光と影

 会議は中断し、小休憩に入る。壱心も例外なく休憩ということで別室に案内されることになった。明治政府重鎮組は各自に小部屋が与えられており、壱心も同じくそのように案内されていた。

 咲と共に案内された小部屋に入ると壱心はそのまま椅子に腰かける。そして壱心の方から口を開いた。


「……まぁ、大体は決まってそうだな」

「そうですね」


 この会議の大勢はもう大体決まっている。壱心が抱く印象はそんな感じだった。だが、ここからひっくり返る可能性も十分にある。

 それはそうとして、壱心は会議中の咲の様子で気になっていることがあった。金は取り決められた通りに払う予定であるというのに彼女の反応が随分と悪い。そのことについて訊きたいことが……


(聴きたいことが、あったんだが……この気配は……)


 しかし、咲への問いかけは壱心の内心で留まることになる。それよりも気になるお客さんがこちらに来ているのを感じ取ったのだ。扉の向こうでは畏まった口調でこちらになりますとの声。続けて、入室を求める声が。


「香月様、西郷様がお見えになっております。今は大丈夫でしょうか?」


(大丈夫じゃないって言ったらどうなるんだ)


 思うところはあったが、壱心は内心で噛み殺して椅子を立ち、表向き西郷の入室を歓迎する。


「休憩中のところ申し訳ない。邪魔すっよ」

「いえいえ。西郷さんの方こそお疲れのところご足労いただきありがとうございます。本来であればこちらから挨拶に伺うべきなんですが……」

「いやいや、忙しいことは分かっとる。やけんが話も単刀直入にしよう」


 和やかな雰囲気での挨拶だった。だがここで西郷の雰囲気が一変する。それまでの明るい真昼のような態度から月明りすら微かな深夜の雰囲気を纏うと彼は端的に告げる。


「香月くん、君は亜細亜アジアを列強の食い物にさせる気か?」


(そら来た)


 ある程度予測のついていた壱心はちょっと言葉に詰まる感じを演じて不本意さを装いながら口を開いた。


「……一部を、一時的には」

「ほう。ちょっと話が広過ぎたかな。じゃ、朝鮮はどうだ?」

「どう、とは?」


 余計なことまで話さずに済むように壱心は西郷の問いを更に狭めにかかる。彼は厳かに口を開いた。


「外務省輔の上野(景範)からの話、聞いちょるな? 朝鮮政府は日本政府を軽視し、国書の拒絶に始まり居留民の安全を脅かす事態に発展しとる。つい、最近の話だが釜山にある日本公館の門前に『日本人は西洋の猿真似をする恥ずべき人種だ』と掲げようとする動きまであった」


(……何かネタは違うがどっかで聞いたことあるような行動だな……というよりも史実じゃ確か来年やる予定のはず。どこからその情報を手にしたのか……)


 西郷としてはかなり穏健派寄りの発言をしているように見える壱心を怒らせようとしての発言だろうが、壱心としては呆れるばかりだ。


「ここで何もせねば奴らは何をしてもよいと考えるだろうな。そうなれば、居留民の安全が脅かされる……香月君。国内は確かに大事だ。国政を疎かにしちゃならんのは勿論のこと。じゃが、国外にいる日本人にも目を向けなければならんとおいは考える。どうじゃ?」

「まぁその通りですね」

「そうか! 分かってくれるか! したら、そのためにおいに考えがある。おいを全権大使として朝鮮に送るように手筈を整えてくれんか?」


 西郷は重苦しい雰囲気を一転させて破顔した。言質を取ったとばかりの表情だ。しかし笑顔で告げられた内容は重いどころの騒ぎではない。


「そうですね。西郷さんの考えを聞いてから考えますよ。ただ、小休憩はそろそろ終わるので」

「……! うむうむ! 後で書状に認めて送ろう! いや、思ってたよりも話の分かる御仁だ! いやいや、悪い意味ではない。噂では鬼の様な荒武者と聞いていたのでな」


 どうやら色よい返事がもらえたらしいと判断した西郷は口も軽くなり、しばらくの歓談を楽しんだ後その場を上機嫌で後にする。彼の姿が完全に見えなくなったところで咲が口を開いた。


