植木町遭遇戦
熊本城総攻撃が始まったその日。福岡から派遣された二個大隊は福岡……というより大宰府に所縁のある菊池氏が本拠地とした熊本平野の最東北に位置する菊池を通過しようとしているところだった。
米所としても有名なこの地で、熊本城の兵糧を調達することが出来れば……そう考えての進軍だったがこの先の状況を鑑みて兵糧は後回しにしている。
「熊本城から剥がれた分隊が植木町に布陣中、か」
「その様にございまする」
斥候兵の情報を裏付けるかのように菊池村の農民からの目撃証言が届けられる。熊本城の方向からこちら側に近づいた場所。ここからではまだ遥か彼方ではあるが城下から離れた場所で炊飯の白煙が上がっているのが見えたらしい。どうやらそこに薩軍の派遣した村田三介・伊東直二の小隊がいるとのことだ。
「ただ、数は少ない。か」
斥候兵に再三の確認を取る大隊長、安川新兵衛。菊池村の館を借り、拠点とした一室では兵棋を使って現状が示されており、二個大隊に対して二個小隊で当たろうとする敵陣が小さめの棋によって示されている。
「はい。よもやこれほど早く福岡の変が片付き、且つそれを見越した上で大隊をこちらに回すとは思っていなかったようで……」
「ふむ……では、各個撃破と行こうか。次郎長。お前のところから兵を500程出して正面から圧倒してくれ。後続が来る前に先兵を圧倒する」
「畏まりました」
敵兵凡そ100に対して500で当たるという慎重論。だが、それが彼を幕末の動乱、そして台湾出兵で無事に生き残った将足らしめている要因だ。
「では、我が隊の乃木希典に500を与えて出撃させます。よろしいですか?」
「あぁ。副官は?」
「吉松さんが適任かと」
「うむ……では、その様に」
日が既に傾き始めている頃。次郎長は直接、乃木の下を訪れて彼に決まった内容を告げる。
「敵陣は恐らく100名ほど。五番大隊の二番小隊長、村田三介が率いている。副官は淵辺彦二で恐らく平押ししてくるだろう」
「……畏まりました」
「連携として、裏に伊東直二隊が300程ついてくる予定となっているためこちらも更に裏を取ることを予定している」
「……そこまで分かっているんですか」
(前から言うかどうか悩んでいるが……香月隊として戦うと相手の情報が入り過ぎて気味が悪い……)
亜美たち隠密部隊の活躍を薄気味悪く思う余所者の図がそこにあった。しかし、有用であることには間違いないので何とも言えない。そのまま伝達は恙なく済む、そんなところに急報が入った。入室を許可するノックが聞こえ、合図のやり取りが行われる。噂になっていた隠密部隊の登場らしい。
「何用だ?」
「熊本にて動きあり。越山休蔵、池辺吉十郎らが二個大隊を率いて植木方面へと進軍を決定。数は少なくともこの部隊を上回る模様。詳細はこの報告後、確認を行い追って連絡します」
「……安川殿は?」
「合流前に先駆けを撃破し、順々に片をつけるとのこと」
その言葉を聞いて次郎長は苦笑した。
「進軍前に薩摩の地力を頼み軍略を蔑ろにしていると言ってたのはどこの誰だったかね……万全を期すために、とか言ってたのになぁ」
「笑っている場合ではないのでは? すぐに目先の敵を打ち倒し、敵軍の士気を下げる必要が……」
「まぁその通りだな。行ってくれるかな?」
「御意!」
乃木は溌溂とした返事と共にこの場を発った。それを見送りつつ次郎長はこの場に残っている間諜に告げる。
「乃木の見張りを頼んだ」
「……畏まりました」
その後、この場に残るのは次郎長のみ。彼だけを残した室内だが程なくして誰もいなくなる。その後は、血の色にも似た夕暮れの灯りだけが室内に残るのだった。
次郎長が乃木に指令を与えた後、一時間もしない内に乃木は植木の西南に潜み、薩軍を待ち構えることになる。その後まもなく。先行している村田隊が彼らの前を通りがかった。
「まだだ……中軍を狙え。まだ……よし! 撃てェッ!」
その効果は圧倒的だった。500の兵を率いている乃木の部隊は斥候の戻りが悪く、警戒していた村田隊に大損害を与えることに成功する。すぐに撤退に移る村田隊。
