士族の商い

 さて、時は既に西南戦争が勃発している1877年に至った壱心たち一行だが、その前に一度彼らの足取りについて挟ませてもらう。

 と言うのも、壱心が河上彦斎の襲撃によって倒れてしまったこと。そして彼が目を覚ましてからすぐに西南戦争が勃発したことにより、その前後の彼の動きとそれがもたらす影響についての話は問題性よりも読者にとっての話題性を求めるどこかの新聞の一面の様に差し替えられてしまっていたからだ。


 これから語られるのは1875年に壱心が福岡で襲撃される前、東京で何をしていたのか。そして、壱心が目覚めてから西南戦争に至るまでの間に起きた小さな出来事の話だ。




「はぁ……大阪会議の後始末まで終わったかと思えば今度は東京か……」

「そちらも私が行くことになるのでしょうか?」

「……付き合ってもらうぞ」

「では……」


 1875年の東京某所。壱心は隣にいる咲から金銭の請求を受けながら溜息をついていた。その年の前年である1874年に板垣退助と後藤象二郎によって設立された愛国公党に続く組織、愛国社との会議に参加し、立憲政体樹立の詔の草案を考えてようやく福岡に戻ったというのにまた東京に呼び出されてうんざりしているところだ。


 因みに、史実で大阪会議と呼ばれる出来事に相応するこの出来事だが、これもまた史実と異なる流れになっていた。

 まず、史実で民権派にいることになる木戸孝允が大村益次郎に説得されたことで政府側にいるため、参加者が変わった。政府側に大久保利通、香月壱心。民権派は板垣退助、後藤象二郎というメンバーになったのだ。因みに史実でこの会議に参加していた木戸は病気療養のために欠席している。

 このような流れのため、現状に不便はあるものの愛国社の面々にはそれほど期待を持っていない大久保が史実以上に今回の話に乗り気でなくなっていた。そのせいで紆余曲折が生まれてしまう。何とか結論として大久保に立憲政体樹立を認めさせる形に持って行けたはしたのだが。

 だが、代償は軽くなかった。君が言い出したのだからということで、壱心は国会開設方針の決定や元老院(憲法作成・立法諮問機関)に大審院(最高裁判所)、地方官会議(府知事や県令を集める会議)という近代化への大きな枠組みへの意見提案を求められ、多忙を極めることになる。

 加えて、この年……1875年には讒謗律という過度な社会風刺、そして現代で言うところの名誉棄損に値するフェイクニュースを抑える条例が発布されるに当たって壱心はそちらにも介入していたため、それらが重なって過労状態になっていた。


 それらの大任がようやく一段落してやっと息をついたところに今回の来訪者だ。壱心が溜息をつきたくなるのも分かることだ。

 しかしそうも言っていられない。今回の来訪者は大阪会議で仕事を任された壱心がこの短期間で一息つくレベルにまで進められた功労者なのだ。壱心から言わせてもらえばそもそもこの男が大阪会議に自分を斡旋しなければよかったとは思わなくもないが、終わってから言う事ではない。


「……壱心様、お見えになったようです。先の用件と、こちらが密告の情報です」

「あぁ……ありがとう。さて、面倒だがやるか」


 気配察知能力に優れる咲からの報告を受けて壱心は居住まいを正す。程なくして現れたのは……史実における初代内閣総理大臣。


 伊藤博文、その人だった。




「ご無沙汰しております、閣下。本日はご対応いただきありがとうございます」

「いえいえ……」


 現れた壮年の男を前にして壱心は表面上、紳士的に振舞う。同時に、もう一人の訪問者を見ると彼の方から挨拶してくれた。


「大久保一翁いちおうにございます。本日はご多忙のところ恐れ入ります」

「あぁ、御高名は兼ねがね……」


 そこに居た老年の男性は大久保一翁だった。現東京府知事であり、かつての戊辰戦争の際には勝海舟、山岡鉄舟と共に江戸城無血開城に尽力した御仁だ。

 思っていた以上の大物の来訪に壱心の方も身構えてしまう。


(……殖産についての話が聞きたいと聞いてるんだが? どういうことか……)


