不平不満

 移動中に桜も合流し、壱心は眠っていた間の社会情勢について知ることになる。


 まず、彼女たちから報告があったのは壱心が眠りに就いて間もない頃に勃発した秋月の乱だ。各功労者に対する論功行賞、そして反乱者たちの処罰について報告が上がる。

 前者の功績者に対する論功行賞は既に済まされており、特筆すべき勲功については身内と後の歴史の有名人が掻っ攫っているという状態のため、壱心がそこまで気にすることはない。

 だが、反乱者については別だ。今後の事を考えた上で処罰を与える必要がある。それに加えて、史実と規模が異なる反乱となったため、記憶に修正が必要になって来るのだ。その史実と違う点として小倉藩の造反があった点についてが主だろう。

 小倉藩……今は豊津藩である彼の藩が史実と異なる道を歩むことになった原因はここから時を遡る事、約十年。第二次長州征討の頃にまで戻る。


 当時の福岡藩首脳部が長州と共謀して行った門司港の実効支配。これが原因だ。


 この時から小倉藩士は自分の領土を守る事が出来ずに誇りを傷つけられたとして謀略を実行した者たちに恨みを募らせてきたのだ。今回、それを起爆剤としてただでさえ藩の税収が減っているところに門司港の使用権が制限されていることによる困窮が小倉藩士を襲ったことが福岡藩への怒りとなって爆発した。

 勿論、今回の規模程度の反乱に全員が加担する程夢を見ていたわけではないが、一部の反乱者を止めに行かず、事が失敗に終わってから助命願いが出る程度には彼らの意見は福岡藩に非があるという考えでまとまっていると言えるだろう。福岡藩の施策により居住者が流出し、更に税収の問題が出ているのも彼らの不満の鬱積に拍車をかけていた。


(こうなることは想定済みだが……感情を取り戻すというのはこういうことか……数多くやって来たことの一つというのに強く嫌な気分になる……)


 苦い顔をする壱心。小倉藩の者たちにも理はあるのだ。だが、彼の判断は揺らがない。処置を求める亜美に毅然とした態度で告げた。


「……特別な処置は取らない。通常通りの裁定だ。処刑、流刑、禁錮、謹慎、放逐を厳正に行ってくれ」

「……あの、方々より助命嘆願が……」

「亜美さん、壱心様は聞こえてない訳ではありません。次に行きましょう」

「……畏まりました」


 何か思うところがある表情をしている亜美。厳しい処罰は後に遺恨を残す。現実問題として萩の乱に合流した秋月の乱の敗残兵たちの強硬化が予想される。加えてそれ以後の近隣との内政問題もあるだろう。だが、壱心は何も語らない。そして、桜も底知れぬ笑みを浮かべるだけだ。亜美もそれ以上は何も言えなかった。


「……では、続けて被害報告に入らせていただきます」

「あぁ」


 続けて亜美の口から語られるのは今回の乱で生じた被害だ。福岡、博多から小倉にかけての幾つかの町々や各地において今回起きた秋月の乱に便乗する形で爪痕が残されることになった。

 それらの話を聞いた時点で壱心はその地域を対象に壱心は区画整理を行うことを決める。ただ、この時点では計画段階で止めるためここでは省略する。


「さて、ではこれからについてですが……」


 そう切り出したのは桜だった。彼女は秋月の乱に呼応して起きた萩の乱について語り始める。彼女の報告に壱心は先程の亜美の報告より強い関心を示した。亜美はそれが面白くない。しかし亜美の内心はともあれ、場は進んで行く。


 史実同様に秋月の乱に誘発された萩の乱。だが、秋月の乱が史実より早期に勃発したためそちらも早期に呼応していた。加えて、秋月の乱で小倉鎮台兵に敗れた者たちが合流したことでこちらの乱も秋月の乱のように大規模化してしまったのだ。

 特に、秋月の乱での首謀者である宮崎車之介、そしてその弟の今村百八郎の残党が前原一誠率いる殉国軍に合流し、一大勢力となって広島鎮台を主とした政府軍と争い続けている。


「中央よりこの件は福岡藩の影響が大きい事であり、速やかに増援を小倉鎮台から送るように要請が来ています」


 これらの結果を桜はそうまとめて言った。だが、壱心は冷静に尋ねる。


「……その顔、分かって言っているんだろう? すぐに手配を」

「畏まりました。ただ、派遣予定だった人員の内数名が同郷の士……身内との争いを疎んじて辞退、またこちらからも怪しいと睨んだ者を除外しているので」

「お前に任せた。それだけだ」


 壱心の指示の下、桜は命を下す。適切な指示は一月近くにも及んだ乱を史実同様に政府軍の勝利へと導く。そして、この乱の首謀者たちは捕らえられる。

 それは維新十傑で元参議だった前原一誠も同様の事であり、彼が捕らえられた際には壱心たちの下へ助命嘆願状が飛ぶが壱心はその時、火急の用にて福岡を離れており、彼がそれを見る前に前原も他の首謀者と同様に即日処刑されることになる。


