常識としては当然と言えば当然のことだ。そのため財部も言い直す。
「そうだね、すっごい遠いところ……かな? 普通の方法じゃ絶対行けない」
「……仙界みたいなものでしょうか?」
「うーん……まぁ、どうなんだろうね? その辺はぼくも行ったことないから悪坊主しかわかんない」
「そうですか……それで、財部様は留守役ですか?」
亜美がそう問いかけると彼女は暗い顔になった。
「……ボクはついて行った。その時、悪坊主が無理だと言ったからボクはついて行けない理由を切り捨てた。その残りがぼくだよ」
「???」
「……はぁ。ぼくは財部七奈が異世界に行くために切り捨てた要らない部分……と言ってもダメか。そうだね、ぼくは七奈じゃない。七奈から生まれた弥子とでも呼ぶべき存在かな……これでも分からないなら想像すればいい。七奈は狭い場所を通るために身に着けてた邪魔な部分を置いて行った、と」
弥子と名乗る彼女が言いたくなかったことなのだろう。それを無理矢理聞き出したことを亜美は反省する。そんな亜美を見て弥子は影のある笑みを浮かべた。
「まぁ、言った通り要らない部分だから本物と違ってすぐに死んじゃう。でも最期までにもう一回悪坊主に会いたい。だから、君にも協力してもらおうと思って」
「協力、ですか」
「うん。ぼくからは知識をあげる。君はぼくに材料を持ってきてほしいな」
即断するには難しい内容だった。だが、相手は即決することを望んでいる。そしてこの交渉はまたとないチャンスかもしれない。一応、亜美は応えてくれるかどうかはさておき、探りだけ入れておく。
「材料、ですか」
「うん。ボーキサイトとかドロマイト、鉄、マンガン、銅、亜鉛、ゴムとか……今は言ってもわかんないだろうけどいっぱい要る。ぼく、将来的には普通に動くことさえ難しくなりそうだから空を飛ぶには飛行機がいるし、海は……まぁ悪坊主が作った潜水艦があるからいいか。けど、歩けなくなったら車椅子がいるから……色々準備がいるの」
「空を、飛ぶ?」
「うん。飛行機っていうんだけど……流石に詳しくは教えられないかな。歴史が凄く変わりそうだし、悪坊主に怒られる」
この時、亜美が想像していた飛行機は後世で言う鳥人〇コンテストのような器械で自由に空を動き回れるというものだった。だが、人が空を自在に飛べるというのは斥候など、情報戦において凄まじい意味を持つ。まして、非常に視力の良い亜美であれば空を飛びながら地上を隈なく見ることが可能になる。それを可能にする情報は欲しかった。だが、無理をするところではないと引き下がる。
しかし亜美は知らないが、その他にも今、弥子が言った物は全て軍事転用すればその有用性は計り知れないモノになる。飛行機、潜水艦は言うに及ばず、車椅子とて彼女が考えているタイヤとそれを作るに当たっての理論は様々な分野に応用可能だ。
そのことを考えてか弥子は難しい顔をしていた。
「……うーん。でも、やっぱり教えると使いたくなるよね? 悪坊主が戻って来て、それからなら悪坊主が色々やるから大丈夫だけど……いないしなぁ」
「作り方は教えなくて見せるだけでしたら大丈夫なのでは?」
見て盗む。目に自身のある亜美はそのつもりで自分に有利な条件を出してみる。だが、弥子はそれに取り合わなかった。
「……出来上がったものを見せるのと、どうやって使うのかを見せるだけにしよう。あ、そもそもだけど作り方見ててもあんまりどうしようもないと思うよ。ぼく、炭を握って頑張ればダイヤモンド作れるし」
「……? それに何の関係が……」
ダイヤと炭の関係がよく分かっていない亜美からすれば未来の工作機が生み出す熱圧力を素手で生み出せるという弥子の発言も仙人が使う魔術の様なナニカで物質を変換したとしか理解できない。それを認識した上で彼女は告げる。
「じゃあまぁ、見ててもいいよ。その代わり材料の件はいいってことね?」
「一応、壱心様に報告させていただきます。その、弥子様が言うように……」
「うんうん。勝手なことして嫌われたら大変だもんね。いいよいいよ」
歴史の表舞台に一切上がらない裏話。極東の魔女と呼ばれることになる亜美の起源が今ここに始まろうとしていた。
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