雷雲仙人

 少女の姿になってしまった亜美にその経緯を尋ねた壱心。亜美は二十代になってもその巧みな変装術をいい意味で駆使し、身嗜みには気を付けていたためそんなに変わってない心算だったが気付かれてしまったということに対する落胆。そして、よほど親しい者以外には気付かれなかった自身の小さな異変に壱心がすぐ気付いたという喜びの混じった表情をしていたが、我に返ると非常に申し訳なさそうに口を開いた。


「……壱心様、結論から申し上げますと私はこの姿になった理由に見当がございません。ただ、雷雲仙人様より小さな黒い箱を預かっており、これを見せれば恐らく分かるとのことです」

「……黒い箱?」


 訝しげな顔をする壱心。しかし、彼よりも更に訝しげな顔をした亜美がおずおずと掌サイズのそれを手渡してきた時、壱心の表情は一転した。


「こちらになりますが……壱心様にこれを見せて『びでお再生』するように言えば分かるとのことです……おわかりになりますか?」

「…………あぁ」


 険しい表情でそれ……携帯端末タブレットを受け取った壱心は側面にある電源を入れた。タッチパネル式だ。カメラアイコンをタップして操作していくと該当のアイコンにあるファイルの中には二つの題名が付いた動画があった。

 一つは「始めに」というタイトルの動画。そしてもう一つが「事件のあらまし」というタイトルだ。その両方のサムネイルを見て壱心は更に表情を険しくさせる。


(……顔が見えない。修正が入っているのか……)


 素性の分からない相手。壱心は相手の情報を探ろうと亜美に声をかけるが彼女の答えは日本語が分かるなら説明は要らないとだけ言われたと返すだけだ。そこで気になったのがそんな無礼な態度をそのまま壱心の下に上げて来たという事実。

 壱心はそのことに気付きつつ、目の前にからかえる相手がいるというのに表情を取り繕い切れていないままに押し黙っている桜の様子を見て下手な真似はすべきでないと判断を下し、まずは「始めに」の動画を再生した。


 出て来たのは、顔にモザイクが掛けられた青年らしき男と同じく顔にモザイクが掛けられた少女らしい存在だ。動画が始まると音声が流れ始める。


『さて、突然だが閲覧者に告げておこう。君の事情はここに来た亜美とかいう人の記憶を読んで大体の背景は察している。まずは初めまして、俺が他称、雷雲仙人と言われている化物の悪坊主だ。名前に大した意味はないが強いて言うなら悪坊主ガキだな。で、そんな化物にへばりついているこの奇怪な生物が財部七奈』


 その声は出来の良い合成音声のようだった。どこか聞いたことのある様な声だが全く聞いた覚えのない声。しかし、僅かに考える時間もなさそうだ。思考のために一時停止をしようと試みる壱心はそれに失敗し、動画のシークバーには戻るという操作が出来ないようになっていることに気付く。

 それに気付くと同時に音声は聞き逃すことなく無理矢理脳の中に入り込むように聞こえているという事実にも気付いた壱心は動画内の存在が触れてはいけない存在であることを覚る。だが、その時には動画内の男が言っていた。


『この辺りで気付いて欲しいが、俺とこれ・・はこの世界に関わるべきではない存在になる。で、前置きは嫌いでね。互いに無駄になりそうな時間を省くために取り敢えず幾つかの結論を言わせてもらおう。解釈は自由だが要点は三点』


 彼は淡々と続けた。壱心はその際に男が後ろから抱き着いて離れない少女を引き剥がそうと力を入れているのに気付いた。彼らの関係性に意識が向かいそうになる壱心。だが、後戻りはできないということを念頭に黙って聞いていく。音は続いているのだ。


『……一点目、こちらも暇ではなく時間がない。後々、話をしに行く予定ではあるため、今回はその亜美とかいう女がどうしてこうなったかの説明しかしない。この説明については次の動画で流す予定だ。構成としては言葉での説明をしたところで理解しないだろうからまずは何があったか三分程実際の映像を流し、その後に解説という形を取らせてもらった。尤も、映像のみを見ても恐らくは意味不明だ。時間がないようであれば最初の数十秒を見た後に途中を飛ばして三分少し前くらいから再生するといい』


(嫌な予感がする……だが、こういった類の感覚を俺は知ってる……?)


