北の地

「今日も寒いのぉ」

「だな……」


 京の町で咲が花園に閃きを与えてしまった店に風営法の許可が下りた頃。その遥か北の大地にて二人の男が向き合っていた。片方の男の傍らには見目麗しい女性が佇んでおり、彼女は何も言わずに成り行きを見守っていた。

 季節は冬に入ろうとしている頃。北海道の寒さは本州生まれと四国生まれの彼らの身には堪えるため、彼らは暖炉の他に酒で暖を取っている。酒が喉を焼いて体を温めたところで男は切り出した。


「で、今日は何用だ? 坂本……手紙の通りなら返事は書いたはずだが……」

「何、ちっくと土方君の様子を見にな! 最近どうじゃ?」

「……特に言うことはないな。ただ、忙しい」

「そうかそうか! やったら順調っちゅーことじゃな!」


 上機嫌な坂本と五月蠅い客が来たと不機嫌な土方。数え年にて同い年となる彼らは幕末の京の町では取り締まる側と逃げる立場の間柄だったが、北の地に来てからは時折会っては話をする程度の仲になっていた。


 しかし、仲がいいとは言っていない。


「にしても、今夜は冷えるのぉ。軍鶏鍋で一杯やるか?」

「相も変わらぬ図々しさだ……家に軍鶏はない。牛ならある」

「おぉ! なら牛鍋といこう! お龍! お琴さんに頼んできてくれ!」


 図々しさが天元突破している。土方はそう思いつつも彼がここに来た用件を思うと何も言わずに酒を運んできたきり、龍馬の隣で困ったようにしていたお龍に目で行動を促す。

 そしてこの場に土方と坂本以外に人がいなくなったところで土方の方から恐らくこの話だろうという中りをつけて切り出した。


「で、ここを離れて東京に行くらしいが……」

「おぉ。今、江戸は不況でがらんどうらしくてな。今の内に唾つけちょこう思うてここを離れるつもりなんじゃ」

「そうか。達者でな」

「ちょいちょい、それじゃ話が終わってしまうやないか」


 言葉数少ない土方に突っ込みを入れて話を続ける坂本。彼らの関係は常よりこのようなものだ。言葉少ない土方に坂本が絡んでいく。しかし、土方も別に話したくないからこのような態度を取っている訳ではなく、暇ではないからこそのこの態度だ。だからこそ彼は話が短くなるように進める。


「違うのか。なら、お龍さんを出した用件があるということだな? 早いところ話をしないと戻って来るぞ?」

「ハッハ、敵わんのぉ……ま、そんなに大したことじゃないんじゃが……一つ、礼を言っておきたくての」

「礼……? 何のだ?」


 訝しげな顔になる土方。彼に坂本が手紙だけでなく直接会いに来て礼を言うようなことをした記憶はない。しかし、目の前で坂本は居住まいを正して深々と頭を下げたのだ。


「ここだけの話じゃが……まぁ、何というか……あまり大きな声では言えんが儂はのぉ、瘡毒にやられとったみたいなんじゃ。それを壱心くんの薬で治された」


 そう言われてみれば、と土方は彼が蝦夷の地に来た時のことを思い出す。額は広くなり、呂律も怪しくなっており、足元すら覚束なかった。しかし、しばらくした後にそういった類の症状は見なくなっていたので長旅の疲れか何かが出たのだろうと思っていた。


(瘡毒だったのか……それは確かに妻の前では言い辛いだろうが……いやしかし、だからなんだ?)


 だが土方には坂本がそんな状態になったとしても礼を言われる筋合いはない。彼の実家である薬屋にもそこまで進んだ梅毒に対する治療薬はないはず。それに坂本の話では壱心に助けられたとのことではないか。わざわざ自分に言いに来ることか?


