秋月の乱

「……一応、ただ気を失っただけですね」


 壱心の意識が断絶してしまったことを見ていた室内の者を代表して確認に走った亜美がそう告げる。それを聞いても唐突に意識を失った壱心を見て室内に居た男は気が気でないという心情で成り行きを見守っている。そんな彼を安心させるように桜は見る者を魅了する笑みで彼の名を呼んだ。


「山本さん。この事態についてはこの通り、既に壱心様より対応策をいただいておりますので速やかに小倉鎮台に電信を飛ばしてください」


 桜は先程まで壱心が認めていたこの一件とは何の関係もない覚書きを片手に落ち着き払ってそう告げる。部屋に入って来た男、山本は何の疑いも持たずにその言葉を受け入れた。


「か、畏まりました! ですが、既に挙兵の旨は伝えておりますが、何を……?」

「文面と内容は……亜美さん。貴女に味方へ情報展開が早急に出来る内容でお任せいたします」

「……えぇ」


 各地にネットワークを構築している公儀隠密組にも伝わるように任せた方がいいだろうとの判断で桜は亜美に情報展開を一任する。亜美がその含みを理解した上で山本に効率の良い電信の内容を伝えている間に桜は考えていた。


(……いつ動いてもおかしくはありませんでしたが、急に動きましたね。壱心様の想定よりも大分早いですが……恐らく、今回の一件で各所の圧力が強まった所為と壱心様が臥せっておられるのが原因ですか……)


 今回の一件の推測を立てる桜。果たして、それは当たっていた。史実では1876年の10月に起きた一連の反乱。熊本で太田黒伴雄が主体となった神風連の乱と福岡で起きた宮崎車之助が首謀者となって起こした秋月の乱。それが早まったのは正しく壱心の暗殺未遂で各地の没落士族を見る目が厳しくなったことが大きな理由だ。

 ただでさえ、生活に艱難を抱きながらも名誉のために耐え忍んできたというのにここに来てその名誉さえも己が為した所業と関係のないところで侵害されるという事態に陥った彼らにはもう、抑えるものはなくなってしまったのだ。

 また、この年の3月に廃刀令が発布されるということも大きいだろう。これは帯刀を禁止する法令で所持までは禁止されていなかったものの、元々身分の証明として持ち歩いていたものが否定されるというのが彼らの自尊心を大きく傷つけていた。 加えて、このままではいずれ所持すら禁止されてしまうのではないかという危機感が彼らを襲っていた。それは名誉と共に武装の解除を命じられること。戦う術を失う前に動かなければなるまい。そう考えたのだろう。


(……はぁ。この一件、対応を誤れば壱心様の責任問題に発展するのは間違いないでしょう。しかし、それは誤らなければいいだけのこと。一番問題なのは壱心様の後釜を狙って暴走する内部ですね……)


 桜は事の流れを鑑みて内心で嘆息する。先程の亜美の報告からして今の福岡県の内部は一丸となっているとは言い難い。いくら壱心が前藩主一族の黒田家と仲良く振舞ったところで、それだけで全員が壱心のことを認める訳がないのだ。争いは避けられない。そうなると、目の前に思考を向けなければならないだろう。


(山本さんは熊本への派兵が済んでいると言っていた。つまり、小倉鎮台から人が出ている状況……小倉鎮台の長、安川様は台湾出兵で不在。豊津藩も反乱に呼応しているとなると……少し、時間がかかりますね……)


 負ける気は毛頭ないらしい桜。しかし、事後の問題を踏まえた上で戦わなければならない。どのように着地するべきかを考える。そんな彼女に声がかけられた。


「国守さーん、私は?」


 場にそぐわぬ明るい声。それは宇美から発せられた言葉だった。桜はその声音に緊張感は欠片もなく、逆に昂揚している様子を聞き取ってしまう。


(この子は……)


 彼女には壱心の治療のために仙人探しを任せたはずだ。しかし、この反応を見るに彼女の中でそれは今回の蜂起より優先順位が低いものらしい。桜は彼女の目を静かに見据えて少しだけ逡巡する。


