福岡の乱

 壱心より精鋭千五百を借りた古賀は最低限の指示を出した後、急速に西進する。その行軍途中、敵の位置と内実を探るべく放たれていた古賀の斥候が奇妙な報告を持って来た。


「古賀大佐、賊軍は何やら意味の分からぬことを言っておりますが……」

「何だ? この期に及んで命乞いか?」

「いえ……香月閣下の麾下にあるのならば我らは同胞。戦う必要はない、との」


 斥候兵は最後まで言葉を続けることが出来なかった。目前の男がその表情を憤怒に染め上げたことに気圧されたのだ。失言だったか、そう思いながらもこれが自分の役目だと毅然とした態度に戻る斥候。そんな彼に夜叉と化した古賀は吐き捨てるように言った。


「斬れ」

「は?」

「その戯言抜かした奴を斬れと言った。出来んと言うのならお前も―――」

「そこまでにしておきなさい」


 ただ情報を運んできてくれただけの斥候兵相手にとんでもないことを言い始めた古賀を止めたのは戦場に相応しくない美少女だ。しかし、彼女を見た途端に古賀は怒りの形相を苦り切った表情に変えてしまう。


「また歩き巫女か……何だ?」

「何だも何も、情報収集が私たちの仕事ですが? いいから聞きなさい。敵軍の中に黒田藩の馬廻組上士である香月家がいます。その名を使って人を集めている騙りがいるのよ。壱心様を疑われるのに怒りたい気分は分かるけど、強硬策で行けば騙りに乗ってしまった人たちまで追い詰めてしまうわ。それが得策じゃないこと位わかるでしょう?」

「……そうなのか。これは……流石にもう少し内容を聞いておくべきだったか」


 何やら急に大人しくなった古賀。世にも珍しい古賀の反省を聞いた美少女―――亜美はただでさえ元々大きい目を更に開いて数度瞬きした。が、そんなことをしている暇もないと亜美はすぐに我に返って告げた。


「今回の敵陣営として、敵のトップは加藤司書様の遺児にあたる加藤堅武様と建部様の息子の小四郎様がいます。ただ、問題となるのは壱心様の父に当たる香月太一様、それから弟君である香月藤五郎様です」

「……成程な。兵力の変化、それから移動や布陣についての変化はあるか?」


 壱心の指示により本陣を発つ前の情報、それから今彼が放った斥候が持ち帰った情報とのすり合わせを行う古賀。亜美は淀みなく答えた。


「敵勢力は熊本城の攻撃に失敗していること。後、香月家が新政府に反旗を翻したと聞いて参加したが実際は思い描いた香月家の面々……要するに壱心様も次郎長様も利三様も新政府側で特に追討軍のトップが壱心様、実働部隊のトップに次郎長様がいると聞かされて・・・・・からは減少したわ。今は、ね」


 含みのある言い方をする亜美。敵軍の一部は明らかに意図的な形で特徴的な噂話を聞かされたのであろうことは想像に難くなかった。しかし、古賀の反応は亜美が想像していなかった形になる。


「よくやってくれた」

「は?」

「事前準備が戦の趨勢を決める。俺の悪い癖だ……いつもそれを蔑ろにしている。お前のお蔭で助かったぞ」

「え、いや……まぁ、はい。仕事ですし……」


(何か悪いモノでも食べたんでしょうか?)


 素直に礼を言われたというのに失礼なことを考える亜美。しかし、彼のこれまでの対応から考えるのであれば自然なことだった。そんな亜美の内心などお構いなしに古賀は続ける。


「この戦、任されたと香月様に報告を頼む」

「……それはまぁ。分かりましたが」

「では、我らは総合的な情報を含めた上で進軍する……敵は情報をまとめ切れておらず、騙されて参加している者は混乱し、士気も低い! 今が好機!」


(まぁ結局やることに変わりはないみたいですが……こちらとしてもそれでいいと思いますし、別にいいですか……)


 何やらまずい事態になったのか、そう考える亜美を尻目に速度を上げて進軍を始めた古賀部隊。そんな彼らを見送り、亜美は今持ってきた情報を壱心に届けるために古賀たちと逆方向に進んで行くのだった。