 奇妙な既視感を覚えながらも止まらない動画を前に壱心は何も言うことなく映像を見守る。


『……次に二点目、我々については他言しないこと。我々の存在の証拠となりそうなこの端末映像についても君以外には……あぁ、あの桜とかいう奴だけには見せてもいい。だが、それ以上の情報流出は避けてもらおう。ただし見せるのであれば、動画再生後にデータは抹消される予定だから同じ時に見るといい。一応先に言っておくが無理に動画を復元させようとは思わないこと。訪問者の目を通して見た君の行動から時代考証の判明度を推算してこの端末を貸しているが、中身は君が知っている物とは異なる。下手に触ると爆発するから、そのつもりで取り扱うように。

 最後に三点目。余計な詮索はしないこと。諸事情あって今のところ、時代介入をするつもりはないが、目的の邪魔になると判断した場合は消すので悪しからず。

 以上、三点を踏まえた上で次の動画を再生してもらいたい』


 再生が終わる。同時に、この動画は再生できませんという文字が浮かんで再生のアイコンをタップしても動画は動かなくなった。ファイルの上層に戻るとその動画は消えてなくなっている。


「……いや、余計な詮索はしないように言われたばかりか」


 この状況を苦々しく思う壱心だが、二点目の文言から相手の方がこちらより知識を持っていると判断して迂闊な行動を避けるためにも無言を選ぶ。事件のあらましの動画を再生することがその条件には抵触せずに情報を得られる手段であると理解して彼は桜を手元に呼んで動画を再生した。


「……嫌な予感がします」

「奇遇だな。俺もだ」


 そんな会話をしながら動画を再生する。まず、初めに写っていたのは荒れ放題な室内で先程の男が少女に馬乗りにされている状況だった。しかし、それは決して暴力的な雰囲気ではない。画面越しで、更には顔にモザイクが掛かっているという状況でも感じられる妖しい魅力と蠱惑的な雰囲気。ゆっくりと少女の顔のモザイクが男の顔のモザイクと一体化しようとしている。


(えぇ……何だこれ……)


 唐突に始まった謎の光景に緊張感を途切らせてしまう壱心。しかし、隣に居る桜は顔を引きつらせていた。どうやら、この映像すら何か危険が潜んでいるらしい。しかし、そうは見えなかった壱心は油断してしまう。その間に来訪者が……


 そこで、彼は信じられない光景を目にする。


「な……」


 思わず声を上げ、同時に動画内に現れた人物に目を向ける。それは、ここにいる少女だ。


「どうかいたしましたか?」


 急に視線を向けられて小首を傾げる亜美。それを見た後、壱心は同じく驚いているはずの桜を見て……彼女がどこか怯えを孕んだ険しい顔で画面を見続けているのを確認し、再び動画内に目を落とす。

 そこでは、馬乗りになっていた少女が下になっていた青年に弾き飛ばされて壁にひびが入るほどの勢いで叩きつけられている光景があった。そして、次の瞬間にはカメラで写し切れていない程の高速で戦闘が繰り広げられている。


 だが、壱心が気になったのはそこではない。問題なのは、その動画が始まってからほぼ変わっていない光景。そこには腹部に風穴を開けられ、自らが溢した血の海に沈みこんでいる亜美の姿があったのだ。


(これは……)


