乙夜

『身体の再生に際して細胞を無理矢理活性化させた結果、体質が変化して老化が常人と異なることになってるから』


 悪坊主にそう言われた壱心は己の身体をもう一度見やる。しかし、最近まで寝た切りで、瀕死の重態からいきなり健康体になったという超展開を迎えている身体はそれよりも前の健全な身体と比較することを困難にしていた。


「……え?」


 よく分からずに隣にいる桜を見る壱心。彼女は残念そうな顔をして告げた。


「事実だと思われます……その変化を私たちは見てしまっていますので……具体的な内容は不明ですが……」


 そこで壱心は目覚めた時の周囲の反応を思い出す。奇跡的な回復を見せたというのに沈痛な面持ちの彼女たちは何を見たのか。自分で見てもすぐには分からないというのに、どんな変化が起きたのか。そんな彼に悪坊主が声をかける。


「あー深く考えると精神病むぞ。折角、治療法を黙っててやってんだから変なことを考えるな。何、この世界に来たときだって何か適当に順応してただろ? あれと同じ感じで行けばいい」


 随分と適当なことを言ってくれる悪坊主。しかし、壱心からすればその時はそれどころではなかったため記憶も曖昧だ。だがそのことを明確に説明する術を壱心は持たない。


「……いや、あれは…………あぁもう、わかりました……が、せめて、何が起きたのかくらいは……」

「ん? まぁ……一般的な人間にとっては多分いいことだと思う……治療の影響が残っている間は老化が非常に遅く、しばらくして抜け始めれば少しずつ年を取るようになっていく。そんな感じだな」


 苦し紛れに出した問い。その答えすらも非常にぼんやりとしたものだった。却って不安になる壱心。そこに心配そうに桜が口を挟んだ。


「……そう、ですね。ではその、何と言いますか……当たり障りのなさそうな点で見た目的に分かることとして……治療の最後の方、何だか光り輝いていらっしゃいました、よ? ……物理的に」


 凄く言い辛そうにしながらもそう言ってくれた桜。彼女がわざわざそう言ったのは悪坊主の反応を窺うためだった。言って問題のある事であれば悪坊主が何らかの反応を示すだろうと考えて言ったのだが、彼は何の反応も見せていない。


(……先方に不都合があって発言を濁しているのではなく、本当にこちらを気遣ってのことですか……)


 内心でそう捉える桜。だが、その真意が分かっていない壱心としては桜の発言を凄まじく伝える部分を選んで言ったのだろうと理解し、そのレベルでこの内容か。そう考えて精神衛生上、深入りを止めることに決めた。それを見計ったかのように悪坊主は口を開く。


「うん。まぁそれでいいと思うよ。さて、肉体的には大体そんな感じで、精神的には……ま、俺はあんまり関係のないところとしては元来その身体に宿る魂魄と君の意識の混じり合いが今は少し停滞中だな。元々その身体にいた精神が君の魂の記憶を辿るのに疲れて小休憩中らしいしな」

「……どういう」


 壱心の問いかけを遮って悪坊主は告げた。


「その辺については前言の通り、俺があんまり関係していないところだ。自分たちで解決してくれ。尤も、君の人生の追体験をしてるわけだから君の享年まで奴さんは起きないだろうがね……で、正直に言うと次も俺はあんまり関係ないことで、この娘っ子の所為なんだが……」


 壱心の問いを遮り、回答を拒否した悪坊主。壱心が非常に気になる内容だが、彼は既に次の話題に移っていたため要求のタイミングを逸してしまう。

 そんな彼だが、次の内容は自分で説明しろと七奈に水を向けていた。ただ、彼女は頭が蕩ける程の美声で「知らない」とだけ答えるだけだ。仕方なさそうに悪坊主が続けることにしたらしい。


「……まぁ、要するにこの後もう一度眠って目が覚めた時には性欲が復活してる。君が精神体としてその身体に宿り、主人格を担っていたからこれまで肉体に宿る欲は薄かったんだが……この我儘お嬢さんがやってる無意識の魅了で精神体にも肉欲が生まれる」

「……それは、どうなるんですか?」

「まぁ……二人分の溜まっていた性欲が出口を見つけて殺到するだろうね。その時になれば分かるよ。その時が来た時にどういうことか分からないと困るだろうから先に説明しておいただけの話だ」


 そう言ってまたも説明を途中で放棄する悪坊主。そろそろ壱心も苛立ち始めた。


(さっきから言っておくだけで詳しい説明をしてくれないな……これだから人知を逸した存在は……)


 先程から悪坊主は情報を一方的に投げつけるだけで壱心の都合を考えていない。不満が募る一方だが、目の前の存在は内心で思うことすら許してくれないようだ。


「詳細な説明が欲しいみたいだが、この辺りの問題に対して俺の説明責任はない。治療が拗れた原因は主にこの小娘の所為だし、現状の問題は元を辿れば君が勝手にその人に憑依して同化したのがそもそもの原因。妙な治療されたのも余計な手助けをしてその後のケアを怠った所為で他に誰も治療出来ないから。で、俺が懇切丁寧に教える理由はどこにある? 百歩譲ってこれに訊けよ」

「ボク、嫌。大体……「余計なことは言わなくていい。混乱するだろ」はぁい」


 七奈の言葉を遮った悪坊主は壱心に続けて言う。その身内に対する態度すら壱心は見ていて苛立ちを覚え始めた。


「大体、自分で相手のことを人知を逸した存在とか称しておきながら無理矢理自分の知識が及ぶ範囲に相手を置き、自分が望む通りに動いてくれなきゃ拗ねるなんざ呆れるほど自己中心的だな。流石、人間様……笑ってくれとでも言いたいのか?」


 ここまで揶揄してくる悪坊主に流石の壱心もカチンときた。ただ、相手の言い分にも多少の理があるので壱心は控えめな反抗に留めておく。


「……思う位は自由にさせてくれませんかねぇ?」

「思ってるだけなら何も言わねぇよ。さっきから顔と態度に出てんだよ」

「あ、あの、そんな怒らないであげてくださ……壱心様病み上がりで、その、本当なら普通に話せてるのがおかしいくらいで……」


 険悪な雰囲気になりそうなのを察して桜が割り込む。外見通りの童のような泣き顔で困っている桜を見て壱心は一つ息を呑み込んだ。それによって悪坊主から一瞬だけ意識を逸らしたが、そこで七奈が冷たい目でこちらを見ていたことに気付く。 

 同時に、相手の不可解な気配が周囲を纏わりつくように存在していることも思い出したかのように知覚した。


(少し、加熱し過ぎていたか……)


 どうやら、今の自分は相当に体調不良で冷静でないようだ。そのことを遅まきながら自覚した。そして、それを自覚したのであれば行動は改めなければなるまい。


「……失礼しました。気をつけます」

「……まぁいいか。ちょっと言っておいた方がいい事もある気もするが取り敢えず、言っておく。後で君には質問時間が渡される。治療費代わりにこちらから要求する事項への追加報酬分としてな。その時にさっきの話の内で気になった部分を訊くといい」

「……要求、ですか」


 案外あっさりと許されたが、相手は新たなる引っかかる場所を生んできた。人知を逸した存在から人間への要求。そのフレーズに身構える壱心。それに対し、悪坊主は少し笑って上級紙を渡してきたのだった。


「何、ちょっと預かって欲しいものがあるだけだ……場所はこの紙に指定してある通り。そこに人が入らないようにしてくれればいい」



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