 事前に聞いていた話と違うと思いながら壱心は伊藤を少し見る。彼はお茶を配る咲の方に気を取られていたが壱心の視線に気付くと咳払いし、茶を口に運ぶ。


「ンんッ。失礼……ほう、これはいいものですな」

「あぁ、伊藤様に言ってもらえるのでしたら安心ですね。八女で採れた一番茶ですよ。中々のものでしょう」

「これが噂の……香りも味も、噂以上です」


 さり気なく宣伝を入れる壱心。しかし、このお茶と言うのは相手の語りたい話題にとっても渡りに船だったようだ。


「いい味をしておりますな。噂ですが、閣下は茶葉の収穫量をかなり増やすことに成功されたとか。売れに売れて仕方ないでしょう。羨ましい限りですな……」

「そうですね。香月殿もご存知かとは思われますが、前任の大木(喬任)が所謂、『桑茶政策』なるものを立てたはいいものの、荒れ放題で失敗続きでしてな……」


(あぁ、この話か……殖産というよりは士族授産に失敗した輩の救済処置が欲しいわけだな……だったらそう言え。別に隠しはしないんだから……)


 自分が呼ばれた理由を察する壱心。彼らからすれば、自分たちが失敗し、壱心が儲けることが出来た理由の一端でも聞き出せれば……そんな心算で直接話をしようと思ったのだろう。しかし、壱心は聞かれれば普通に教える。寧ろ、事前にその話をしてくれていれば担当の田中を派遣して詳細な説明をさせるぐらいだ。

 要するに、この一件で彼が出張る必要はない。それを理解した上で壱心はこの分に関しては短時間で話を済ませにかかる。


「……あぁ、そういうのはアレです。土壌が悪いんですよ。見た感じだと居住地をいきなり開墾して桑茶植えてますからね……土地は痩せてるし、通気性は悪くないと言ってもそもそもは粘土質の土壌。踏み均された居住地域になれば当然、通気性も悪い。pHも低めの弱酸性。茶葉を作るならまぁ悪くはないですが、桑を作るなら変える必要があります」

「そ、そうなんですか……」


 ざっくりと、しかし答えを一気にまくし立てる壱心。いきなりの解答に面喰らう両名だが、ここで理解されてしまえば細々とした話をする余地がなくなるので壱心は敢えてそうしている。二人の頭が壱心の言葉に追いつく前に壱心は提案と言う形で次のように言った。


「詳しく知りたいのであればウチの田中を派遣するので。お互いに忙しい身ですし何より、内務卿のお時間を取らせるまでもない事ですし」

「……! 是非、お願いしてもよろしいですか?」

「えぇ。予定の確認後、田中に訪問するように伝えておきます。それで話が付けば、後は担当の……まぁウチの桑田と茶山とそちら担当者で話を進めましょう」

「ありがとうございます」


 問題を部下に丸投げして壱心は視線で次の話は何だと訴えかける。しかし相手は何やら言い辛そうな雰囲気だ。桑や茶畑に関する話で好条件を出し過ぎたらしい。遠慮してしまっている。


(……この時間が無駄なんだが。仕方ない。折角だし、士族授産の失敗について触れておくか……)


「よっぽど困っていたみたいですね……」

「はは、お恥ずかしながら……香月閣下であればご存知でしょうが、この国の今はどこでもそうですが、例に漏れず東京も不況に襲われてましてな。何とかせねば、その一念で方々を駆け巡っている次第です。今回の話で先の桑茶政策の失敗の理由が分かっただけでも少しは進展が見られそうですが……」

「まぁそうですね……江戸の繁栄は士族の消費が大きく貢献していましたからね。参勤交代が終わり、幕府が倒れて静岡に移動してからはその消費者層の数が減り、更には秩禄奉還の話から秩禄処分の噂が広がって消費が低迷しているといったところですか」


 完全に他人事のように言ってのけた壱心。これには伊藤も少し思うところがあったようでチクリと刺してきた。


「いやはやその通りで……ですが閣下のところは随分と羽振りが良いようですな。早良製糸場の件もどうやら軌道に乗られているようで、まさに順風満帆といったところですか?」