 


 さて、そのまま進軍を続けていた古賀たちの部隊だが、ほどなくして反乱軍が集結している神社、紅葉八幡宮が捕捉出来る位置にまで到着する。史実以上の数ながら史実通りの場所に集まったのは黒田藩により格別の崇敬を受けていた紅葉八幡宮に彼らが集まることで彼らの主が黒田家であり、現在の県令である香月やその背後にいる新政府ではないことを示したいのだろう。


「……敵は動いてないのか」

「その通りの様にございます。しかし、完全に迎え撃つ格好になっており攻め入るのは困難かと」

「……そうか。ならばこちらの狙撃が届き、相手が届かぬ範囲で相手を撃て。連射性、兵站は共にこちらに分がある。見える範囲で散兵しろ」

「畏まりました!」


 古賀の指令に大隊長の威勢の良い返事が響く。それは中隊長へと伝えられ、小隊長、分隊長、班長へと即座に伝わった。訓練の賜物だろう。彼らは油断なく得物を構えつつ遮蔽物に隠れたり、時には簡易的な塹壕を作りその中に隠れながら敵陣を包囲していく。


(……軍用シャベル、これは戦を変えていくに違いない。流石は壱心様だ。しかし、やはり我々武士としては利便性よりも刀がなければならんが……)


 儀礼用、指示用の刀を握る手に力がこもる。一部の抜刀部隊を除き、小倉鎮台の兵士の殆どは軍用シャベルを近接武器として持たされている。北九州の石炭や鉄鉱石を使ったそれは経済と軍事の両方に役立つ優れもので、平時には開墾をさせるという徹底的な効率主義が敷かれていた。対する敵は立派な腰の物をぶら下げており銃撃戦の際に邪魔になりそうな状態に見える。

 そして、装備として何よりも外せない銃。敵勢力の銃の主力はエンフィールド銃で秋月の乱の時に用いられたミニエー銃よりも上等な銃だ。対する新政府軍の装備はスナイドル銃。秋月の乱の際に薫風堂の面々が使用したスペンサー銃よりは劣るが汎用的でありエンフィールド銃と変わらぬ射程を持ちながらも連射性に優れている代物だ。

 因みに、優れているスペンサー銃を使用しない理由は簡単なことで銃弾を始め、何から何まで輸入に頼らなければならないという欠点。それによりコストが嵩む上に国防軍として補給を外国頼みにするのは如何なものかということで見送られた。


 閑話休題。


 薩軍と政府軍の装備の差としてはこの様なものだ。結論から言えば、新政府軍の方が近代戦に向いている戦い方において充実した装備となっている。だが、実際には色々と議論が出て来る。例えば、エンフィールド銃とスナイドル銃の性能だ。


 確かに、スナイドル銃はエンフィールド銃を改良した銃であり、連射性に優れている。しかし、連射性を上げるために犠牲にしたものがある。それが命中精度だ。

 スナイドル銃では薬莢内に発射薬が密封されており、火薬を簡単に調整できない弾薬を使う。そのため、射程や威力を強化するために発射薬量を増やしたり反動を抑えるために薬量を減らすというエンフィールド銃以前の前装式で長く使われてきた手法が使えず、熟練の射手程使い辛さを覚えたと言われる。

 だからこそ、士族を中心として結成されている彼ら不平士族からすれば狙いが正確なエンフィールド銃でも十分に勝機はある……と見込んでいた。


 実際には、徴兵制による兵隊に熟練のスナイパーなど稀であり文字通り「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の精神で撃てる連射性に優れたスナイドル銃の方が向いているという現実があるのだが。


 そのため、少なくとも銃の観点から見た場合、理論上では互いの強みがぶつかり合う戦場になる……はずだった。


「全隊に告ぐ! 決して気を抜くな! この地を、この国を守る為に死力の限りを尽くすのだ!」


 号令が下る。各地で弧を描きながら塹壕が進んで行く。戦端が開くまでこの号令からほぼ時間はなかった。



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