「……いいのですか?」


 咲の小さな呟きは曖昧なものだった。だが、壱心は理解した上で告げる。


「別にどうでもいい。俺は福岡に戻るし、彼は中央のまま。考えの仔細について理詰めで議論してれば月日が流れて使節団が戻って来る。そうなれば彼ら西郷大好き組によって意見は潰される」

「そうですか」

「……まぁ納得いくように出来れば俺からも派遣を推すがな」


 壱心にとっては別に西郷はどうでもいいのだ。この国の中心人物で多くの賛同者のいる彼だが、壱心にとっての彼は……


「さて、西郷さんがこの会議よりも俺の説得に頭が向いてる以上、この会議はもう終わったも同然だな。咲、引き続き頼む」

「はい」


 小休憩も終わり、彼らは消化試合に臨むのだった。






 壱心が小休憩から立ち上がり、会議の再会に備えている頃。福岡では維新で活躍した者たちが歓談に沸いていた。


「いやいや、この町も様変わりしていきますな。何より、民草の活気が違う」

「そりゃこれだけ潤っていればそうでしょう」


 楽し気にしているのは元勇敢隊、それから御剣隊の一部だ。彼らが守り抜き、手にしたものが栄え、自分たちの仕事が上手く行っているのに楽しくない訳がない。肉食が進められるようになって出来た新しい酒場も彼らの舌に合っている。彼らの人生は順風満帆だった。

 尤も、それを見て楽しくないと思っている者たちもいるが。酒が入っていることで大きくなっている声を聞き取って元福岡藩の下士の男は顰め面で酒を呷った。


「ふん……誇りを捨て、伝統を蔑ろにして得られる利の何処が嬉しいのか……」

「先祖の教えを何だと思ってるのか……」


 彼らは先の維新で壱心と共に戦わなかった者たちだ。維新の勲功がなくともこの場で飲み食いできる程度には収入があったことから分かる通り、彼らはそこまでは困窮してないため選択肢があり、藩を守るという名目で従軍しなかった。

 その結果が現在の立場だ。うだつの上がらない雑用係。勿論、壱心が意識して彼らを除外した訳ではない。この時代の武士には珍しくもないことだが、算術が出来ない上に特権階級の意識から営業も出来ない彼らに任せる仕事がないだけだ。


 そのため、簡単な仕事を任されては薄給で暇を持て余す。従来の禄を食い潰しながら急速な発展を横目で眺めて愚痴を言う。それ位しか出来ない。

 向こうの活気ある会話とは異なる暗い雰囲気を纏った会話は冷たい熱量を持って静かに進む。愚痴は伝統を捨て、発展を選んだ現藩主の立場にある壱心に向かっていた。


「……まったく、加藤様も黒田様も余計なことをしてくれたもんだ。何を考えていたのか知らんが普通にご子息に譲ればよかったものを……あんなのを選ぶとは」

「長知様も堅武様も可哀想になぁ……知ってるか? ずっと家で何かさせられてるんだとよ。あ、最近じゃ建部様も入ってるとか」

「かーッ! 自分を取り立ててくれた恩人の遺族にも容赦なしかあの鬼は。よくもまぁそんなんで踏ん反り返っていられるもんだ……」


 不意に訪れる沈黙。酒を飲み、注ぐタイミングで起きたそれ。酒の席では珍しくはない。だが、今回のは意図を持って起きたことらしい。話をしていた片割れの男は声を落としてもう一人に言った。


「……それが、踏ん反り返ってられんのも今の内かもしれん」

「ん? 何だ何だ? 何かいい話でもあるのか?」

「今言ってた三人が中心で藩の旧重臣たちを集めて何かしてるんだと。何せ、あいつがこっちを冷遇するから暇だけはあるからな……名目は、慰労会とか報忠会とか色々あるが、まぁ気になるなら行ってみるといい」


 目だけが笑う中に剣呑なものを潜ませ、盃で顔の半分を隠しながら男は告げる。その雰囲気に少々感じるところがあったのか、もう一人はそれを掻き消すかのように冗談めかして言った。


「いや~でも、相手はあの鬼武者だぞ?」

「まぁ、普通に考えれば難しいかもな……だが、あの御剣隊は中央にいる。しかもあの時の主だった面子もだ。それに……」

「何だ?」

「目には目を歯には歯を、香月には香月を。そうすれば、割れるものもあるってもんだ」


 低く笑う男。もう一人はこれ以上追及すると自分の身も危ないやもしれぬとそれ以上の追及はしなかった。



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