薫風堂事件

「……思ってたより遅かったにぃ」


 私塾・薫風堂。その門前で少女は一人そう呟く。眼前には自身の背丈の倍近くもありそうな大の男たちが武装して整列していた。その身体には咲夜や彼女が索敵に出た頃には持っていなかった貴重品の類が着けられている。それを見て忍び装束の少女は行軍が遅れた理由を察した。行軍途中で略奪行為に走ったのだ。

 だが、相手は自分たちの行軍速度や装備品の情報は既に政府側へ割れていることに気づいていないようだ。堂々とした態度で声高にこちらに用件を告げて来た。


「娘! 門を開けるように取り次げ! 我は磯平八! 天下に蔓延る不正を誅すべく立ち上がった秋月党の者だ! 天意に逆らい、異国に魂を売った香月壱心が神罰を受けたのは知っておろう! 奴が許されるのは不正に溜めた財産、そして武器を正しき行いのために寄付した場合のみだ! さぁ、大人しく差し出せ!」


 最初と最後で主張が一貫していない磯の発言。少女に門を開けるように取り次げと言っておきながら最後は物盗りのような言い草だ。そんな彼に対して門番は静かに告げる。


「ここに貴方が望まれる物は有りません。お引き取りください」


 静かに、だが強い口調。彼女を知る者であればたじろぐことだろう。そのあまりの怪力に恐れられた彼女が自身への恐怖を少しでも和らげようと常日頃から演じているそれが剥がれ落ちているのだから。

 しかし、目の前にいる男は日頃の彼女を知らない。ただ少女が現実もわからずにお役所仕事で生意気なことを言っているだけとしか聞き取れなかった。その態度は内情も碌に調べずに磯たちの立場や役職を容赦なく奪い去った新政府の役人たちの姿に被って見えてしまう。


「何? 謀るな! 手向かい致すと女子どもとて容赦せんぞ! ……こちらが本気だと分からせてやれ。当てるなよ」


 言いながら隣の男に指示を出す磯平八。無自覚な、八つ当たりにも似た感情は彼に手荒なやり方を選択させる。言われた男は特に抵抗することもなく銃口を少女に向けて構えた。照準が定まる。そして、発砲音がこの場に轟いた。


 それが、合図だった。


「がッ……」


 銃声は、一発では止まらない。続けざまに響いている。だがしかし、秋月軍にはそんな指示は出されてない。


「何を……」


 言葉を転がす磯。だが、彼の近くで重量物が地に倒る音がして彼は我に返った。確認すれば倒れているのは先程狙撃するように命じた者だ。遅れて現実を認識した磯は鋭い声を飛ばした。


「な……ッ! 敵襲だ! 狙われてるぞ!」


 ……それが、彼の最期の言葉だった。陣頭指揮という、士気の低い軍勢を率いるには最適ながら危険過ぎる陣形を近代戦に用いるには彼の能力はあまりに不足していたのだ。

 しかし、彼の能力がどうであれ彼はここまで部隊を引き連れて来た指揮官だ。彼が倒れたことは部隊に大きな動揺をもたらす。司令塔が潰れるということはそういうものだ。特に、元々士気の低い軍を率いていたのだから効果は覿面だった。


「磯様がやられた!」


 悲鳴が上がる。動揺は波となって秋月軍を呑み込もうとしていた。


「くそッ! どこからだ! 下がって……「狼狽えるな!」……!」


 ……だがしかし、この程度で崩れてしまう程秋月軍は脆くなかった。陣頭に立つ平八の代わりの声が陣中央から響く。声は続けた。


「ここで退いてしまえばそこまでだ! 俺たちが事を成し遂げるために必要な武器は二度と手に入らず、立ち上がることが出来ない者たちに勇気を与えることも出来ない! 悔しいが、俺たちは数の上では負けている! だからこそ! 一人一人の戦う意思が大事なんだ! 俺たちが先駆けになるんだ! 皆! 行くぞ!」


 それなりの身なりをした男が飛ばした檄で秋月軍の混乱が収束に向かう。それを見計ってその男……磯淳は即座に命を下した。


「行くぞ! 突撃だ!」

「「「「「オォォオオオォォォッ!!!」」」」」


 濁流となった人波が薫風堂の門を襲わんとする。その前にいた少女など一溜まりもないだろう。そうなれば、もう全員後には引けない。つまり、彼ら以外の者たちも一丸となってことを為すために動く。

 磯がそれを確信したとほぼ同時の出来事だ。前方にある堂の左右の壁から響いていた散発的な銃声が斉唱になり、規則正しいコンサートを開始した。それにより磯は確信する。


(……やはり何かあったか! しかし、このまま押し切ってしまえば……内部にさえ入って占拠してしまえば鉄砲など!)


