秋月の戦い

 私塾、薫風堂での戦いが終わってしばらくして。壱心が眠る病室では事の次第を聞き納めた宇美が桜に報告に戻っていた。

 内容に特筆するようなことはない。宇美は現場の人間から聞いた話をそのまま桜に流し、敗残兵は豊津を目指して逃げて行ったことを告げるだけだ。


「……以上が事の顛末になります。磯淳が率いる反乱軍の二陣はこちらを避け豊津方面へと移動しています」

「わかりました。お疲れ様です」


 そんな情報を桜は宇美から受け取った。だが、それは殆ど想定通りのため反応は薄かった。それよりも小倉鎮台歩兵第十四連隊長心得の乃木希典がその方面に網を張っており、小倉城に合流しようとしていた秋月党と交戦してこれを破ったという情報が入ってきた時の方がよっぽどリアクションがあった。

 当然だが宇美は桜の態度に疑問を抱く。彼女は落ち着き払っているがまだ鎮圧は終わっておらず、寧ろ秋月党の乱に呼応して各地で動きがあるかもしれないのだ。心配になった宇美は桜に尋ねる。


「桜さん凄い落ち着いていますけど、どうするんですか? 勝ちはしてますけど、長引いたりしたら……」

「心配は要りません」


 宇美の言葉を遮るようにして桜は言い切った。


「既に、中央より来た人材がこちらに入っております」

「……早過ぎでは?」


 桜の言葉を宇美は訝しんだ。というのも、秋月の乱が起きてまだ一日と経過していない。仮に熊本で起きた神風連の乱に対応するために派遣されたとしてもそちらも発生から五日と経過していないため、どちらにしても早過ぎる。

 これは応援と言うより寧ろ、事前に彼らの決起を知っていたが故に集まって来たのではないかと宇美は思ったのだ。

 それに対する桜の答えは至ってシンプルな物だった。


「……そもそもは、壱心様が倒れたということに対するお見舞いで来る予定だったのですが……色々と、あったようです」


 そう語る彼女の目はどこか昏い。その色々とは何なのか知りたくなった宇美だが知らない方がよさそうだとして黙っておいた。


「そ、そうですか……えぇと。災難? でしたね……」

「尤も、この乱の応対でお見舞いには……」


 桜が説明を続ける。そんな折に、この部屋に来客が訪れた。ノックが鳴らされ、無言で入室を求める気配がする。噂をすれば……宇美がそう考えた次の瞬間、桜が声を上げた。


「……何のご用件でしょうか?」

「……どちら様?」


 その声は宇美が目の前の少女と行動を共にし始めてから初めて聞くレベルで焦りを含んだもの。宇美は扉の前で待機している訪問客は招かれざる存在であることを理解した。だが、訪問者はそんなこと気にしてはいないようだ。全く焦ることなく極めて独自のペースで彼女の問いに答えた。


「あー……誰だろう。まぁ一応、通り名としては雷雲仙人がこの辺りで一番呼ばれてるかな……まぁその辺は何でもいい。お宅のお嬢さんのお願いでここまで来てるんですがね。金髪の」


 声の主はそう告げた。その声はどこにでも存在しそうなものだ。しかし、それは逆に言えば何にも該当しない声ということになる。その奇妙な声は抑揚に乏しい平坦極まりない口調で中にそう告げて来る。それらは彼がここに望んで来た訳ではないとありありと伝えるような形で続けられる。


「お嬢……」


 その言葉で桜は病室に一切出て来なかった金髪の少女の姿を思い浮かべる。宇美も同様だが、彼女の場合はそれと同時に自身が見つけられなかった存在へ接触していた事実が劣等感となって彼女の心を苛んでいた。ただ、それでも今は扉を隔てて目前にまで来ている雷雲仙人を称する者への応対が必要だと切り替える。

 扉を開き、目の前に居たのは……東洋の仙人からイメージされる姿からはかけ離れた真黒なローブに身を包んだ西洋の魔導士の様な格好をした青年だ。


「ら、雷雲仙人様ですか……あなたが、そうだったんですか……」

「まぁ一応。別に名乗った訳でもないから違うと言えば違うかもしれないがな……で、どうでもいいけど入っていいのか?」


 ダメなら帰るし二度と来ない。扉の前から中には決して入ることなく彼はそう言い切った。こちらを騙して何かを得るといった態度は一切なく、帰宅願望が声を発しているかと錯覚するかのようだ。


 桜は彼の態度に色々と思うところはあったが何も言わない。いや、言えなかったのだ。彼女は目の前の存在が超常現象に近い存在であることを知っていた。下手な言葉を出すとどうなるか分からない。だから彼女は熟慮する。そんな桜を見て宇美も何も言えずに相手の行動を待つだけだ。


「……わかりました。くれぐれもご自重の程、よろしくお願いいたします」

「はいはい……じゃあ入るよ」


 しばしの逡巡。だが、結局彼女たちは雷雲仙人と名乗る男の入室を認めた。そして二人は絶句する。


「な……」

「え……?」


 言葉を失うとはこのことだった。桜と宇美は初めてそれを実感した。しかし、男は彼女たちのことなど一切意に介さない。彼女たちが呆けている間に青年は無遠慮に入室する。ただ、二人がそれを見咎めることはない。彼女たちはそんなこと気にしていられなかったのだ。青年が入室したのと同時に彼の後ろから姿を見せたその存在の所為で。