当然、後詰がいることを知っている乃木は無理をしない。殆ど損害のない部隊の再編を行い、次の戦いに備える。
そしてやって来たのが伊東隊が加わった薩軍300余名。先の村田隊を吸収しており恐らくは400近い部隊との戦闘になる。
数は近く、ナチュラルで高い薩軍の士気と先程の戦いの高揚感が漂っている政府軍の士気。また、位置が割れているという条件も相まって乱戦が見込まれる。
しかし、乃木は一筋縄ではいかない。
位置が割れているという状況から更に南西へと進み、沈みゆく太陽が背後になるように相手と対峙したのだ。
(……そう動かれると、この後がね。まぁ、この戦いで完勝することが後の戦いにもつながるから何とも言えないが……)
許可を出した次郎長は熊本城から北東へ進んでいた敵陣が急旋回して南東にいる乃木軍と混戦を繰り広げるのを阿蘇山外周の高台から見やりつつ内心で苦笑する。
(後方から追撃したいところだが……西日がきつくてそれどころじゃないな。夜を待つか……それにしても見事な大星伝だ……)
「っと、ん?」
見事な統率力から生み出される日本古式兵法を見て感心していた次郎長。だが、そう褒めようとしたところで次郎長は乃木軍の一部が薩軍に押され始めていることに気付いた。どうやら日が傾き過ぎ始めたらしい。
(俺が両陣をしっかり見れるようになった辺りでその辺りは推して知るべきところだったか……)
少しの後悔の後、次郎長は指示を下す。前に出なければ死あるのみという形で猛攻していた薩軍の背後から急襲する形での突撃だ。こちらにいるのは旧御剣隊が多量に混ざっている部隊であり、斉射の後、スコップではなく軍刀での抜刀突撃が繰り広げられる。
「突撃!」
「「「「「オォォオオオォォッ!!!」」」」」
前に攻め入るはずだった薩軍は後ろからの攻撃に蜂の巣を突いたかのような騒ぎに陥る。前に出る者は後ろからの攻撃から逃げている者、そして本来突撃するつもりだった部隊の両者が入り混じり、混乱の坩堝に陥った。
「斬れ! 我らは御剣隊! 天下の福岡の、香月の名に恥じぬ戦いを!」
「我らが天に名高き御剣隊!」
勇ましい咆哮の中に味方であることの確認かのように御剣隊の声が響く。同時に薩軍から悲鳴が上がる。
「御剣隊だ! 後ろに兵を回せ! 伝令だ!」
「馬鹿言うな! 前に敵が居るんだぞ! 放棄出来るか! 敵に背を向けろというのかお前は!」
「後ろにも敵が居るんだよ! しかも御剣隊だぞ!? そっちに背中向けたままでどうする!」
薩軍の悲鳴の中に互いに言い争う怒号が混じる。だが、それは格好の目印だ。次第に静かになり始める戦場で、薩軍の撤退の合図が鳴り響き始める。
「追うぞ!」
「殺せ! 北上し、福岡を狙おうとしたこと! 後悔させろ!」
「我らを侮りし者を八つ裂きに!」
「ま、まぁ待て。今のはまだ前の部隊だ。明日が本番になる」
敵が這う這うの体で逃げ去ったというのに戦意が留まることを知らない旧御剣隊の面々。次郎長は彼らを宥めるという今日最大の難事に当たることになる。
(薩摩隼人の心意気も凄まじいが、御剣隊はどうなってるんだこれ……)
威勢よく、その上血気盛んだが命令には従うらしい御剣組の面々に明日の活躍を期待する発言と共に宥め切った次郎長。そんな彼の元に乃木がやって来る。
「香月様、危ないところをお助けいただき、誠に感謝いたします」
「……あぁ、まぁ。危なげない戦いで私も安心して突撃出来ましたよ」
「いえいえ、とんでもない……お恥ずかしい話ですが一時、まさに次郎長様の突撃が行われる直前に連隊旗を奪われかけるという失態を犯しておりまして。貴方のお蔭で面目を保つことが出来ました。本当に感謝いたします」
「とんでもない。犯してもいない失態を責める程狭量ではありませんよ。それでどうしても気になるというのでしたらまた明日、頑張っていただければ」
休みたい次郎長はそう告げて乃木の話を切り上げる。こうして史実にあった失態を避けつつ犯しかけたミスを今後のために活かすという形で乃木の植木町遭遇戦は幕を下ろしたのだった。
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