 土方がそう考えているところに坂本の話が続けられる。


「まぁ壱心くんにはこれで何度目だと言わんばかりに助けられとってのぉ……それで今回も色々と言いに行くついでに手土産を持って行ったんじゃが、礼は受け取るがモノは受け取ってくれなかったんじゃ。で、儂が何度も何度も、それこそ仕事中にも食い下がって出て来たのが土方君の名前っちゅーことじゃ」

「……俺?」


 壱心にとっては非常に迷惑な客だな……彼がそう思っていたところに急に自分の名を挙げられ、訝しげな顔になる土方。それを見て坂本は苦笑する。


「詳しいことは機密事項じゃて教えてくれなんだが、土方君が北の地で作っとる何かが壱心くんが今回儂に使った『抗生物質』とかいうもので重要な役割を果たしとるっちゅーことらしい」

「何だ……?」

「で、礼を言うならそれを十分に作ってくれている土方君に言っておいてくれ。自分の分まで入れてくれたらそれで自分への礼はチャラっちゅーことらしい」

「ふん、自分で言いにくればいいものを……わざわざそんな下らんことで自分への恩を一つなしにするとは……」


 口ではそう言いつつも照れ隠しの様に顔を背けてしまう土方。この抗生物質とは言わずと知れた原始製法で作られた天然ペニシリンであるペニシリンG。壱心にとって他所への流出を何よりも嫌っている薬だ。土方も戊辰戦争の後、かの戦いで重傷を負った際に世話になった薬で香月組の機密事項であることは知っている。ただ、そんな重要な薬を作り出す工程の一つに自分が入っているとは知らなかった。


(そうか……俺は確かに必要とされてこの地に送られていたんだな……)


 土方は確かに安堵してしまった。この地に送られてというものの、体よく自分をこの誰も行きたくない土地に生贄として送りたかっただけではないかという疑念があったのだ。

 かつて、蝦夷共和国としてこの地の治政の権限を求めた彼だが、今やっていることは開拓で、内容としては主に農作業の指示や畜産、精々あって町作り。確かに、大名が見るような景色で仕事はしているが、軍備は全くしていないことからまるで自分の適性は農民だと言われているかのように感じていた。

 それが今、香月組の中でも機密事項に携わっているという自覚を持ったことで意識が変わる。言ってくれればいい物を。そう思わないでもないが、それだけ大事なことだと理解するとこれまでの疑念が氷解し始めるというものだ。


「あぁ、土方君。一応言っておくが……極秘事項じゃからな? しつこくしつこく付きまとってもどれが関係しているのかは儂にも教えてくれなかったぐらい秘匿されちょる。くれぐれも……」

「分かってる」


 坂本の言葉に被せるように土方はそう言って言葉を切る。少し会話が途切れるが坂本はそわそわしながら料理を待つ素振りを見せるだけだ。それを土方は見咎めるが、少しの沈黙であれば思考するのに好都合とばかりに放っておくことにする。


(何だ、最初にこちらに送る時に説明してくれた通りじゃないか。俺の組織を運営し、動かす力を買ってくれていると……それをまぁ俺は勝手に……)


 子ども染みていた自分の考えを戒めて口の端を一瞬だけ緩めてしまう土方。それを見て坂本も土方に見えぬように薄く笑う。


(全く、壱心くんもこう見ればまだまだじゃのぉ……利で人を動かすのは得意じゃが、人が動くのは何も利のみじゃない。心っちゅーもんがあるんじゃ……まぁその辺は周囲も一緒にやらんと、彼一人じゃ厳しいじゃろうがなぁ……)


 土方の様子を見て坂本はもう心の整理は付いただろうと頷き、会話に戻る。世間話によもやま話、未来への話をしていると鍋が出来上がるまでの時間などあってないようなものだった。


 その日の夜、彼は久々に心のつかえがとれたように酒宴を楽しむことが出来た。その夜、琴の隣で彼は福岡の壱心宛に手紙を綴る。


 だが、その手紙を壱心が読むことが出来るのは翌年の事。河上彦斎による襲撃の傷が癒えてからになるのだった。




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