 この問答無用の書契が、士族の不平を更に高めることになるのだが……この時、壱心は前原の死を聞いても落胆の表情一つ見せなかったという。


 閑話休題。


「……さて、残すところは……これか」


 そして壱心はこの場に移動する切っ掛けとなった西郷の手紙を少し掲げた。手紙というには少々長すぎる書状。ここへの移動中に亜美から話を聞いたことで流し読み程度には内容を理解しているそれ。


「西郷様からの手紙ですね……内容は」

「世間話と与太話。それからただの過大評価だ」


 そう切り捨てる壱心。実際の内容は不平士族たちの乱が各地で勃発していることに対し「立つと決した時には天下を驚かす」と士族の奮起を喜んでいる様子。現状の士族に対する扱い……主に今年の三月八日の廃刀令、そして八月五日の金禄公債証書発行条例……つまり、士族の精神と経済に対する冷遇措置のことを挙げて維新を成功させた彼らの窮状を嘆き、どうにかしなければならないという問題提起。


 そして、壱心と自分たち薩摩が立ち上がれば彼らの窮状を救うことが出来るのではないか……そんな提案がされていた。

 その内容を伏せて壱心は手紙を似たような封に閉じ直して桜に手渡す。そして彼女に告げた。


「桜、この手紙を秘密裏に……萩の乱の討伐隊に持たせて血で汚せ・・・・

「……畏まりました。自然に広めますか?」

「いや、話も決めて時期を定める……時期は萩の乱が決着してすぐだ。終戦の一報が入る前には俺がこの場にいない理由が欲しい。内容は博多の街を襲撃した秋月党の者が偶然この手紙を手に入れ、その内容を文字通りに信じて真偽を確かめるために俺に接触を図ったところを担当者が切り捨てた……そんな感じだ」

「承りました。手筈通りに」


(……面白くありませんね)


 圧縮言語で通じ合う二人を見て面白くない気分になる亜美。だが彼女は閃いた。この場で理解できていないことを口実に後で二人きりになり、そこでゆっくり説明してもらえばいいと。


(若返った日から何やら調子がいいですし……それに仙人様が治療する際に仰ったことが事実であるのならば……)


 内心で笑う少女。彼女たちはまた彼女たちで男たちとは異なる争いをしているのだ。目下、敵となるのはこの場にいる桜とリリアン。そして宇美だ。最大の敵である美人の守銭奴は壱心の代わりにてんてこ舞いでこちらに来る予定もない。


「……亜美さん。今は止めてくださいね? あなたの能力は惜しいので……」

「何のことでしょうか?」


 桜に釘を刺されたが亜美は動揺をおくびにも出さずに笑顔でそう返す。珍しく桜は微妙に困っているようだ。


「あの、これから大きな戦が起こる見込みですので……」

「……どういうことですか? また、乱が起きるとでも?」

「いや、次のはそんなもんじゃない……万と万が争うことになる戦争だ」

「なっ……」


 絶句する亜美。そんな彼女に壱心は静かに告げる。


「今、言えるのはここまでだ。これ以上を俺から語るのであれば次の戦争が様々な不運が重なった結果ではなくなってしまうからな……」


 静かにそう告げる壱心。動揺しているのは亜美だけらしい。


「では、私はこれで……」

「頼んだ」


 手紙の工作に出かけた桜を見送り壱心は亜美に秋月の乱の事後処理のために動くように指示を出す。誰もいなくなった部屋で壱心は独りごちる。


(「立つと決した時には天下を驚かす」か……西郷さん。それ・・も士族だけのものには出来ない。貴方士族の考える天下はこれからの天下には狭すぎるんだ。これじゃ、これからの世界には通用しない……皆が見上げて尚、余りある区切りない天の下で立ち上がり、他を驚かす間に天まで伸び、天の光を浴びて他の分野にまで拡大いくことが出来る世の中。それが維新の目指す先、四民平等だ)


 これから、壱心は四民平等のために士族の最後の特権を奪いに行く。即ち、武装決起という交渉の墓場、行き着く先の手段を。


「……あぁ、感情が追いつくというのは中々に辛いな。だが、これが俺の選んだ道だから仕方ない……」


 これから待ち受けることの予想は付く。ここまでの流れの殆どは壱心が計画してきた内容なのだから。しかし、止まらない。もう、止められない。


「……死んで護国の鬼となれ」


 そう呟いて壱心は自分がすべきことを果たすために再び感情の思考を止めて動き出すのだった。その手には、悪坊主から渡された薬剤のケースが握られていた。



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