 家の中が更に無残に荒らされて壊れていく。よく見ると「始めに」の動画で取られた家の背景と同じ場所のようだ。ただ、こちらは無残なことになっているが。

 少しして、「始めに」の動画で言われた三分という時間が近付いていた。実際の時間にして三分間にも満たない時間。しかし、凄まじい攻防の濃密さはそんなものではなかった。勝者は、青年のようだった。少女を拘束すると彼は彼女を引っ立てて血溜まりの中でピクリともしない亜美の方に向かっている。


 そこからの光景は正に見ても意味の分からないものだった。


 うつ伏せに突っ伏したまま微動だにしない亜美。蒼白い顔は出血によるものだ。正に死者の顔となってしまった彼女。だが、青年はそんな彼女を足蹴にして仰向けにしたかと思うと、彼は七奈と呼んだ少女を拘束したまま彼女の手の甲を切り裂いてその血を亜美に垂らした。すると亜美の血色は見る間によくなっていく。いや、よくなるどころかその身体は弱い光を纏い、小さくなっていく。彼らの戦闘終了から一分にも満たない時間。「始めに」の動画で告げられた時はもう来ている。


 そして画面が暗転した。そして画面が暗転したまま急に音声が蘇る。


『映像は以上。そして見たままの事情だ。日頃は俺が人払いの結界を張っているがたまたま七奈が発狂して襲い掛かってきたせいで結界に穴が出来た。そこでいつもと違う光景に気付けた亜美はこの機に乗じて突撃。そしてウチの侵入者撃退用の罠にかかって死亡。七奈の血で蘇りましたとさ』


 確かに、「始めに」の動画で青年が言っていた通りに事件の説明を聞いても理解できない。寧ろ、自分が持っている端末以上の知識を持っている素振りを見せていることからして作り物の可能性が高い。


 だが、壱心はこれが偽物ではないことを理解していた。理由は不明だ。だが壱心は彼がそういう存在だと何故か理解していたのだ。その直感を裏付けるかのように今まで黙っていた桜が口を開く。


「……壱心様、この件からは手を引いた方がいいです」

「わかってる……」

「出過ぎた真似かもしれませんが、くれぐれもご用心ください」


 桜の真面目な進言。いつも余裕を含ませた笑みをしている彼女にしてはかなり珍しいものだった。だが、壱心もことの深刻さは言われずとも分かっている。何故かわかってしまっているのだ。彼はすぐにこのデータを持って来た亜美に命を下す。


「亜美、雷雲仙人の調査は中止だ。ここまで危険な相手とは思っていなかった……すまない」

「畏まりました……」


 何故か沈痛な面持ちになった大人組。宇美からすれば亜美を揶揄える絶好の機会だったというのに何となくそんな雰囲気ではなくなっているのを察してつまらなさそうにする。そんな中、端末はまだ言葉を続けていた。


『さて、蘇らせたのはいいんだが……一応、色々と問題があるから言っておこう。まずは気になっているであろう能力の変動だ。これについては恐らく最盛期以上の状態だと言っていい。説明するのが面倒な七奈の血のせいだ。

 で、外見の問題は……見ての通り、若返っている。ついでに、老化も非常に遅れることになるな。これも血のせいだ。細胞の異常活性化とでも言っておこうか……外傷を受けて七奈の血が流れ出なければ効果は結構持続すると思う……んだが……取り敢えず、七奈がまたウザいから今回の説明はここまで。ではまた遭う時まで』


 一方的に打ち切られる動画。暗転していた画面はそのまま。無音の時間が過ぎることになる……が、壱心は何となく嫌な予感がしていた。それは桜も同じようだ。


「壱心様。何となくですが、危険な気がします」

「奇遇だな。亜美、扉を開けておいてくれ」

「はい?」


 よく分からないが、言われた通りにする亜美。果たして、壱心の指示は正しかったようだ。急に警戒音が鳴るとその端末は自爆宣告をして来た。

 その日、壱心の自宅を訪ねた者は全員裏口からの訪問となった。そしてついでに彼の家の前には火柱が上がり続けるという奇怪な噂が流れることになる。



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