日本で初めて

 咲が月形から依頼を受けた時には両手でも足りなかった程にいた新事業を起こした名家の方々。しかし、今残っているのは既に片手で足りる程の数になっている。


 そんな彼らだが、まず第一問題として咲から要求したのが帳面だった。先程までは提出に渋る者ばかりで話が進まずに提出を求めなかった。だが、今回はすんなりと全員が提出してくれるため咲はそちらから見る。


「……これは、何屋ですか?」


 開口一番。咲はそう尋ねた。既に今日の町に張り巡らせた情報網から目の前の彼が何をやっているのかは想像は付いているが、色々とオブラートに包んだ結果、咲はこう尋ねる他なかった。


「先程までの方々にもいらっしゃいましたが、団子屋です」

「……仕入れに小豆と、砂糖しかないのですが」

「はい」


(はいじゃないんですが……)


 頭を抱えたくなる咲。しかし、彼女の頭を悩ませるのは団子屋の主だけではなくもう一人いた。古道具屋の主人だ。


「こちらは……何と言いますか、売掛に雑貨としか書いてないのですが」

「その通りですから」

「……何を売っているんですか?」

「随分と昔から家の蔵にある骨董品ですね。最初はよかったのですが、価値のあるから売れていったので最近は……」


(……帰っていいですかね?)


 事業が本格的に困っている人物の内、古道具屋と団子屋の主人は仕入れの意味を分かっていなかった。


「あのですね……団子の餅代や古道具の元の値段はどこにいったんですか?」

「もち米はウチの知行地から無料で来ているので……」

「古道具も家に昔からあったものなのでお代はないので……」

「…………どこから何を言えばいいのか……」


 何にも言えなくなってしまう咲。しばらくしてからようやく復旧した彼女は一気に仕入れの意味を捲し立てた。そこまで行ってようやく彼らは意味を理解する。


「……成程。私たちがお金を払っていなくとも材料費としているんですか」

「その通りです」

「米代……幾らにすればいいんですかね?」

「それは周囲の金額を見てご自分で決めてください……」


 言いたいことをぐっと飲み込んで咲は丁寧にそう絞り出した。ただ、取り敢えずこの問題が重大であることは理解してくれたようなので二名はそこで終了だ。

 ただ、一筆は書いてくれなかったので後で咲は自分の部下を回す必要が出てきたが咲が苦労するわけではないので別にいい。


 残るは後一名。実際はもう一人いるが調査の結果、そいつは咲を口説こうとしてこの場にいる名家のお坊ちゃまで今の時点で事業に問題はない男なので無視する。

 尤も、不平士族の乱が勃発し、インフレが進めば名家とてどうなるかは不明だがそれは誰にでも言えるので目を瞑っておくのだ。


 それはさておき、最後の一名だ。幸薄そうな彼はこの時代の武士には珍しく、女性に対してへりくだってお願いして来た。


「最後になりまして誠に申し訳ございません。お手数おかけいたしますが、どうか当家の商いを正してくれないでしょうか」

「……お話は伺いましょう。まずは何屋をしているのか。そして、どういった内容で困っているのか。ご教示願えますか?」

「はい……」


 恥を忍んで。そう言った面持ちで彼が告げたのは彼の兄にあたる男が開いた蕎麦屋の経営についてだった。

 当初、贔屓にしていた蕎麦職人を引っ張って来て開く予定で開店してから一月はその通りに行っていた。しかし、すぐに我儘な彼の兄と頑固な職人が仲違い。そこからは転がり落ちるように売れ行きが悪くなっているとのことだ。


「……まぁ、素人の蕎麦ですし、割とどうしようもない気もしますが」

「いえ、味は悪くないのです。材料はいい物を使っていますので。ですが……」


 彼は暗い顔で続けた。曰く、一食当たりの麺の量は決まってこそいないものの、多く作るも少なく作るも手数は一緒として作りやすい量を作り、頼んでない量まで盛り付ける。加えてその増やした分の代金まで客に計算させて支払いを任せているという。

 連日、客は増えるが客層は悪化。少ない量を頼んでも大量に盛り付けられることから少量を頼み、代金は割増しの分を適当に誤魔化して最低限しか払わない。酷い場合にはツケで計算を故意に煩雑なやり方にされて何食分か分からない程に誤魔化されるという具合だ。


「……そこまで分かっているのでしたら、何故ご自分で止められないのですか?」

「そんなお客しかもう来ていないからです……今、止めたらどうなるか……それに兄は未だ武士のつもりなんですよ。ですから、自然と主要なお客である庶民を見下し、それが相手に分かる。

