未来への地

 秋月の乱が勃発し、情報収集の命を受けた宇美が指揮を執る桜の下へ届けた情報は以下の通りだった。


 秋月の乱の主要人物である磯淳、磯平八の両名が兵五十名を率いて壱心の私塾である薫風堂に進軍している。

 その目的は武器の補給ということらしい。彼らは薫風堂に入ったことのある者の証言からその造りを聞いており、同地を壱心が新政府と決別するやもしれぬ未来を想定して作った隠し拠点だと判断していた。


(現地にはそんな大層な武器はありませんが……)


 ただ、現地に通い勉学に勤しんでいた桜から言わせてもらえばそんなものは存在しない。確かに塾生や塾長の装備が少しばかり置かれてはいるが、基本的には言いがかりをつけられないように刃引きをしたものばかりだ。

 銃火器の類についても1872年に制定された鉄砲取締規則に基づいて認可を受けた分しか保有していない。新政府として脅威を覚える壱心に対して素直に認められた量であり、軍事利用とするには少々無理がある数になる。つまり、仮に奇襲を成功されたとしてもそこまで脅威にはならないということだ。


 そこまで理解して桜は嘆息する。


(……もう少し攻撃個所については考えるべきだと思いますが。確かに、薫風堂に怪しい噂があるのは知っていますが……ここを目標地と定めたのは私怨が大きそうですね……)


 桜の優秀な頭脳はここに攻め入る反乱軍の目的が私怨を晴らすことであるとすぐに突き止めた。武器の補給などは理由付けに過ぎない。

 彼らはただ新たな時代に着いていけなかった恨みを彼らの禄をシステマチックに処理して置き去りにした壱心と彼らを取り残す原因となった新たな学問を研究する場所にぶつけているだけだった。


(あの地であれば……そこまで心配は要りませんか。ただの学問所ですから。最悪逃げればいいだけですし……それに、あそこの方々であれば……私が手を出す必要もないでしょう……)


 彼の地を卒業した少女はそう言って何とも言えない笑みをこぼす。薫風堂に入る際にすぐに吹き抜けると言ってのけた彼女が想定外に居続けたその場所。あの地は正しく魔窟だった。それは同時に、他者からすれば彼女に対する評価も同じものであることを暗示している。


「では、薫風堂に……」


 報告者である宇美は桜が何も言わないのを受けて落ち着きのない様子で次の指示を待っていたが、どうやらしびれを切らしたようだ。そんな彼女の様子に気付いた桜は苦笑しながらこう言った。


「……周期的に今日はお昼の当番が珠さんなので情報提供のみで大丈夫です」

「へ?」


 桜の奇妙な言葉に宇美は首を傾げた。それを見て桜は愉快そうに笑う。


「今日の薫風堂は出席率が非常に高いということです。十名は居るでしょう……」

「桜さん、あたしの話聞いてました? 相手は武装した士族が五十人ですよ?」


 幾ら建物があり、防衛戦であると言っても数が違う。その上、薫風堂に通うのは荒事の専門家ではない書生たちだ。しかも三分の一が女性と来ている。

 それでも、元塾生は苦笑していた。


「それほど気になるのでしたら情報展開と言う形で現場に向かってください。そこで防衛について訊くといいでしょう。難しいのであれば撤退するでしょうし、援軍が居れば戦えると判断されるのでしたら必要な人数を聞いてから現場に急行させるので」

「それで間に合うんですか?」

「そうですね。これ以上ここで言い争いをしているのでしたら分かりませんが」


 桜の返しは少々宇美をむっとさせるが、それ以上の口論をすれば正にその通りになってしまうと宇美をこの場から離すことに成功する。宇美を見送った桜は壱心が眠るこの部屋で一人嘆息した。


(皆に指示を出す以上、この場で外に声を出す余力のない壱心の言葉を私が代わりに届けているという形でなければ誰も動いてくれないのが響きますね……後手に回らぬようにここに留まらずに情報を集め、指示を出したいところですが)