 死の歌声を聞いた磯だが、彼はすぐにその声量を聞いて意識を持ち直す。秋月軍の喊声かんせいに掻き消される程度の銃雨。大したことはないと判断した磯はそのまま突撃する軍の中に身を投じたのだ。


 それが明らかに失敗だったと気付くのは戦の高揚感から我に返った時だった。


 まず、磯は目の前の光景を疑った。後ろ暗い連携を生み出す前提から覆っていたのだ。少女が、生きている。それどころか彼の常識外の元気を見せていた。少女が巨大な門の閂を振るう光景など磯の常識からして信じられないものだ。

 まして、少女が振るう閂の一振りで大の男が渡り合うことも出来ずにゴミの様に吹き飛ばされるなど、あってはならないことだ。


 非現実的な光景。しかし、問題はそれだけではない。磯は、接近戦で埒外の力を振るう少女に対し、味方は無謀な突撃以外に何もしていないという現実に気付いてしまった。

 彼は理由を探す。そこで彼はようやく自らの過ちを明確に自覚するのだ。味方の狙撃兵たちが殆ど斃されていることを目の当たりにして。


「な……いつの間に……!」


 目の前が暗くなり、足先から沼に引き込まれるような感覚。だが、いつの間にも何もなかった。五十名の刀を持った人間が十人のスペンサー銃の狙撃手たちの射程距離に入り、順々に撃たれていっただけの話だ。

 装弾数七発、発射速度が毎分十四から二十発、有効射程は180メートル。弾詰まりしやすいことなど欠点が幾つかあったとしてもこの時代の拠点防衛用兵器として、申し分ない銃火器。


 それは優れた使い手たちによって遺憾なく実力を発揮し、既に喊声と銃声の勢力争いに決着をつけようとしていた。仮に、後世の兵学者がこの戦いを見ていたのであれば疑いようもない十字砲火だと断じるだろう。ただ、哀れな犠牲者たちがそのことに気付くことはない。


「磯様! もうこの拠点を奪うのは無理です! 体勢を立て直しましょう!」


 小隊の指揮を執っていた者から悲鳴が上がる。磯はそれでようやく沼から脱し、我に返った。そして自らの失敗と現状を正しく把握するのだ。中軍にいた磯が門前に出て来たのは味方の突撃が成功しているからではなく、前陣が潰走状態にあったためという事実を彼は受け入れた。


(な、何故だ……? ここにいたのは世間の鼻つまみ者たち。分も弁えぬ馬鹿ども

のはずだ……あの香月さえいなければ、どうにでもなるはず……)


 受け入れてしまったからこそ、磯の視界が歪む。これでは乱の首謀者である宮崎兄弟に合わせる顔がない。だが彼らにはどうしようもないのも事実だった。最早彼らは攻め入る軍ではなく、虎口に飛び込む兎たち。彼に出来るのはもう兵を温存するくらいのこと。


「……転進だ。転進する! 今村殿と合流を目指して豊津に向かうぞ!」


 敗残兵を集めるべく声を張り上げる磯。戦果はなく、貴重な兵も半分以下になってしまった。


(くそ……こうなったのも、香月が動かなかったからだ……! 覚えておけ……)


 見当違いな恨みを抱きつつ彼は豊津方面へと落ち延びていく。そちらには史実で最初に秋月の乱として行動を起こした今村百八郎……宮崎車之助の弟が率いる秋月党の第一軍がいるはずだ。


(この恨み……必ず晴らす……!)


 閂を片手で支え、天にその先を向けながらこちらを睨みつける少女を忌々し気に睨みながら反乱軍は薫風堂から撤退していった。





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