 それですっかりお客は離れてしまって……今あの店にいるお客は兄に見下されているというのを理解した上でおだてて利益を貪る輩だけなんです……なので止めると、お客がなくなってしまう」

「なるほど。では一度、思いっきりそのプライドを圧し折って見ますか」

「へ?」


 どうやらストレスが溜まっていたらしい咲。いきなり過激なことを宣った。男が予想外の方向からぶん殴られたような顔をして咲を見ても、彼女は艶やかに笑っている。


「四則計算が出来ない程度の輩が他人を見下すなど片腹痛い。他人に偉そうな口を叩いて注文つける立場じゃない……そう思わせればいいんですよね?」

「え、いや、あの……私は経営の相談をしていたのでして、なるべく穏便に……」

「その兄をどうにかしなければどうにもなりませんよ。では、行きましょう」


 有無を言わせぬ口調。男二人を連れて咲は件の蕎麦屋を目指した。



 鰹出汁と醤油が香る店の前。そこに一行は集まっていた。非常に美味しそうな香りを漂わせているが、経営相談のために色々と回っている間、様々なものを食べていた咲は別に何か食べたいという気分でもない。


 しかし、中に入ると注文もなしに蕎麦が茹でられ始めて注文を決める頃には駆け付け一杯と言った形で蕎麦が出て来た。


「……まだ注文してないんですが」

「ウチは蕎麦を売っている。ウチに来たのであれば蕎麦を買うのが筋だろう」

「兄さん……」

「お代は三銭だ。そこに置いて行け」


 ぶっきらぼうな男にそう言われた途端。咲は作り上げられた何の意味もない笑顔で一円金貨を三枚、男に向けて適当に投げた。


「なっ……!」

「貴男の時間、買わせてもらいます。計算が出来なくとも流石に金貨と銭貨の違いは見れば分かりますよね?」

「ちょ……香西様! ご乱心為されましたか……!?」


 依頼人の言葉によって彼の兄は目の前の女が誰であるか何となく理解する。京の町で名高き美女、香西。相手を黙らせるために金貨を投げつけるだけの財力を持ち合わせている美女となれば相手は一人。明治の元勲、香月壱心の妾、香西咲だ。


「……殿上人様が何のご用事で」

「あぁ、少々ばかり面倒を見て欲しいと頼まれましてね。逆らえぬ立場を利用して好き勝手振舞い、自らの利益をなくしている者の前で同じようなことを実演し、我が身を顧みさせようとしているところですよ」


 皮肉っぽく返した言葉に更に皮肉をぶつけられ実際に何も言えなくなる店主。彼はただ黙ってこの場に咲を連れて来たであろう弟を睨みつけるだけだ。しかし咲はお構いなしに続ける。このややこしい手法は彼女の主そっくりだ。


「さて、ここで私が偉そうに振舞ったところで何の利益もありません。もっと言うのであれば人望を失うだけです。おしつけがましく自分が考える利を相手に投げつけましたが、御覧の有様。これは後々の計算が出来る者にあるまじき行動ですね」

「……言いたいことは分かりましたよ。はいはい、お引き取り願いましょうか」


 先程、適当にお代を置いて行くように言ったことに対する嫌味だと判断し、自分が四則計算小人の技が出来ないということを馬鹿にしていると感じた店主はそう言って咲のことを適当にあしらう。だが、咲は更に続けた。


「おや、貴方は相手が要らないと言った料理を下げたのですか? 私が聞いている話では客が要らないと言っても自分が相手に出したい分だけ出してお代を要求したと聞いています。現に今、私たちはそうされましたが」


 苦虫を嚙み潰したような顔になる男。咲は完全に相手をいたぶるモードに入っている。日頃の彼女からすれば珍しいことだが、今の彼女は折角、壱心から贈り物を貰って上機嫌だったのをぶち壊されて攻撃的になっているようだ。


「噂では自分が押し付けた分を貰うのは当たり前、気が乗らない時は品を出さずに文句だけ出して金は毟る。凄いですね? お金を貰って文句だけ出し、相手に恥をかかせる仕事ですか。画期的ですね。私もやってみたいものです」

「……いかな香西様と言えども、言っていい事と悪い事がありますぞ」

「これはこれは……まるで自分は言っていい事、やっていい事の分別がついているかのような言い草ですね。でしたら何故敢えてやるべきではないことを行って弟様に不安を抱かせるのか。私には理解できませんが」