 桜の思いが通じる程、この時代の事情は甘くない。その事実を再確認しながら桜は敵と味方の動きのシミュレーションを再開するのだった。




 さて、場所は変わって宇美が飛び出して行った目的地である薫風堂。そこに宇美の姿はまだ見えないが、その場に居る面々は気だるげな顔をしていた。


「うぇ~咲夜ちゃんの言う通りだったにぃ。お侍さんがいっぱい来てたにぃ。大体五十人ってところで、鉄砲はあんまり見なかったにぃ……進軍速度からしてお昼前にここに着きそうだけど熊谷ちゃん、どうするにぃ?」


 まず、口を開いたのは門番である見た目だけは小柄な少女だ。彼女は忍び装束を身に纏い、塾長である熊谷に外の状況を報告していた。報告を受けた熊谷は髭を弄りながら鷹揚に頷く。


「その程度なら援軍を呼ぶ必要もありますまい。適当に相手をあしらって後は正規軍に任せましょう」


 非戦闘員も含めて十二名しかいない拠点の長である熊谷は自信たっぷりに質問者へそう答えた。普通に考えるのであればどう考えても自信過剰なこの台詞。防衛がこの場に居る者たちから彼の言葉に異論はない。だが、その内容について訊きたいことがあるらしい。坊主頭の色気のある男が口を開いた。


「でしょうね……で、どうするんですか?」

「陣地防衛にて待ち受ける。寡兵という弱点を持ちながらそれを唯一活かすことの出来る初手である奇襲で重要拠点を無視してこんな場所に攻め込むという情報収集能力と計画性のなさ。また、そのように情報収集能力で劣り、何もわかっていない状況にもかかわらず何ら警戒することもせずに直進してくる辺り相手の力量も推して知れるというもの。

 相手は正面突破、しかも武器からして白兵の突撃で来るだろう。過去と伝統誇りを重視するという名目で前時代の武器と戦術を踏襲し、思考を放棄した正面突破だ」


 熊谷は吐き捨てるようにそう断じた。その言葉には壱心からこの私塾を任されるに当たって、方々から言われた皮肉に対しての嫌味がたっぷり込められている。

 熊谷は対策を思案する顔をしながら塾生、それから関係者たちを見やる。眼前にいる面々はいずれも何らかの才覚がある人間。例えその出自が異なろうとも、性別が異なろうとも、この国のためにその才覚を活かしたいと考えて門戸を叩いた才人たちだ。

 同時にその多くは別の場所で受け入れてもらえなかった者たち。この時代の主流な考えである武士には武士の、町人には町人の、商人には商人の、農民には農民の学問があり、その中でも女性にはまた別の学ぶべきことがあり、それ以外は不要と信じられていたが故に成長を妨げられてきた者たちだ。今、ここにいる熊谷も同じことだ。彼もまた、身分は異なれども知りたかったことを陋習ろうしゅうを伝統と履き違えて盲信する、今この場に迫り来ているような輩たちに妨げられていた一人である。


(……時代は変わったものだ。僅か二十年の間によくもこれほどまでに……)


 過去を思い出すと今の図とは真逆になっていることに気付き、形容のし難い感慨を覚える熊谷。しかし今はそれに浸っている暇はない。彼はすぐに指示を出す。


「姐さん、正面を任せます」 

「わかったにぃ」


 髭と威厳を蓄えた男は相手の戦術に対する自らの考えを詳らかにして忍び装束の可憐な少女にそう告げた。部外者が居ればすかさず待ったをかける絵面。しかし、またしてもこの場にいる者から異論の声は上がらなかった。


「では、大門は姐さんの補佐として……後は、狙撃位置につけ。急ぐぞ」

「「「「「了解!」」」」」


 軍式ではないものの、威勢のいい声が上がる。未来を育む地にて、過去に追いすがる者たちとの戦いが幕を開けようとしていた。




 

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