「いえいえ、まだまだです」


 暗に早良製糸場を作る際に自分たちも貢献したことを示してくる伊藤。しかし、単発のみでしか押し出してこない辺り、強気に出るには少々薄い材料であることは理解しているようだ。ただ話の通り道としてはそれくらいでちょうどよかった。

 切り込んできたのは大久保だった。


「ご謙遜を。身内の恥を晒すようで恐縮ですが、東京では殖産も全く上手く行っておりませんでしてな……」


(……ここらで使うか)


 壱心はここで会談が始まる前に咲が自分に言った内容を切ることにした。その前にワンクッションとして、相手に一言入れる。


「いやいや、大久保様もお人が悪い。ここに来るまでに無数の兎が見えましたよ。あれこそ政府が事業を奨励した賜物ではありませんか」


 切り込んできた大久保の話の前で見え透いた地雷を爆破する壱心。思わず伊藤が庇いに出て来た。


「……閣下、あれはちょっと……もしや、分かっていて仰っているのですか?」


 あの光景が意味することを分かっていて言っているのか、そう言外に問いかけてくる伊藤。だが、壱心は一歩も引かなかった。


「何かご気分を害されることでもありましたかな。何分、東京の地より逃れた世界を知らぬ田舎者でしてね。福岡の外はとんと見当がつかぬ故に噂を基に推察させていただいたのですが」


 伊藤は壱心の言葉がどこか聞き覚えがある言い回しをしていることにすぐに気が付いた。しかし、壱心は敢えてそれを無視して続ける。


「責任感のない、戦しか出来ぬ運だけの大うつけに出来ることがよもやお二人の様な傑物に出来ない訳がないですからな」

「……とんでもないです。香月殿をそのように言う輩など、この国にはいません」

「そうですか?」

「えぇ」


(何を寝惚けたことを。いるじゃないか、目の前に)


 体裁的には冗談を言って笑っているように見せつつ冷笑する壱心。これが、面談前に咲から言われたこと……密告チクりだった。因みに弾はまだある。必要はないだろうが。

 この恫喝にも似た壱心の言葉を受けた伊藤は面の皮一枚で動揺を抑えているが、その代わりに会話のペースは完全に壱心に持っていかれてしまう。

 これが壱心の狙いだ。ただ、この狙いが目指すのは相手の居心地を悪くして早く帰らせるというしょぼいものだが。


「まぁ、今の流れからして食い詰めた士族が今人気の兎に手を出したが増やすだけ増やしたはいいもののその後の計画は何もなかった。流行り廃りも読めずに手を出して身を崩すものが増え、政府として余裕のない者への抑止力、そして儲けている者から取れる分を取るために課税したところ兎が持て余されてしまい野に放たれている……という解釈でいいですか?」

「…………ご賢察の通りでございます」


 知っていて惚けている。伊藤はそれをはっきりとわかっていたが、口に出すのは憚られた。壱心の持つ繋がりは伊藤の上の代にあたる大村、木戸だ。その他にも新政府重鎮と繋がりのある彼相手に藪をつついて蛇を出す行為はしたくなかった。


「でしたら、兎の買取をするように業者を斡旋させていただきます。ウチの狩谷という者に解体業を任せています。皮の剥ぎ方から加工、肉の捌き方から調理までの各工程の知識もあるので、処理には困らないでしょう。勿論、そちらがよろしければですが……」

「……よろしくお願い致します」


 その後、他にも話はあっただろうが彼らはほどほどに話を切り上げて出て行く。それを見届けてから壱心は一つ息を吐き、咲から渡されたメモに目を落とした。


「……権威を笠に着るろくでなし。正にその通りだ」

「自分の権威なので良いのでは? 別に、悪い事に使ったわけでもありませんし、長居されて時間を取られるのも嫌ですし。私に時間でお金払ってる壱心様なら猶更かと」

「お前は分かり易くていいな……まぁ、それぐらいがいいんだろうが……うん」


 歴史上の偉人相手に引け目を覚えながら接する壱心だったが、咲の一言で毒気を抜かれつつ詫びの代わりに富国強兵に更に協力していこうと思うのだった。




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