デマに踊る

「んー……?」


 二代目宇美となった愛らしい顔立ちをした少女はいつもと異なる様子の香月亭で掃除用具片手に小首を傾げていた。


「何だろう? 殿様が台所に何の用なのかなぁ……」


 目に見ずとも気配で探る香月家の日常。しかし、いつもと異なる場所に異なる人がいることに宇美は気付いたようだった。男子厨房に入らず。そんな時代に生きている彼女からすれば真っ当な疑問。

 そもそもの言葉である孟子の言葉「君子遠庖厨」にも適応する一国一城の主である彼が自室の厨房に入っている。


「まさか、あの噂は本当だったとか……?」


 宇美の脳裏に過るものがある。この館の主にまつわる黒い話だ。よくある話で、一笑に付していたが、いつまで経っても素性の掴めないここの主であればもしかすれば……その思考が彼女の頭で回り始めた。


(鬼武者、香月壱心は戦に勝つとその日一番の大物の髑髏で盃を作り、その肉を肴として酒宴を楽しむとか……そして、戊辰戦争が終わってからは獲物に飢えて自分に従わない家臣で同じことやってるとか……)


 どこの第六天魔王様の逸話だろうか。しかも、時代が下って真偽が不明になった彼ならまだしも、この周辺には生き証人が幾らでも居るというのに彼女は与太話を信じているようだ。

 因みにこの話の元は論功行賞を正すために戦毎に彼が情報をきちんと受け入れたこと。それから前藩主の家臣を上手くまとめてあまりにも恙なく福岡藩を運営していることが由来になっており、要するに他者のやっかみが生んだものだ。


 お忍びで手に入れた噂話の方が楽しいから仕方のないことかもしれないが、見ず知らずの他人よりも自分の仕える主のことを信じて欲しいものだった。


(しかも、最近は女子どもの方を好むようになったとか……どうしよう。私、最近ちょっと、ちょっとだけお肉が……亜美さんの修業サボったから……)


 百年とちょっと下り、その時代にいる彼女と同年代の女子に言えば袋叩きにされそうなことを考える美少女さん。因みにこちらの噂の元になったのが新政府に男手を奪われ、能力だけで見た場合に採用した結果として女性が他より多くいたこと。

そして、新政府の富国強兵の政策の一環で列強より導入している義務教育の走りに色々と動いていることが由来になる。


 それらのことに関わっていない訳ではないというのに、彼女の頭は自分にとって悪いことばかり巡っているようだ。


 そんな折に彼女はこの家に住まう別の少女に出くわすことになる。不安気な少女に対して金髪の彼女は何やら上機嫌のようだ。呑気な彼女を目の当たりにした黒髪美少女は何やら思うところがあったようだ。宇美は掃除用具をその場に立てかけると割烹着の上に危機感を纏って金髪美少女に詰め寄った。


「壱心様が厨房に入ってるんですよ! 何をそんなに呑気にしてるんですか!」


 これに面食らったのが金髪碧眼の美少女リリアンだ。何か怒っている様に見えるが、何の話かよく分からない。遅れて彼女の発言を頭が理解しても趣旨が不明だ。


(壱心様が厨房に入ると美味しいものが食べれる。私は楽しみです。ダメなんですか……?)


 壱心が名目上脱藩し、独り暮らしをしていた頃から一緒にいた彼女は壱心の厨房入りを何度か見ている。

 確かに彼は多忙であり、その身分もあるため身の回りの事は他人に任せることが多く、厨房入りは少ない。だが、宇美がそんなに驚くほどのことではないはずだ。何故そんなに彼女が慌てているのか分からなかった。


「え、えーと……? 折角のchanceに何をしてるって話ですか?」


 取り敢えず、リリアンは宇美の話を料理上手な女の方がモテるのに何をぼんやりしているのかという注意、そう受け止めた。しかし、宇美が言いたいことは違う。その上、リリアンの話を中身よりも態度で理解した。


「自分は食べられないからって悠長ですね! あぁ、私じゃありませんよーに……食べるならそっちじゃない方でお願いします。そっちならまだ……」

「何の話……?」


 首を傾げるリリアン。しかし、宇美の独り言の内容が過激になり始めたところで待ったをかけた。


「Wait! Wait! 何の話をしていますか! 宇美ちゃん、壱心様を何だと思ってますか!?」

「食べないでくださーい! リリィちゃんからもお願いしてよ~」

「食べませんよ!? あなた、人の話聞いた方がいいです! あと! はしたないことをそんなに大きく言わない方がいいです!」


 いつもより幾ばくか興奮気味でわずかに日本語が怪しくなるリリアン。しかし、彼女はそんなことよりも興奮気味で声の大きい宇美の発言が壱心に届いてないかの方が気がかりだった。彼女は自分の名前を呼んでいる。これに巻き込まれて壱心に自分まではしたない子だと思われると不本意甚だしい。


「あ、あのですね。壱心様は厨房でそんな急に、変なこと……変なこと……」


 どうにかして宇美を止めようとするリリアン。しかし、彼女もまた彼女で別方向に暴走し始めた。


(……そういえば、確かに壱心様がいる時は厨房に入らないように言われました。でも、大人の人たち……宇美小梅さんとか亜美さん、それに咲さんなんかは入って……え? でも、そんなところで? なんで? 私に見られないため? 声とか……もしかして、煮炊きの音で誤魔化すため……? ほんと?)