 あまりに無礼な物言い。流石の店主もこれにはたまらずにぶち切れた。そして彼はやってはならないことに手を出してしまう。


「香西様!」


 鋭い声が飛ぶ。咲の目の前には麺切包丁が飛んで来ていた。咲はそれを冷たい目で見据え、上体の動きのみでそれを躱す。


 包丁は壁に激突し、机の上に音を立てて落ちた。


「……やはり、やっていい事と悪い事の分別が付かない愚か者でしたか」

「お前が! 香月様の名がなければただの女のお前が言うな!」

「香西様! 申し訳ございません! どうか、何卒命だけは!」


 正反対の対応をする蕎麦屋兄弟。咲からすればちょっと自分の行いもやり過ぎだという自覚があり、そろそろ落としどころを探らなければならない。

 そう思ったところででふと咲は先程から黙っているもう一人の男の熱烈な視線を感じ取った。


「……何ですか? 今回の一件、別に大事にしようとは考えていませんが」


 彼の視線に適当な意味を持たせることでこの場の収拾の糸口にすることに決めた咲。だが、彼の口から出たのは咲が予想だにしないことだった。


「羨ましい……」

「は?」

「香西様、折り入って頼みがあるのですが……」

「今ちょっと立て込んでいるので後にしていただけませんか」


 何だか嫌な予感がした咲は蕎麦屋兄弟に意識を戻す。しかし、嫌な予感というものは的中するものだ。話を一気にまとめようと筋道を立てた咲が口を開くよりも前に男は高らかに宣言した。


「店主! 君のお蔭で俺は閃いた! 美しい女性の冷たい声は素晴らしい! 金を払ってでも聞きたいと思う!」

「ちょっと話がややこしくなるので止めてもらっていいですか」

「金を貰って相手を罵倒し、恥をかかせる仕事……結構なことじゃないか。香西様やってみたいと仰って「私は今の仕事で手一杯です」左様でございますか……」


(何ですかねこの人……本格的に気持ち悪いんですが……)


 何かもうドン引きしてしまう咲。先程まで火が入っていた蕎麦屋の店主も何とも言えない形になって落ち着きを取り戻している。それはそれで逆に自分がとんでもないことをしてしまったことを自覚させ、別の問題を発生させていたが。


「ふむ、香西様がやってくれないとなると少々困りますね……香西様、少々お耳を拝借したいのですが」

「拒否します」

「でしたら、蕎麦屋の店主。先程、私は貴方が羨ましかったのですが理由は分かりますか? その顔を見る限りでは分からないようですね。いいでしょう。語らせていただきます。まず、香西様の美貌は素晴らしいです。日常生活を送っているだけではまずお目に掛かれない美女。そんな彼女が事業に失敗し、やさぐれている冴えない男に怒っているのです。しかもその内容が相手を心配してのこと。加えて、相手のことをよく知った上での内容ですよ? 分かりますか?」


 分かりませんと顔に書いている。しかし、男は問いかけに対する答えを求めてはいなかった。ノンストップで続ける。


「あぁ……一見すれば受ける側は不快感にざわめくことですが、真意に気付くことで得られるこの解放、そして悦楽。それを一身に受けていられる貴男が羨ましい」

「……何だこいつ。お上の趣味は分からん」

「一緒にしないでください。それにこの方……名を出すと親族の方に怒られるやもしれませんので名は伏せますが、かなり名家の方です。香月様よりも」

「……仮に事業として立ち上げる場合、香西様のような余程の美女であれば最後に許しの言葉を入れるくらいでいいんですが。おっと、勿論私であればそんなものなくとも悦びますが、一般の方だとまだ難しいかと」

「聞いてません」


 勝手に語られる言葉を咲は無視するが隣にいる以上、嫌でも耳に入って来る。


「ふむ、ですがやはり同性から羨望の眼差しを受ける程の美貌がなければ罵倒の不快感に対する解放が足りませんね……そこはやはり、性欲という形で物理的に発散させることにして、となると風営法の許可が必要か……」


 ただ一人の男の言葉で蕎麦屋の経営相談は崩壊してしまった。咲も今回のところは失敗と言うことで退散する。

 だが、男は帰らなかった。翌日に蕎麦屋の弟から話を聞いたところ、店主に延々と話を続けたという。店主は話を切り上げようとしたが、男が話を続けたいと実家に移動するように誘ったところで家の名を知ってしまい、彼の拒否権は消滅。


 この一件により、望んでいないものを上から押しつけられる不快感をまざまざと理解した店主は心を入れ替えて仕事に励むようになったという。経営が上手く行かなくなった場合、名家の子息が彼の閃き発祥の地としてこの地を買い取り、事業を行うと共に発祥について記すといったのも非常に効いていたことだろう。


 尚、非常にどうでもいいがこの一件により日本で初となるソフトSM的でイメクラ的な何かが島原に出来るが、その店の軌跡については割愛させていただく。



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