再始動

 壱心が目を覚ました時、彼を囲う周囲の環境は一変していた。個人として、自身の身体の異変。大きな社会問題として、不平士族の乱がある。


 後者については目覚めたばかりの壱心が知る由もないが、その内、個人的な異変が彼の認識にすぐに知覚出来た。壱心が目を覚ました時に隣にいた金髪の美少女、壱心にとって娘の様な存在だったはずの彼女……リリアンが隣で静かに眠っている姿を見た瞬間、己の認識が変わっていることを理解したのだ。

 同時に訪れる激しい自己嫌悪。自身を矮小に感じつつ間違いが起こらないように壱心は静かにその場を抜け出そうと試みる。壱心が身を起こし、静かに部屋を後にする……その目の前に小さな人影が現れた。


「……お目覚めですか」


 現れたのは幼さを宿した美少女、国守桜だ。彼女は何とも言えない表情でこの場に現れると同時に壱心を見て彼の方へと歩を進めて来た。だが、壱心はそれを制してぶっきらぼうに告げる。


「あぁ……色々とあるんだろうが、少し頭を整理する時間が欲しい。しばらくの間放っておいてくれ」

「……畏まりました」


 思いの外、聞き分けが良い桜。壱心はそれに深入りせずに謝意だけ示しておく。


「悪いな……」

「いえ、いいのですが……」


 不意に言葉が切れた。壱心としてはそのまま出て一人になりたい。しかし、何かを言いたそうにこちらの様子を窺っている気配がする以上、壱心は気になって足を止めてしまう。


「……急ぎの用件か?」


 ついに自分から切り出してしまう壱心。しかし、彼女はそれを否定した。


「いえ……お体の具合が分からない状況ですぐに実務に入っていただく訳にもいきませんし、既に済んだことの報告をする予定で参りましたので、そこまで……」

「じゃあ何だ……」

「いえ、その。ただ、少しばかり個人的に気になる、ちょっとしたことが……」

「気になるから言いたいなら早くしてくれ」


 急かすように壱心がそう告げると桜は少し言い辛そうにしていたが何かを決めたらしく壱心を見上げて口を開いた。


「では、失礼して……すみませんが、先程からどこを見ていらっしゃるのでしょうか? そちらには何もないように見えるのですが……」


 「やはり、あの治療で何か……」そう呟き、心配そうにこちらを窺っている桜。他意はなさそうだ。しかし、壱心は何も言えない。言えるはずがないのだ。降って湧いた劣情を持て余しているため、直視が難しいなど。


(久方ぶりの情動が、二人分か……こんなに突き上げて来る感じだったか? いや、今はそんなことよりとにかくこれを隠さないとな……下手に知られると変に縁談の類が組まれてしまう。既得権益を崩して殖産を進めつつ過度な欧化主義を回避するにはまだ自由な立場に居る必要があるんだ……我慢しないと)


 自らに言い聞かせるように壱心は内心でそう呟くと、口から適当なことを並べてみせる。


「治療は成功した……ただ、元気過ぎて今までとの差に困ってる。それだけだ」

「そうですか……でしたら、いいのですが……」


 尚も心配そうに壱心の近くをうろうろする桜。壱心は一度心を落ち着かせるため大きく息を吐いた後、適当な断りを入れて道場へと向かう。その場を離れたかったのもあるが、身体を動かせば少しは欲求がマシに収まるだろうという考え、そして病み上がりの自身の身体をチェックしたいというのが目的だ。

 そんな考えで一先ず桜と別れて移動していると屋敷内の使用人や家人たちが壱心を見て気遣う声を上げて来た。その中を通りながら壱心は思うところが出来る。


(……それにしても、女が……いや、はっきり言って美女が多いなここは……これは確かに、世間から変な目で見られてもおかしくない……)


 道中、すれ違う者たちの中で自身に近しい者たちを見て壱心はそう考えていた。性欲を失っていた頃の壱心からすれば男手が他に取られているという理由で現状があると考えていたものの、普通の感性からすれば完全に趣味にしか見えない。


(少し減ら……いや、何を考えているんだ俺は。思春期の子どもじゃあるまいし……一時の感情で妙なことを……)


 思考の急な変動は遅れて来た思春期のような発想を壱心に齎してしまっていた。だが、その感情に流されるほど彼は若くはない。


(……発想を転換すればいいだけだ。そもそも、俺が雇う優秀な男は家庭を持っているから普通にそこで生活し、各職場で働いているからここに居ないだけ……ここに居る連中は能力こそあれども時代背景が活躍を許してくれないからここに居る。そして現時点では公的な場に女性が進まないのは世界的な通例だ。ただそれだけの話。変に意識してる方がおかしい)


 内心で色々と考えて自分の行いと現状を正当化する壱心。事実、それは間違いではないのでそれでいい。だが、それでもどこか意識してしまう。


「邪念ばかりになってしまったか……この先、どうなることか……」


 急な心境の変化に戸惑いを覚え、道場に着くや誰もいないのを確認してそう溢す壱心。肉体に合わせて心まで若返ってしまったかのようだった。だがそれも特注の模造刀を振るうにつれて雑念として切り離され薄れていく。


