短刀一つ

 さて、明治六年の欧米訪問組を迎えての会談だが……意外なほどにすんなりと片が付いてしまっていた。議論が紛糾するであろう頃を見計らって入室しようとした者が来た頃には会合室は既に人がまばらになっていた程だ。

 これについては史実よりも強硬派の力が弱まっていたことが影響している。この場に参加こそしていたものの、史実で明治政府を操るかのように動かした力を影程も見せられないリゼンドルが空気にさせられていたことも強硬派の力を削ぐのに多少は影響しているだろう。


 これらの結果は国内統治の利益を理解し、重視する者が多かったことが原因だ。要するに、壱心の……引いては黒田藩、福岡の力が大きかった。壱心……対外的に見て福岡藩の息がかかった企業たちが穴だらけの税制である程度の節税を行う以外は中央へ納税をしっかりと行っていたことで改革によりどれだけの収入が見込まれるのかを示すことに成功していたのだ。

 そして、その成功モデルはその仕組みを惜しげもなく展開している。彼らはそのおこぼれを手に入れるためにそちらに協力することを選んだのだ。壱心が成功情報を惜しみもなく展開してきた結果がそこにあった。外に目を向けるまでもなく内で出来ることが山積みの状況。国や地方を預かる身としてはリスクを負った外の成長よりも安全な内側の成長が望ましかった。直前に行われた地政学の話も関係ないとは言い切れないが、どちらにせよ場の空気はどうしても穏健派に寄っていたのだ。

 そのため、反対を声高に叫ぶ者たちは会合の場でごく少数だった。そして意見は棄却され……会議は国内統治優先でまとまる。


 ……表向きには。


「さて……西郷さん、そがな物々しい感じでどうしたんじゃ?」

「物々しい……別に、そげんこつなか」


 そして水面下の動きが今、始まろうとしていた。


 既に会議は終わったはずだが、この場には香月壱心、坂本龍馬、西郷隆盛が一堂に会するという状況だ。

 経緯としては壱心が史実で言う外遊に当たる外談へと向かっていた使節団と情報交換をして一区切りついたところで坂本が壱心の控室に押し掛けてきた。そこに更に西郷がやって来たという流れになる。

 荒々しい態度でやって来た西郷は入室と同時に坂本の姿を見て何とも言えない形で壱心に話があると言って坂本に出て行って欲しい態度を見せていた。


(でもこの人は敢えて空気を読まずにここに居る気だな……)


 坂本の様子を見て壱心はそれを確信する。西郷の苛立ちは殺気に近いものになり始めていた。壱心としては坂本が何を言い出すか、西郷が何をするか、そして背後に控えている咲が殺気の増大に伴い、武力鎮圧を実行しないかと多方面を警戒する羽目になっている。

 そんなこんなで壱心は出方を窺うが、坂本は西郷に話しかけて真意を探り続けている。本来であれば壱心にのみ何かを伝えに来たのだろうが、痺れを切らした西郷はこの場で声を上げた。


「あぁもうよか! 待ってられん! 香月くん、朝鮮の話はどうなっとる! おいの話に賛成しちょったんじゃなかんか!」


 やはりその話か。壱心はそう思いながら落ち着き払って西郷の声に応えた。


「西郷さんが行くなら納得いく説明をしてくださいという返事はしましたが。後はどうしても行きたいみたいだったので助言程度はさせていただきましたけど」

「行かせるつもりはあったんじゃろ? じゃっどん、さっきはちごっことっちょったじゃらせんか! 何が亜米利加に渡すか!」


 どうやら西郷は、壱心が西郷に朝鮮とのやり取りをやることを承認したというのに地政学の話の際に朝鮮へアメリカの介入を認めるという旨の話をしたことが気に入らなかったようだ。

 それも当然だろう。他でもないリゼンドルアメリカ人から日本がこの先、アジアを制して生き残るには朝鮮や大陸沿岸の島々を手に入れることが重要だと言われているのだから。


「んー? 壱心くんの話じゃ渡すというよりも利用するやないかのぉ? 貿易品を横浜かなんかで泊めさせて輸送費で稼ごうっちゅー話やなかった?」


 だがしかし、西郷の言葉を遮ってアメリカを渡すという言葉に引っかかりを覚えた坂本が飄々といった態度で壱心に確認のために声をかける。それを受ける壱心は苦笑しながら頷いた。


「えぇそうですね。主な目的としては三点です。まず中間交易で儲けること。次に日本の輸送船を利用してもらう……のは難しいかもしれませんが、少なくともこの国の石炭を消費させることでこの国の石炭市場を拡大。そして、アメリカが朝鮮へ技術提供の名の下に高値で売りつけたのを安く買うのが目的といったところです」

「えげつないのぉ……」


 愉快そうに笑う坂本。因みに彼らの話すアメリカから清国に向けての輸送ルートについては既に横浜から上海ルートを作り、坂本の会社を引き継いだ岩崎弥太郎が頑張っているところだ。


 それは兎も角、西郷はそれでも気に入らないらしい。


「何を笑いちょっどか! 朝鮮が亜米利加になったら亜米利加ん船が自由に日本海に来っちゅーこっじゃぞ! 喉元に切っ先を突きつけられとるんと同じじゃ!」

「アメリカにはなりませんよ。遠すぎる」


 西郷の言葉を壱心は素早く切り捨てた。続けて、西郷が何らかの行動を起こす前に壱心は口を開く。


「西郷さん、あなたは今、懐に小刀を持ってますよね?」

「何のこっじゃ?」


 壱心の問いかけに当然にように首を傾げる西郷。機先を制されたかのような停止は話が飛んだこと。そして何より実際に短刀を持っていることから誤魔化すための反応だった。それを分かっている上で壱心は続ける。


