丙夜

「何、ちょっと預かって欲しいものがあるだけだ……場所はこの紙に指定してある通り。そこに人が入らないようにしてくれればいい」


 そのように言う悪坊主から渡されたのはこの時代では信じられない程精巧な福岡県の地図。マークがされており、そこは雷雲仙人として悪坊主の目撃情報があった地点と、そこから北上した場所にある加布里という場所の一角に丸がついていた。


「……この場所は、雷山と……加布里湾?」

「そうそう。この話が終わってからしばらく異世界に行ってくるからその間、家と船渠せんきょの見張りをね……結界に使う魔力が勿体ないから何もなしで異世界に行こうと思ってるんだが、それを黙ったまま出て行くとウチを嗅ぎ回っていた輩がトラップに引っ掛かる気がしてね。戻ってきた時に腐乱死体とか血や汚物、白骨とかで家が汚れていたら嫌だから一応」

「……えぇと、わかりました」


 悪坊主の要求、それは彼らのことを嗅ぎ回っていた自分たちに対する警告だったようだ。そうなると、実質的に彼らは無償でこちらを治療してくれたとも言える。


 壱心は相手の意図が見えずに何とも言えない感じになってしまった。恐らく、そこは悪坊主の言葉通り彼と七奈の家と何らかの倉庫だ。未知の技術や材料などの宝庫ということは想像するに難くない。素直に協力してくれそうにない相手から情報を得るには絶好の機会だ。

 だが、悪坊主が事もなさげに言ったトラップたちの存在。それは少し前に亜美が彼らの家に入った次の瞬間に訪れた末路をあまりにも容易に思い出させた。彼らがいなくなるという絶好のチャンスを簡単に明かして少なくとも見た目では何ら心配もしていない以上、中に入るのは絶対にやめておいた方がいいだろう。


 しかも、追加で情報があると来た。


「あー、後どうでもいいけど色んな制限の結果、家の中でも船渠でもウランを使用してたから立入禁止な。特に、西南戦争の時とかには気を付けた方がいい。放火でもされると爆発して周囲が大変だ」


 軽い調子で危機を知らせる悪坊主。桜はその言葉に隙を見て発言した。


「そ、それでしたら悪坊主様もお困りになるんです……よね? あの、でしたら」


 ウランが何のことを指しているのかは分かっていないが、何となく文脈と空気でその危うさを察した桜は悪坊主に譲歩を持ち掛ける。しかし彼は世間話の一環というべき軽い調子で答えた。


「いや別に。俺は効かないし、他が死んでも君たちの活躍の所為で俺が来た世界線より内戦での犠牲者が少ないらしいからね……ある程度死んでくれた方が寧ろ辻褄が合うくらいだ」

「な……」


 絶句する壱心だが悪坊主は悪まで飄々とした態度を崩さない。


「ついでに言うなら汚染についても別に浄化出来るからどうでもいい。何かあったら除去するし、後に何も残さないように始末する……あぁ、その辺りの脅威を広めようとしても無駄だ。この時代なら放射線よりも怨霊の方が力を持ってる……とでも言えば分かるだろ?」


 そう言い終えると悪坊主は軽く壱心のことを観察する。そして、壱心が彼の言いたいことを理解しているのを確認すると視線を外した。


「……何か今の言い回し……まぁいいけど自動翻訳はこういうことあるよな……」


 一人何か呟いている悪坊主。向こうにとっては関心が薄いが、こちらにとっては引き受けなければ問題のある事象であることを理解した壱心は一先ず、確認事項を問いかける。


「因みにどれくらい預かれば……」


 まず壱心が気になったのは預かり期間だった。相手が相手のため、無理な内容であることを警戒してのことだ。しかし、その悪坊主は別にそこまで警戒しなくてもいいと言わんばかりの態度で告げる。


「戻って来るまでだな。向こうの滞在予定時間はアンカーを打つのと最低限、移動分の魔力を吸い上げるだけだから数か月……だが、恐らく移動による時間のブレが生じるから当てにならん。ついでにその辺りの移動に関する時間の調査もするが……まぁ、大まかに今回の治療を受けた君の寿命の範囲内には戻る感じで。ウランとか以外にも危険物あるけど、用が済んだら無害化して海に沈めるから安心していいよ」

