激変
新政府重鎮が欧米諸国より戻って来た1873年、明治六年となるこの年……政府が大きく揺れる事態が発生した。
西郷隆盛、板垣退助、江藤新平ら政府重鎮が下野。そして彼らと行動を共にして大隈重信、桐野利秋などといった優秀な人材、そして軍人や官僚の三百名が職を辞す征韓論政変が起きたのだ。
現時点の政府首脳である参議の三分の一が下野した世間を揺るがす一大事。政権内のバランスも大きく動き、政府内外を問わずに慌ただしくなったこの時。これを聞いて被害を抑えられたと感じたのは香月壱心ぐらいなものだろう。
あくまで史実と比較すればの話だが明治政府内には人材が残っているのだ。福岡を代表とする政府内の人材が増えて絶対数が増えていること。そして、征韓論派に過度に人々が傾注せずとも別に寄る辺があることから減少数も抑えられていたことが原因となる。
もし仮に、西郷や板垣の誘いに応じて壱心までもが下野をしていたとすればまた別の未来が見えていたかもしれない。だが、現実にそれは起きなかったため考えるだけ無駄なことである。
さて、そして迎えるのが1874年。下野した面々が自由民権運動に走り、愛国公党を設立し、民撰議院設立の建白書を左院に提出したその年。
ここから新政府が明治政府としてこの国を安定させるための剛腕を振るっていくことになる。壱心が特に関わることになるのが台湾出兵だった。
壱心が深く関わることになった台湾出兵。それは明治新政府軍として行われた初の海外派兵で、後世ではこれによって国際社会は琉球を日本領土であると認識したと教えられる事件。
しかし、その派兵は後の世で語られるほどスムーズなものではなく非常に不安定なものだった。具体的に言うのであれば、民衆の不満を政府ではなく国外に向けるため……そして何よりも征韓論争で内心燻ぶっている有力者たちの目を征韓論から逸らすために半ば強引に画策されたものだったのだ。そうでもしなければ征韓論派は止まらないと判断された結果である。
その判断根拠となったのが同年の1874年の2月に勃発した佐賀の乱だ。明治六年の政変で下野し、愛国公党に参加せずに帰郷した前参議の江藤新平らが中心となって起きた不平士族による初の大規模反乱だ。電信という情報展開と、史実とは異なり福岡に設置された鎮台の活躍やそれ以外の各所から集められた鎮台兵たちの迅速な行軍などが功を際し、すぐに鎮圧された一件だがこの後に各地で不平士族に続かれては問題だと新政府はすぐに行動に移した。
新政府重鎮が特に恐れたのが福岡藩の呼応。壱心が面倒になるほど各地から再三の確認連絡が届いていたのがその証拠だろう。事実として江藤からの誘いは来てはいたが、中央のみならず全国の有力者から確認の連絡が来たのはもう苦笑するしかなかった。史実でも大久保利通より福岡藩の呼応は気にされていたが、それ以外の各地から電信が届いた辺りに今の福岡に対する評価が透けて見える。
一先ず、壱心もこれだけ警戒されている中で何もしないというのも後々の対応に引き摺ることになりそうなので薫風堂で頭角を示してその実力を見せつけた国守桜と共に謀略で対応。また、福岡県に設置され、九州全域を担当する第六軍管の内、九州の北半分を担当する十三師管の師団長になっていた安川新兵衛に佐賀城の拠点防衛を命じた。
その結果は誰の目にも明らかだった。そもそも、目先の敵が一致しているからという理由で最終目的も党是も異なる烏合の衆が合流して決起したところで、意見が割れるのは当たり前なのだ。まして、命を預けられる仲になれるわけがない。
壱心と桜は佐賀県の決起士族の中心、征韓党と憂国党の間に楔を打ち込むことに成功。磐城の戦いの時のように敵同士での疑心暗鬼を盛り上げて攻勢箇所を集中して連携を崩し、大久保が東京や大阪から鎮台兵を率いて福岡入りするまで佐賀城を孤立させることなく守り抜いた。
その後の流れとしても特に苦戦するということはない。政府軍本隊と合流した後に攻勢に移るとしていた安川はそれを有言実行しただけだ。防衛拠点だった佐賀城を攻撃拠点の起点として西進し、反乱は鎮圧された。
このような形で鎮圧された反乱だが、実害よりも対外的に国内が安定していないと思われることに非常に問題がある。このような経緯から政府内では強硬に征韓論を唱えていた者たちのガス抜きを行わなければ、同様の事件が多発するとして海外出兵でも負担が大きくない台湾出兵を行うことを決定した。
しかし、征韓論を退けて行われたこの海外出兵には疑問を持つ者たちも少なからずいる。史実の木戸孝允はこれを理由として下野したほどだった。尤も、この世界線の彼は台湾出兵に賛成している大村益次郎に色々と言われたようで何の行動も起こさなかったようだが、内心では色々と思うところがあるだろう。
それでも、史実よりはマシだった。史実の西郷従道が行ったような強行的な台湾出兵ではなく大方の承認を得た上で台湾出兵が実現できたのだから。
