研究所見学

 1875年が始まったばかりの頃に伊藤博文、大久保一翁を前にして富国強兵のために動くことを決めた壱心。話はその半年ほど後、1875年も半分に至ろうかとする頃のものとなる。


 彼は西新に創設した基幹技術の育成と研究を目的とした施設、西新産業総合研究所に大勢の人間と共にいた。

 壱心がこの場にいる理由は方々の有力者が自分も壱心と同様に産業を育てたいと考えてはいるが何をしたらいいのか分からないため、技術者の教育に協力して欲しいという要請を受けてのこと。


 ……尤も、この産業育成はただの口実であり、実情は有力者たちが企画した壱心へのお目通りとなるが。

 その証拠に、この場にいる者たちは実担当に加えて必ず管理者クラスの権力者がいる。本当に技術を教えて欲しいというのであれば実担当者たちと研究員たちで話せばいいだけのこと。わざわざ権力者が出て来るというのは、今後のお付き合いもどうぞよろしくという意思表示だ。

 

 ただ、挨拶が目的であるのであれば会食など他にも手法がある。そんな中で彼らが何故こんな回りくどい真似をしているのかと言うと、壱心が執務と事業を口実にして中央どころかあまり人前に出たがらないことに業を煮やした地方有力者とそれに便乗して中央の権力者が交流を交わそうと企画したことが原因だ。方々から調整がかけられたので壱心も出ることになった。

 そんな訳で、今回の参加者は明確な理由があれば壱心がその申し出を断ることが出来ず、壱心自身が出て来なければならないと判断するような階級の人々になる。


「こちらが今回ご紹介させていただく軽工業開発区分になります。ここでは蚕や綿を中心とし、毛皮や麻、木綿など多岐に渡る繊維を研究しております」


 そんな重要な今回の工場見学のメンバーを案内するのは香月利三。現在、権力者であれば間違いなく、そして西日本の商人であれば大小問わずその名を知らぬ者はいないとされる政商だ。

 彼の傍らには壱心から軽工業の内、繊維技術を任されている織戸が控えており、唐突な質問にも万全の態勢で答えられるようにしている。ここで顔を売れば地方にも中央にも更に強力なコネクションが出来るということで彼らは張り切っていた。特に織戸は製糸場の試運転の際に疑念を抱かれてしまう結果を出してしまっているので汚名返上とばかりに息巻いていた。


 だが悲しいことに相手の反応は芳しくない。ここに居るお偉方の目的は壱心との顔繋ぎであるため、見学は取り敢えず来ただけという者が多く積極的な見学……例えば、各部屋で行われている作業等について興味を示して質問にまで至るような者は数える程しかいなかった。時折利三が挟む利益の話に反応する者はいたが。

 ただ、多くの者がこの後の会食のことを考えている中でその特定の質問者たちは目の前の光景にしっかりと疑問をぶつけてくる。殆どの者が壱心の成功をコネによるもので、そのコネに対しておこぼれを貰いに顔繋ぎに来たのに対し、一部の者はきちんと技術を評価し、それを手にしようと見学しているのだ。


「アレが、兎の解体ですか。もっと効率の良いやり方はないものでしょうか」

「今のところは。ですが、色々と考えてはいますよ」

「ほう、例えば?」

「品種改良です。食肉用の兎と採毛用の毛長兎に分けることで……」


 後の世であれば残酷だという理由で見ることが出来ないような工程も通常通りに見学しながら会話する一行。兎は明治初期、投機対象になっており見目が良い兎を得れば一攫千金ということで無計画に増やし、面倒を見切れない分は野に放つ……のであればまだしも、堀に捨てたりすることで地面の至る所に穴が開き、道路的にインフラ問題となっていた。

 そのため、そのよい処理方法についての案がないか考えていた者たちの興味を他の話より強めに惹くことになる。説明を続ける織戸の隣で利三が兎の売買についての話をし、何か取り交わしていたのがいい証拠だろう。壱心は横目でそのやり取りを見て内心で呟く。


(買い叩いてんな……まぁ品質も並以下だし、相手も厄介者が多少でも金になると喜んでるみたいだからこれ以上は言うまい。それはさておき、兎を本格的に事業にするなら品種改良がいる、か。確かにそうだがどうするか。半世紀後の日本白色種みたいに食肉と毛皮の両方で進める手もあるが……その辺はコストメリットの問題だな。今から考えても仕方ない)


 織戸の説明を聞きながら壱心は逆さ吊りにされ、血抜きをされている元兎に目を向ける。隣からはその光景を見ながらの解説が続けられた。


「今は前処理の段階ですね。生皮はこれから脱脂を行い、ミョウバンと食塩によるなめし工程に入ります。なめしが終わってからは仕上げですね。仕上げでは加脂によって皮繊維に油脂を浸透させ、加水と揉み解し、乾燥のサイクルを繰り返して柔軟性を高めます。その後、毛並みを整えることで製品になります。肉の方は内臓を傷つけないように取り出して食肉工場の方へと運ばれます。その後はまた別工程ですので詳しくは存じません」


