木葉山の戦い
木葉山の戦いは史実とは全く異なる方向へと進んでいた。
小倉に向けて出発した薩軍、1800は植木方面から進軍して来た新政府軍2000を前に木葉山で睨み合い。ただ、その睨み合いも長くは続かない。薩軍の作戦は元々、電撃攻撃。時間を無駄に出来ないと大した策もなく自身らの練度を頼みとして二面攻撃が行われた。
それをもろに喰らう形となりたまらず後退する新政府軍。だが、それは見せかけの事。薩軍の正面部隊は程なくして自らの攻撃方向に自軍の別動隊が押し入っていることに気付き進むに進めぬ混乱状態に陥る。その時を待っていたかのように下がっていた新政府軍が銃弾の雨霰。
結局、池辺隊が壊滅状態に近い損害を受けつつ池辺自体が戦死。正面部隊だった越山も多大な損害を受けながら田原坂まで後退した。
だがこれだけでは終わらない。
乃木、次郎長隊がこれを猛追。薩軍を田原坂から蹴り出すと一気にその場を駆け抜けて補給路を確保した。熊本城強攻策を捨てきれずに熊本城に攻撃を続けていた篠原や別府らの隊はその敗戦を聞いた後、酷く後悔したという。
だが、この一件で薩軍も熊本城の片手間で倒せるほど新政府軍は弱くないことを強く実感することになる。そしてそれは同時に薩軍の手詰まりを現すことになる。
北には壱心率いる新政府軍本陣。西は難攻不落の熊本城。東は押しているとはいえ神戸、大阪からの増援が見込まれる新政府軍分隊。自分たちの故郷である南すらも勅使の派遣により自分たちへの味方を送るということはなく寧ろ敵地になりつつあると言っていいだろう。
「……ここは一度退いて桐野さんと篠原さんに合流し、南下してくる政府主力軍を植木で迎え撃つしかないな」
乃木と次郎長の猛追から何とか逃げ切った越山はそう判断し、南下してくる政府軍主力を待ち構える。同時に、小倉への電撃作戦は失敗したことを自覚した。
さて、乃木と次郎長の猛追から逃げきった翌日の未明。熊本城攻撃という余計なことをして援軍に遅れるという失態、そして田原坂を失地するという大失敗を犯してしまった桐野と篠原は乃木と交戦した越山の下を訪れる。
「遅れてしまい大変申し訳ない!」
「余計な噂に惑わされてしまいました。面目ない」
「いえいえ……」
年長者である桐野と篠原相手に何とも言えない形での返答を返す越山。自分の心に正直に言えば激怒したいところだがそんなことできない。
「それで、現状はどうなってる?
「…… 敵は田原坂を突破し、増援を待つためか待機しています」
「何? ではまだ、敵陣に数は揃ってないのだな?」
そんなこと撤退しながら分かるものか。そう言いたいが。越山は敗戦し、やっと部隊を整えたばかりでその辺りのことは把握していないという内容で更にそれを何層かのオブラートに包んで答えた。
それに対する返事は拳だった。
「愚か者が! お前は今まで何をやっていた!」
(何をって、今言っただろうが……部隊の再編だよ……!)