 そこで今度は別の問題について考える余地が出来ることになるのだが。


(それにしても、動くなこれ……普通に。この普通に動くって言うのがまた気味が悪いんだが……少し前の若い頃の膂力にこれまでの経験が積み重ねられた太刀筋が調和している……どうなってるんだこれは……)


 精神の異変の次は肉体の異変だった。壱心は身体の運用に違和感を覚えないことに違和感を抱く。彼の刀を振るうのに最適化された動きは、鍛えるにつれて身体に染み付いたはずのもので、今の……若い頃の壱心の身体と思われる単純な基礎トレをしていた時点での壱心の感覚にはなかったはずだ。

 だが、今の動きはその最適化された動きが身体が最も健康だった頃に見事に調和し、今まで自身が築き上げて来た以上の動作を繰り出せるようになっている。自分の身体が自分で把握している以上に適合しているという異常。それを切り伏せるかのように壱心は何度も刀を振るった。何度も、何度もだ。


 その儀式めいた動作は誰にも止められることなく、そして自身の思考で止まる事もなく続けられた。




(……まぁ、今更と言えば今更か。寧ろ、一命を取り留めた上で以前よりも調子がいいんだ。何の不都合もない)


 壱心がそう思えるようになったのは日が暮れる頃。それまで彼は一心不乱に刀を振るい続けた。壱心が我に返ったところで周囲を見渡すと気付けば道場には多くの人が集まっている。

 中でも、壱心の目に留まったのは何かを堪えて座ったままこちらをじっと見上げている金髪の少女の姿だった。


「……もう、いいですか」


 彼女は壱心の動きが止まったのを見て溢れる感情を抑えつつ問いかける。壱心は何時からここに居たのか……そんな無粋な問いかけをすることもなく差し出された手拭いで汗を拭い、ただ頷いた。


「あぁ……」


 壱心がそう答えるも、返事はなかった。金髪を躍動させ彼の胸に飛び込んで来たリリアンを壱心は無言で受け止める。言葉に出来ていない声。しかし、そこに込められた意味だけは痛い程よく分かった。


「……心配かけた。ごめんな、リリィ」


 壱心は強い力で彼女を抱きしめてそう告げ……


 そして、余計な者を視界に入れてしまった。それは道場にいる他の面々だ。彼ら、彼女たちは稽古などを止めてこれどうしようといった目でこちらを見ていた。

 その内、亜美と目が合ってしまう。彼女は何を考えたのか不明だがおもむろに立ち上がると何故か手を叩き始めた。所謂、拍手と呼ばれる行為だがこの時代の日本には根付いていない習慣だ。一応、西欧のマナーとして香月組の面々には教えられているが演劇やスピーチ、歌唱などが終わってから周囲の客に合わせて手を叩けばいいとしか教えていない。


 しかし、何故だろうか。この場にいる面々の殆どが僅かに首を傾げたりしながらも同じような行動を取り始める。嫌な同調圧力もあったものだ。その拍手の音が聞こえてリリアンも不思議に思って顔を上げる。


「……亜美」

「はい」

「何がしたいんだ……?」

「いえ、何となく」


 予想外の返答に何とも言えない顔になってしまう壱心……と、以前の彼であればそこまでしか読み取れなかっただろう。だがしかし、性欲という異性に対する強い関心を強制的に注ぎ込まれた壱心はそれ以上の部分に踏み込んでしまう。


(これは……嫉妬してるみたいだな……そんな感情を持っていることに初めて気付いたんだが、割と複雑な状況になっているのでは……?)


 自分以外の者と睦まじい様を続けている光景を止めるためにこのような手に出たのではないかと推察する壱心。というよりも、表情が非常に分かり易かった。顔と態度に出ているというお手本のような状態だったのだ。悪坊主から見た自分の姿もこんな感じだったのだろうかと考えてしまう壱心。そうしているとリリアンも我に返ったようだ。


「あの、もう落ち着きました。ありがとうございます……」

「あ、あぁ……」


 周囲の様子に気付いたリリアンが恥ずかしそうにそう申告し、壱心から離れる。そうすると代わりに亜美が一歩出て口を開いた。


「では、大変申し訳ございませんが早速、ご報告で構いませんか?」

「そう、だな……頼んだ」

「畏まりました。それでは別室に。聞かれて問題のあることもありますので」


 そう言って彼女は懐から一通の手紙を出す。そこにあった署名を見て壱心は苦笑せざるを得なかった。


「……起きてすぐ、これか。歩きながらで構わない。悪いが現状の説明を頼む」

「承りました」

「リリアン、悪いが……」

「大丈夫です。続きはお仕事が終わってからで……行ってらっしゃいませ」


 首肯することで返事とする壱心。その手には一通の手紙が。送り出し人の名前は西郷隆盛。壱心が眠りに就く寸前に勃発した秋月の乱が起きた翌年に起きることになる西南戦争に担ぎ上げられてしまう神輿の名前だった。




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