 工場見学を名目としてこの場に来ているお偉方は織戸の話を何となく聞き流し、口実として連れて来られている技術者たちがよい勢いでメモを取っている。因みにメモ書きに使用しているのは鉛筆だ。今回のような特別な来客に配っている。

 この無償提供の主な目的は文字を小さく、早く書くことが出来るようにすることで多くの情報を持って帰り、展開しやすくすること。そして、輸入品を無料で提供するだけの余裕があるという利三の会社の権威誇示だ。


「では続いてが今回の主題となります。養蚕と製糸業についての技術報告会です」


 技術者たちが鉛筆とそれを書くに適した紙におっかなびっくりで文字を認めつつ工場見学をしていると彼らは目的地に着いた。

 そこでは蚕の成長サイクルについての説明がパネル式で書かれていた。明らかに工場見学されるために設置されているものだ。


「ここでは順路に従い、養蚕業についての説明が記されています。まずは蚕の生態について。次に、養蚕にあたって必要な条件や適した環境。続いて奥の方には製糸に移る工程と製糸の内容、それから副産物についての説明があります」


 利三の言葉を聞きながら目の前のパネルに目が向かう。流石にこの場にいる面々は読み書きが出来るので詳しくは勝手に理解してくれそうだ。


「ほう……」

「温度、ですか。虫なんぞ適当に餌を与えておけば勝手に育つと思っておりましたが……ほー、その餌も細かくしたり色々とあるんですな。しかし虫の癖に好き嫌いとは生意気な」

「赤子を育てるみたいなものですかな。食事の用意から糞の処理まで」


 流石に今ホットな話題である製糸業については食いつきが違っていた。加えて、パネルの前で止まっていることであまり興味がなくとも読む者が増える。

 ただ、技術者たちは端に興味だけで覗いている者たちとは違う目でパネルと……それから香月兄弟のことを覗き見た。


(……何と言う。これは、いつからこの技術を……まるで目の付け所が違う。無駄を省いた徹底的な効率主義。日頃、そういうものだと割り切ってやっている作業をここまで削るのか……)


 彼が驚いたのは桑の採取から徹底的に時間を省略しにかかっている手法だ。まるでそれが当たり前のことのように書いてあるのでお偉方は気付いていないが、それは当時の一般的な手法とは全く異なっていた。


 まずは桑の採取。人が桑の葉のみを摘むのが当たり前だったのに対し、パネルにはその手法の他に枝ごと採って来て桑こきと呼ばれる道具を使用して木の台に固定された鉄の刃の間に桑の葉を挟んで引き抜くことで葉をこそぎ落とすという手法が紹介されている。

 また、稚蚕ちさんと呼ばれる孵化したばかりの小さな蚕が食べられるように桑の葉を細かくする作業についても通常用いている桑切包丁ではなく桑切器が使用されており、包丁を上下するだけで桑の葉の方が少しずつ移動することで効率的に桑を切ることが出来るという紹介もある。

 加えて除沙も当然の様にも最新式だ。蚕網を使用することで桑の食べ残しや蚕糞を効率よく処理出来るようになっている。

 果ては集繭が楽に出来るように設置されている回転蔟かいてんまぶしだ。蚕が成長し、繭を作ろうとする段階である上蔟には上にのぼる習性がある。この習性を利用するのだ。木枠に区画蔟をセットした状態で下に置き、熟蚕を入れると蚕は習性に従って上へ向かう。その後、木枠を吊るすと蚕は更に上に向かって上の区画内で繭を作る。それによって重心が変わり、重くなった上部が下へ回転する。それが繰り返されることで区画内に均一に繭が出来、後工程が楽になるという手法だ。


(まさに画期的……普通なら隠すものだが……)


 畏敬、疑念、様々な感情が込められた目が壱心に向けられる。その感情は当たり前のもので、冗談めかして感動を口にする同業者がいたのも無理はない。しかし、その場は曖昧な笑いで有耶無耶にされ、実際にパネルが使われている場所に向かうことになった。


 その陰で、壱心は内心で暗い声を漏らす。


(隠せる訳ないだろ……他人様の発明を勝手に借りておいて……どれもこれも俺が考えたわけじゃない。今からすればまだ生まれてすらいない先人たちの知恵の結晶を、俺が独占なんて出来る訳がない……)


 桑こき、桑切器は大正期の福島。回転蔟も大正期だがこちらは山梨。それぞれ、先人の賢智が詰まったものだ。しかし今、壱心が使い広めることで彼らが発明することは永遠になくなった。


(悪いとは思う。だが、それでも俺はこの技術をこの国のために使わせてもらう。許してくれとは言わん)


「では、早良製糸場とその近辺の養蚕業者たちの下へ向かいましょう……兄上?」

「あぁ」


 謝るべき対象はまだ生まれてすらいない。しかし、壱心はそれでも謝意だけでも記し、移動を開始した。

 


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