 彼女たちの前に現れたのは陳腐な言葉で表せない言葉を失う程の絶世の美少女。彼女は静かに……しかし、この時代の貞操観念からすると信じられない程ぴったりと青年に付き従って病臥に伏せている壱心の下へと移動した。


 彼女の移動に合わせて視線を移動する桜と宇美。そこでようやく青年が壱心の事を無言でじっと見ていたことに気付く。どう見てもやる気なさそうな男。美少女は男の方しか見ていない。二人が何をしに来たのか気になるところだ。


 しかし、男の方は唐突に口を開いた。


「……あー、面倒臭ぇことになってんなこれ……気血が病邪に侵蝕されてる上、水も上手く機能してない」


 そう言うと彼は後方……つまり、桜たちの方に死んでいるかのような目を向けて言った。


「さて、この前の奴の記憶から考えて……診断結果を分かり易く言うと、低純度のペニシリンに混ざった不純物の一部がアレルギー反応……あぁ? こいつらは特に知らないのか」


 何やら言い始めたところですぐに言葉を切る青年。彼は一瞬にも満たない間だけ逡巡していたようだが何かに対して勝手に納得したらしく頷いた。


「まぁ分かり易く言っても分からないなら余計な情報はいいか。結論だけ言おう。要するに所謂ペニシリンショックに石炭酸中毒。後は普通に細菌感染症とかだな。さて、治療したら帰っていいか?」


 男は一気にまくし立てると胡乱な目のままそう言い切る。そんな光景を見て桜と宇美は返事も忘れて呆気にとられるのだった。




 少女が未知との邂逅を果たし、壱心が奇妙な治療を施され始めたのと同時刻。


「……人使いが荒いにも程がある。兄上が大変で周囲に波及が来ているのは承知の上だが……」


 小倉城を見上げる場所にて次郎長はそうぼやいていた。彼は中央より傷病に臥せっている壱心とその周囲の者のことを気遣って帰郷していたところ、この乱に巻き込まれてしまっていた。

 その結果、お見舞いのために福岡に来ていた彼は小倉城を根城として小倉鎮台と戦おうとしている反乱軍を討伐するための軍の参謀として従軍している。そして、お見舞い品にしては大き過ぎるものを持って来いと要求されていたのだ。


 そんな彼の元に伝令がやって来る。小倉藩の若い兵士だ。反旗を翻した者たちに若い怒りを抱き、燃え上がっている青年である。


「香月殿! 東より秋月党の一派、十数名が来ているとの報告です。しかし、どうやら既に一戦を交え、死に体の模様!」

「……乃木さんは?」

「既に備えています!」

「……であれば乃木さんに任せます」


 彼の役目は小倉鎮台歩兵第十四連隊長心得の乃木希典を補佐すること。ただ当の本人が優秀過ぎて彼のやることは殆どなかった。尤も、やらなければならないことは眼前に山積みなのだが。小倉城を睨みながら彼は内心で独りごちる。


(……父上と藤五郎は向こう側、か。今回の戦いに参加していないことだけが幸いだが……中々に辛い役目を押し付けてくれる)


 城内にいる今回の乱の首脳部である今村や宮崎たちから送られてくる密使。それは彼の心に引っかき傷を作るのに申し分ない内容だった。ただでさえ同郷の相手。顔見知すらいる相手との戦いなのだ。彼の心情は重い。それを慮って乃木は次郎長の負担を減らすために迅速な行動をしているのかもしれなかった。

 尤も、その当の乃木すら彼の実弟である玉木正誼まさよしから不平士族の反乱に同調するように説得が繰り返されているようだが。


(……どこもかしこも問題だらけ、か……今は国内でこんなことをしている場合ではないというのに……)


 深く瞑目する次郎長。かつて磐城から蝦夷の地までを駆け、国を守るという同じ志を胸にしながら選んだ方法が異なるという理由だけで同じ国の仲間と戦い、それを大量に殺した兄はどんな心情だったのか。今なら少しは分かりそうだった。


(やりたくはない。それは当然だ……我々福岡は長州や土佐とは異なり幕府やその部隊に恨みもなく、寧ろ途中まで同じ道を進もうとしていた。その過程では当時の幕軍についていた会津の者たちと酒を酌み交わす事もあっただろう。だが……やらざるを得なかった……それは今も同じこと)


 彼は目を開けて知人が立てこもる城を鋭く睨みつける。既に迷いはなかった。


「……小倉城を落とす。小倉豊津藩の人間を呼んでくれ。旧勇敢隊・御剣隊の混合部隊を搦手より突撃させる」


 次郎長と共に兄の見舞いとしてこの地を訪れていた部隊長。そしてこの地に任官されていた信頼できる部隊を用意する。辛い役目を押し付けてしまうと思いながらも彼は覚悟を決めたのだった。


 熾烈な攻城戦。文字にすればたった一言。そして時間にしても実行に移してから半日にも満たない時間。言葉で表すのであればこんなに簡単な行為……

 それだけで彼らはかつてこの国の未来を共に思った仲間たちを永遠に失い、それと引き換えに小倉城を手にするのだった。


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