兵力は二個大隊、凡そ4000名。率いるは西郷隆盛の弟であり、台湾蕃地事務都督に任命された西郷従道。そしてそれを補佐するのが土佐藩閥出身の谷干城、そして福岡藩閥の安川新兵衛だ。主に谷が陸軍、そして安川が海軍を指揮する手筈になっており、無事に出発して既に地元の有力漢民族の手によって上陸していた。
ここまでが、壱心がこれまでの情報から理解していた内容。そして、これからが今回、安川から送られてきた手紙の内容だ。
安川の報告では道中の旅は色々とぎこちないものの様だった。西郷従道が福岡藩出身の安川と微妙な距離感で接してくるのでスムーズにいかないという。
それも仕方のないことだと壱心は思案した。外務卿からこの件を任されているのは壱心でありながらも西郷従道に関しては別件で来た話だった。薩摩藩の困窮した士族たちの働き口として植民兵や鎮台兵を利用したかったのが原因だ。
この薩摩藩の強行施策で色々と指揮系統などが拗れている。それを何とかするために、派遣されたのが安川。しかも、壱心から台湾に向かった時に少しばかり……という態で、色々とやって欲しいことをやらなければならないという状況だ。
思い出すのは安川に今回の一件を依頼した時の事。
『西郷の大きい方の所為で薩摩と福岡との関係がぎこちないから上手いこと丸め込んでおいてくれ。後、今後のために鎮台兵とウチの藩にマラリア対策もしてもらうとして……後は植民兵を現地に入れて後に工作してもらおうと思ってな……新兵衛ちょっと台湾に行ってきてくれないかな?』
『簡単に言ってくれるなおい! こっちは佐賀の乱の後始末で……』
『……え? 後始末、そっちでやってくれるなら……』
『……いえ、ナンデモナイデス』
これが彼らの間で交わされた言葉だ。仮にも福岡県県令ながら新政府内で大きな存在感を示す男と海外留学を済ませた上で佐賀の乱で功を立て、昇進間違いなしの第六軍管・第十三師管師団長、安川陸軍大佐の会話とは思えない。
因みにこの佐賀の乱で活躍した第六軍管を統括する鎮台についてだが、この世界線では福岡藩が強い力を持っていたことから史実で熊本に設置され、九州地方から中国地方西部を担当していた鎮西鎮台は存在していない。九州は福岡に設置された福岡鎮台が統括することになっている。
福岡鎮台内部では日夜薩摩藩と福岡藩の藩閥争いが繰り広げられ、肥前は今回の一件で鳴りを潜めたが、肥後も上層部が隙を見せれば食い千切りにかかってくるという素敵な空間だ。
そんな生きづらい環境で日夜、安川は頑張っているのだからたまにはお外に……そんな感じで壱心から言い出されたことに安川は非常に不本意そうだった。
そもそも内示で彼は少将となる事が確定しており、別に外に出なくとももう少し楽が出来る予定だったのだ。だが、この国のために仕方ないという形で既に大海原に旅立っている。
そんな彼から送られてくる手紙。それは今の壱心にとっては前に自身が知藩事になった時に送られてきた手紙とはまた違う形で面白いものだった。
内容は蚊帳を張るが、空気が通り辛くなって暑い。香草を燻して蚊を追い払うが煙たいし暑い。後、暑い。製氷機をもっとくれ。戦闘や調査は暑い以外に問題ないから兵より製氷機をください。そんな感じの報告書だ。
それを見て、壱心は自分よりも大変そうだ。まだ自分はマシなはずだ。そう思いました。
「……壱心様。手紙を見て現実逃避をしている場合では……」
そんな、急に無言になって思案を続けていた壱心を見ていた宇美が声をかける。彼女の声は笑いをかみ殺していた。
「宇美?」
「ひぃっ……ふ、ふーん。亜美さん、凄んでも無駄ですよ……今のあなたになら私だって……」
「止めてくれ……俺が悪かったから。現実を見るからやめてくれ……」
室内で暴れそうな
一人は宇美。二代目の宇美である彼女はまだ10代で、この時代からすれば立派な大人だが、まだ少女だ。
問題はこちら……亜美の方だ。確かに、彼女は若い。一見すれば背格好から少女と見間違いをされることも多い。壱心がお雇い外国人と話をする際に初見で彼女が成人女性であると理解する者は殆どいないと言っていいだろう。
だが、同じ日本人であれば条件は少し違う。1867年の王政復古の大号令の時には壱心の従軍に参加し、安川も止めなかったことから、その時点である程度の年齢であったことが分かる。
そして現在は1874年。あれから7年が経過している。彼女の話を信じるのであれば既に二十代半ばといったところ。……というのに、壱心の目の前にいるのは見紛うことなき少女。見覚えがないわけではない。寧ろ、あり過ぎて困っているほどだ。
……ただ、史実云々というよりも現実的に考えておかしいことに彼が最後に彼女を見た時よりも一回り小さな、出会って間もない頃のような少女の姿をした亜美がいたのだった。
「……何があったか説明してくれ」
付き合いが長いだけ色々と思うことがあり、現実逃避したいこともあったがそうもしていられないとばかりに壱心は宇美と変わらぬ年齢の少女となった亜美にそう告げた。
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