 色々と自分の中で疑問を抱いてはそういう・・・・方向で解決してしまうリリアン。この時代の厨房は包丁の他、竈などの危険物が大量にある場所。普通に考えて自分の料理中に子どもがうろうろするのは嫌なだけだ。この時代の人であれば子どもに手伝いもさせるものだが、壱心の感覚には現代人が入っている。

 加えて、壱心は事故の類を非常に恐れているため、まだ幼く様々なことに不慣れなリリアンに狭い厨房に来てほしくなかった。


 しかし、そんなこと説明しなければ分からない。この時代の常識と壱心の常識の摩擦で発生した熱に妄想の燃料を注ぎ足して純情乙女の脳内列車は暴走する。


「……気配。あっ、咲さんだ」


 そこに新たな燃料が。


「あぁ、お姉さまが今日の犠牲者なんだ……ひぃぃ……あんなに尽くしてたのに。でも、確かにちょっとお金にがめつい人だったから、分からなくもないかな……? そうなるとあたしも我儘だったらある日、突然そんな感じにされるの……?」


 そしてその燃料はこっちにとっても同じような物だった。しかし、その燃料の矛先は違う。


「行ってみましょう」

「えぇ! ちょ、大丈夫なの? み~た~な~? とかなんない? 第二の犠牲者にならない? ちょっと待ってよ!」

「静かについて来てください……」


 気配を殺して移動する二人。厨房まで最短距離で誰にも見つからない隠密活動に成功すると息を潜めて中の様子を窺った。こちらに背を向けており、何をしているのかは不明だ。


「ん?」

「どうかしました?」

「……いや、何となく……」


(これ以上の接近は難しいですね……顔を出すのも危ないです)


 壱心が振り返ったことでリリアンの警戒心が上がる。壱心の警戒に加えて亜美もいるという状況での諜報にしては軽率だったと自らを戒めたのだ。

 未熟者である二人では接近が難しいことを理解し、彼女たちは遠距離から声のみを拾うことにした。壱心が暗殺対策や機密保持のために色々と細工をしているが、基本は和室であるため距離があっても聞こえるだろうとしての判断だ。


 そして得られた結果が、これになる。


「……ちょっと、舐めても……」

「…………体にさわるぞ……って……飲んだのか……」

「しょっぱ…………思ってたより……濃いです……」


(……!)


 互いに聞きたいことが聞こえた。顔を見合わせて頷くリリアンと宇美。一先ず、会話をするためにこの場を離脱することに決めたようだ。再び音を殺して移動する二人。向かった先は壱心にとって機密扱いだったことから防音処理などが施されているリリアンの自室だ。


「聞きました……?」

「聞いた! お姉さまも食べる側だったんだ! どうしよ、今日のおかずに変なの入ってないよね!?」


 どうやら宇美はさっきのシーンを何かの捕食……今、彼女の脳裏を支配している食人というシーンで解釈したようだ。


「た、食べる側って…………でも、そうですよね……」


(自分から積極的に行かないと、壱心様から来てもらうのを待っても……)


 噛み合っているようで噛み合っていない両者。宇美の台詞には「物理的な意味」という注釈が付き、リリアンの台詞には「性的な意味」という注釈が付くからだ。


「……き、決めました。勇気を出して、私も頑張ります……!」

「えぇっ! 変なところで頑張らないでよ!」


 驚く宇美。まさかそう来るとは思っていなかった。


(まずい……リリィちゃんがそっちに行っちゃうとあたしが……!)


 リリアンの寝返り。それは宇美が壱心たちのカーニバルカニバリズムに気付いてしまったことが自動的に通じてしまうことを意味する。しかし、目の前の女の子は「女は度胸……」などと自身を洗脳するのに暇なく、突撃をかます勢いだ。


「行ってきます!」

「ちょ、待ってよ~!」


 というより、突撃をかました。


 ここで一人取り残されるとなると……それを考えるならば今、勢いでそっち側に行ってしまわなければ……しばしの逡巡。宇美はリリアンと共に厨房へと赴くことに決めるのだった。



 そして。



「く……俺にとっての九州醤油はこれじゃない! これはただの砂糖醤油だ!」

「何が違うんですか……折角の白砂糖ですよ? 高いんですからこれ……今使っている醤油程ではないですけど……」


 厨房では壱心が納得いかなさそうに小皿に入った醤油を舐めていた。先程、一皿だけで大分キツいなこれ……と思った咲にとってはもう何でもいいから早く決めた方がいいのではないかと思うのだが、彼は気に入らないようだ。


(凝り性ですよねこの人……この前は何でしたかね? あぁ、何だか出汁の素とかいうのでしたね。普通に取ればいいのにと思ったものです……)


 壱心の道楽に付き合わされて咲たちは材料を届けている。それをするとご相伴に与れるため、壱心が作るものが美味しいのは分かるが……毎回、大金を持たせて最高級品を集めて作る必要があるのかはよく分からなかった。


(誰かに作らせればいいと思うんですが……まぁ、毎回これじゃないあれじゃないと文句を言うんですから好きにさせておきましょう……)


 半ば諦めにも似た心境でそう考える咲。そこに乱入者が。


「壱心様! 覚悟は決めました! 私を召し上がってください!」

「えぇっ!? まさかの食べられる側での参戦!? これは驚き!」

「……急にどうしたんですか」


 来るなり慌ただしい少女たち。どうするのか壱心に判断を委ねようと咲は視線を壱心に向ける……が、彼は目を閉じて首を捻るだけだ。


「違うんだよなぁ……何が違うんだろ。甘草だとそれなりに近いんだが……やはり醸造から? ペニシリンに引っこ抜いた職人たちに話を聞くか……?」

「……もう、何と言いますか……取り敢えず、私が話を聞きますよ。無料で」


 珍しい言葉を聞いたとばかりに目を見開くリリアンと宇美。だが、この日の驚きはそんなものでは済まない。彼女たちは更に珍しいことに咲が声を上げて笑う現場を目的することになるのだ。


 尤も、当人たちは自らの勘違いでそれどころではなく悶え続けるのだが。



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