「く、情報では既に博多に援軍7000は届いたとある……敵の内容が分からん以上、防衛線を築くか……」
流石にこれまでの連敗に堪えているのか薩摩隼人の意気でどうにか出来ると楽観的に考えることはやめたらしい。篠原と桐野は西は有明海から始まる吉次峠、植木、隈府を結ぶ線で防衛陣地を築き上げることにした。
この時、政府軍は未だ援軍と合流は果たしていなかったため、彼らが奇襲を仕掛ければまた政府軍は田原坂まで追い落とすことが出来ただろう。その先にまで至るの可能性とて十分にあった。尤も、乃木や次郎長、安川が率いる2000の軍団がそこまで下がる頃には援軍は到着していただろうが。
……と、ここまでの内容から分かる通り、薩軍は情報戦の立ち回りに置いて完全に新政府軍を下回っていた。寧ろ桜の指示の下、暗躍する香月組を始めとする間諜部隊に踊らされている感じすらあった。尤も歴史の表舞台には決して出て来ることのない話だが。
後の歴史書には電信などを上手く使用した新政府軍に情報戦では惨敗したとでも書かれることだろう。
そんな後世での評価はさておき、現時点で薩軍は情報が錯乱しているが決していい状況ではないことは理解していた。それはある程度事実であり、彼らの行動指針にするには適しているものだ。
ただ、その行動指針の下に動くというのは彼らが元々目指していた目標からかけ離れ、ただただ自分たちが滅ぼされないために守るという目標へと水準が落ちているのを認めざるを得ないという面も含んでいた。
「……篠原さん」
「言うな。準備をしろ」
かつて、この国に新たな時代を求めるかを日本全国に問いかけた時の彼らの背中と比べれば随分と寂しい背中がそこにはあった。
ところ変わってこちらは新政府軍で熊本に最も近い位置にある部隊、即ち安川が率いている部隊の首脳部。
神戸から博多に派遣され、熊本への援軍へと向かって山鹿、伊倉のルートを南進していた部隊は乃木、次郎長のペアが既に田原坂を突破していることを知り、そちらの方面に進んで合流を果たしていた。合流を果たした本州の兵たちは激闘を制した味方を讃えつつ補給も届いたことで少しだけ宴会に近い様相となっている。しかし首脳部までは浮かれていない。軍議をしているところだった。
「安川殿、いかがいたしますか? 第一旅団長と現場の指揮として再編を香月閣下より任せられていますが……」
今後の方針を決めるに当たってまず、指揮系統をしっかりと決めておく面々。取り敢えずは若くして総司令を任された才人が任命した若造を据えるつもりだが、隙あらば実権を握り、実務上のトップは取って代わろうという意思が見える。
それらを読んだ上でその若造……安川新兵衛は少し疲れた様子を見せながら頷いて見せる。
「謹んで受けますよ。さて、そうなると編成は……」
乃木、追田、大迫、知識、長谷川、津下……薩摩立つとの方にすぐに動いていた先発隊に様々な部隊が編成されたり再編されている中、安川が任された第一旅団は以下のような編成で行くことを定めた。
第一連隊長で第一陣を指揮する香月次郎長。第二連隊長で第二陣を指揮する大野遼平。第一陣前駆で四個連隊を指揮するのが乃木希典。第一陣で中軍、二個中隊を指揮する追田。後軍で各一個中隊を指揮する大迫と知識。
この第一陣が基本的な戦闘を執り行う部署になる。その後ろに予備兵並びに兵站を司るのが第二陣である大野……かつて、壱心が京の町でリリアンを救った際に隣にいた男だ。
彼の下で長谷川が四個中隊を率い、残り四個中隊を津下、岩切で率いるということになる。
さて、この第一旅団と同数を所有する第二旅団だが、彼らも含めて田原坂を突破した新政府軍は約5000となる。
対する薩軍は桐野利秋、幕末の頃は中村半次郎の名で、人斬り半次郎と呼ばれた彼が率いる三個小隊(約600名)と鳥羽伏見の戦いで上野の戦いにおいてその勇猛さで名を知らしめた篠原国幹と会津若松進撃の際に十六橋の戦いで勇戦したことで知られる別府晋介が率いる六個小隊(約1,200名)その他に五個小隊約1,000名がおり、総勢で約2800だ。
士気の差は大きくはない。初戦で敗退した軍ではなく、まだ負けていない薩軍が大量に流入した薩軍と、初戦からほぼ連戦連勝といっていい新政府軍に編成された両軍では共に士気が高かった。
だが、その数と武器には違いがあった。これが戦場においてどのような意味を果たすのかは想像するに難くない。もっと言うのであれば、想像せずとも歴史がそれを教えてくれている。
今から起こるのは歴史の焼き直しに過ぎない。例え、人が変わったとして、細部が異なったとしても起こるのはただの殺し合い。田原坂で死なななかった者が有明海からの防衛線で戦う中で死んでいく。ただそれだけの話。
その話の中で、数では示せない犠牲が生じていくのだった。
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