「まぁ、持ってても出しませんよね? それは当たり前です。これだけ周囲の目があるんですから。それに、私だって無抵抗にやられることはない。それを言うまでもなく理解しているんですから……それと同じです。アメリカとて列強や清が見ている中で馬鹿な真似は出来ないんですよ。更に、この日本には人口も、金も、銀もある。その上、武器だってないわけじゃない」

「……じゃっどん、あん男も日本を守るには朝鮮を抑えんと……」


 リゼンドルの反応のことだろう。壱心はすぐに目星を付ける。アメリカに朝鮮が渡るかもしれないという話を聞いて喜びつつもこちらを諫めるような反応を示していた。そのことが引っ掛かっているらしい。


「西郷さん。朝鮮は押さえます。ただ、押さえるべき場所というのがありますし、そもそもまだその時期じゃないんですよ。主目的はこの国を守る事なんです。この国を守るのであれば朝鮮全体は要らないんです」

「亜米利加に渡していいという話にもならん」

「アメリカが欲しがっているものと日本が欲しいものは違う。アメリカが欲しいのは売り場マーケット。日本は安全が欲しい。日本の安全には日本海の安全があればいいんです。それはつまり、朝鮮周辺の島々と主要港を抑えらることが出来ればいいということ「そぃを開かせるためにおいが出るんじゃろうが!」で……」


 壱心の話はもう聞き飽きたとばかりに西郷は声を張り上げた。僅かな時間、沈黙がこの場に降りるが誰よりも先に壱心がその先を拾い上げる。


「港を開かせに行く……開国させるという話ですよね」

「そうに決まっとる!」


 壱心の呟きにも似た声を掻き消すかのように頷く西郷。坂本は面白そうに成り行きを見守るだけだ。そんな中で壱心は告げる。


「それは……幾つか仕掛けをしている最中なんでちょっと待ってください」

「そいはもう何遍も聞いた! いつまで待たせる気や!」

「もう少しですよ西郷さん……もう少しで朝鮮に開国して欲しい面々……列強諸国が、日本を動かすためにもっといい餌をチラつかせて来るでしょうからね」

「ほー、何か面白い話でもあるがや?」


 自信あり気な壱心の様子を見てそれまで楽しそうにしていただけの坂本が口を挟んだ。それを受けて壱心は静かに答える。


「……密約が来ています。私が言えるのは後一言だけ」


 西郷が言葉を発すために息を吸う。それに先んじて壱心は言った。


「いいですか? ここに居るお二人を信じて教えました。くれぐれも他言はしないでいただきたい。もし、万が一ということがありましたら」


 瞬間、壱心が動く。そちらに気を向けて防衛態勢に入った西郷、釣られて動いた坂本は壱心が小太刀を抜いていることを最初に視認した。そして、遅れてその奥で咲が銃口をこちらに向けていることに気付くことになる。

 そしてそれに彼らが気付いて何か行動しよう脳が指令を下そうとした刹那に幕末の京都や戊辰戦争における激戦の最中を鮮明に想起させる殺気が室内に充満する。


 それを受けて西郷は苦笑、坂本は大笑していた。


「……大人しそうにオイたちを宥めちょきながら、とんだ餓狼がおったでだ」

「フッ……ハッハッハ! それぐらいじゃないと面白うないな!」


 壱心から凄まじい殺気を受けながら両名はそれぞれの態度を見せる。そして壱心は表向きは彼と犬猿の仲にあり、つい先日に尾去沢銅山汚職事件で退職したはずの男の名を小さく告げるのだった。


「西郷さん。この件はもう、私の手から離れています。どうしてもと仰るのでしたらあなたと留守政府を預かっていた井上さんにお話をお願いします」

「……三井の番頭か。おいは好かん。そぃより君からぅてくれればよか」


 嫌そうな顔をしながら壱心からの取次ぎを頼む西郷。嫌に高く買われているが何もしていないはず……と思いながら壱心は仕方なく言った。


「あくまで私から通したいんですか……でしたら、実績としてまずは台湾を抑えてもらいましょうか」

「ん?」


 どういうことだと反応を示す西郷。壱心は続ける。


「台湾に関しては私に任された案件ですからね。この国の住民の命を実際に奪ったのはあちらが先ですし、海岸線の防衛という点でも非常に重要な拠点になると思います。台湾出兵が決まっているのは西郷さんもご存知でしょう? 台湾、引いては清国との交渉を成功させることが出来たら私の方から推薦しますよ」


 壱心の言葉を受けて瞑目して考える西郷。史実の彼がおかれた状況であればこれでも満足はしなかっただろう。彼は困窮する武士たちを抱えていたからだ。

 だがしかし、この世界線においては戦争特需や植民地政策以外にも道があるかもしれないということを壱心が示している。多少、西郷が試行錯誤をするだけの猶予はあるのではないか。


「……返事は後にさせてくれ」


 西郷はそう言ってこの場から去ることを決める。簡単にこの国を離れられるような立場ではないのだ。彼は様々なことを考えて行動しなければならない身になっている。


(……よし、時間稼ぎにはなったな。ただ、実際に西郷さんが台湾出兵に同行するとなったら……)


 西郷を退けることに成功した壱心だが、彼は友人であり今回の台湾出兵で参謀を任されている友人、安永新兵衛のことを思いながら遠い目をするのだった。


(色々任せて悪いな……まだ、確定してないし普通なら行かないだろうけど……)


 行かないにしても多くのことを任せた友人のことを考えつつ、壱心は何やら上機嫌な坂本に連れられて宴会へと身を投じるのだった。



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