(……この子も戊辰戦争の時には色々あったはず。だというのに、壱心様の心配はしていない。寧ろ、自分が心配する必要はないと思っていそうですね……この目は誰かが何とかするだろう、何とかなるだろう。そういう目です……)


 人の命の儚さは彼女の幼少期にトラウマになるくらいに見ていたはず。桜は彼女の背景を思い出す。しかし、彼女はそれを乗り越えていた。それは未来を築く前進という強さであり、忘却して過去へと置き去りにしてしまう弱さだ。

 宇美は、その痛みを過去の物として置いてきてしまっていた。だから、死が身近にあることを忘れている。どれほど死の情報を目にしようともそれは自分の周囲には関係のないことだと拒んでいるのだ。


(ただ、それだけではない……仕方ありませんね)


 桜は宇美の表層思念を読み解いた後に目を閉じた。桜は宇美の深層思念の一端を垣間見たのだ。


 宇美は親しい人達の大量死というトラウマから自身が目を背けようとしているのを深層心理では理解していた。その行為が、彼女の暗い過去によく似た景色を招きかねない行動だということまで分かっているのだ。

 だが、彼女はそれに対して面と向き合うことをせずに、少し視点を変えることで景色を変えようとしていた。それが、何も出来なかった過去の自分とは違うということを示すための行動に出るということだ。

 しかし、その思考に凝り固まった彼女は逆に何でもいいから成果が欲しいと焦り自分を制御出来なくなっていた。悪い事ではない。自分では現状を良い方向に向かわせる考えが浮かばないため、どうすることも出来ない。だから、この問題を解決できそうな者から指示を受けて実行することでこの場を何とかする。そう考えての行動は悪いものとは言えなかった。実行さえ出来れば。

 だが、現実の宇美は何の成果も上げられていなかった。焦燥感は募るばかりで、彼女の精神はぐらついている。それをこの場にいる誰かに悟られると自分はこの場から外される。そうなれば、何も出来ない存在に戻ってしまう。それを避けるためには……そう考えて、まるで空気が読めていないかのような明るい振舞いを取っていた。


 彼女の心はこの場に姿を現すこともなく何らかの動きを続けている金髪の少女と同じように限界に近い。そこまで理解していた桜が告げるのは別のことだ。


(何かを任せるには危う過ぎる……だからといって、何もさせなければ暴走しかねない……失うには痛い手駒。さて……)


 逡巡を終えた桜はゆっくりと目を開けて告げる。


「……宇美さん、あなたには敵勢力を把握してもらうべく斥候に出てもらいます。目的は情報収集です。相手の数、目標地点、それから現在位置ですね。正確な情報でなくとも構いませんので多くの情報を集めて私に報告してください。くれぐれも危険な真似をしないようにお願いします。失敗すれば貴女だけではなく多くの人に関わる事ですので」


 桜は敢えて、この様な形で宇美に指令を下した。暴走しそうなのを抑えるために厳しく、彼女の深層心理で気にしていることを態々口に出す形でだ。

 それを受けた宇美は少しだけ微妙な反応を示した。だが、すぐにそれを覆い隠すと即座に行動に移した。

 彼女を見送ったところで同じように山本に指示を出し終えて見送ったらしい亜美が桜の方を向いて告げた。


「……私の監督不行き届きで、ご迷惑を」

「いいえ。気にしていません。それよりもこれからが問題になります……亜美さんよろしくお願いしますね」

「分かっています」


 動き出した福岡の反政府勢力。県の勢力は小倉鎮台に偏っており、彼の地は熊本の神風連の乱と豊津での蜂起の対応をしなければ福岡に兵が回らないだろう。それまでのラグ。桜たちはどう対応するか考えながら情報を待つのだった。


 そして桜の指示を受け取った宇美が戻って来るのはそれから一時二時間後のこと。彼女は秋月党の一団が私塾、薫風堂を目指して行軍しているという情報を引っ提げて戻って来るのだった。


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