「……あの、寿命の範囲って……」


 悪坊主が何を言っているのかよく分からなかったが、一先ず大事なところを確認するために言葉を切った壱心。相手も壱心の心情を理解して簡潔にまとめて来た。


「んー俺も別に暇してるわけじゃないし、時間は掛けない方向ですぐに戻って来る予定だが、数値化するってなると面倒なんだよな……」


 悪坊主はそう言ってから唐突に七奈の方を見た。壱心の方から見えたのは悪坊主が何か含むところのある顔をして七奈の顔を見たところまで。それ以降は何も見えないが、どうやら見つめ合っているらしい。ただ、その距離は段々と近くなり……


 悪坊主は無言で近付いて来た彼女に頭突きを入れた。


「痛い!」


 美声で悲鳴を上げるという何とも器用なことをする七奈を前に悪坊主は呆れた声を出していた。


「お前は何をしようとしてるんだ本当に……本気で最近の行動の意味が分からん」

「分かるでしょ!? 大好きです! って態度で示してるんだよ!?」

「白々しいにも程があるだろ……その言葉を信じさせたけりゃ悲願達成まで後僅かだった俺を問答無用で過去の世界へ拉致するなんてするなよ……俺の中ではそれを喧嘩を売ってると判断したんだが……まぁいい」


 姦しく騒いでいる様子すら愛らしいという反則的な少女のことを無視して悪坊主は彼女の花唇の中に試験管を突っ込んだ。唐突のことに対応できなかった七奈が目を白黒させている間に悪坊主はその試験管を取り出す。当然のことながら試験管には液体が付着していた。


「……何するの」

「ん? こいつ個人に頼んでおくと不慮の事故があった時に約束が反故になるかもしれんと思ってな……ついでに不老者を増やしておこうと思って」


 事も無さげにそう言って試験管の中に赤いもの七奈の血が混じっているのを確認し、それに何か入れて振り始める悪坊主。壱心たちからすれば何をしているのか分からないが少女はそれで理解したようだった。


「それなら一言言ってよ……急におでこぶつけられたからびっくりしたじゃん」

「あー? こっちは何の許可も出してねぇのに四六時中ベタベタベタベタされてるんだが? 文句言うならまずは離れろ」

「……じゃあいいや」

「悔いて改め、離れるという発想はないんだな……まぁこの場で揉めても面倒だし客前で見苦しいだけからその辺は後回しだ」


 そう言って悪坊主は言葉を切ると出来上がった何かを桜の小指程しかない小さな試験管に三等分する。そして何か入ったアンプルを全て壱心に投げて来た。


「これを言うことを聞いてくれそうで生き残りそうな人に飲ませておけ。二、三十年は細胞が活性化して軽い怪我なら直ぐ治るし死に辛くなる。ついでに不老になるから長生きもするぞ。あぁ……そう言えばさっきから言ってなかった気がするが、氣についてある程度扱える奴じゃないと飲んだ瞬間に廃人になるから」


 本当に何とも無いように酷いことを宣う悪坊主。壱心は諦念という感情を抱く他なかった。そんな壱心に七奈から付け足される。


「あ、それ使うなら女の子だけにして。何か嫌だから。……居るんでしょ? ボクが知ってる歴史にはいない女の人たちがいっぱい」


(……へぇ)


 七奈の一言に天を仰ごうとしていた壱心は反応した。彼女もこの先の歴史を知っている。そして彼女の態度、そして悪坊主が細やかな歴史については伝聞調で話している辺り、この時代に不慮の事故で飛ばされた彼の知識も彼女から仕入れたものである可能性がかなり高い。

 つまり、少女はこの時代……そしてこれから壱心が知らない時代の歴史に対してかなり詳しい知識を持っていることが期待できる。悪坊主は色々と画策しており、対応が難しそうだが、彼女の方は御しやすいやもしれない。

 そう考えながらも努めて表情には出さない壱心。悪坊主が出した場所を指定している紙を手に取り、そこにある契約内容を確認するという仕草でその髪を持ち上げて彼らから表情を隠し、動揺が完全に収まってからそれを降ろす壱心。


 その契約書と、同内容が記されたもう一枚の紙にサインしたところで質問時間を始めようと促されたところで彼は口を開いた。


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