表は真面目

 これから始まる会議に先んじて各所で個人の会話が紛糾している会議室。そこに主役が現れた。


(……来たか)


 カイゼル髭をたくわえ、軍人らしさを感じさせる背筋を伸ばした立ち姿で周囲を見渡し、異国の顔立ちをこの場にいる面々に見せつけながらも澄ました様子の男。


 チャールズ・リゼンドル。フランス生まれのアメリカ人だ。軍人としてアメリカの南北戦争に参加した経歴を持ちながら今は外交官として清国を担当。中でも台湾に住む原住民たちが外国船の乗員を殺害したということに対して清国に交渉を迫ったというのが最近の彼の仕事になる。その仕事帰りにこの日本という国に寄ったというのが今回の訪日の経緯だ。

 そんな彼に伴うのは壱心の手の者であり今回の通訳係の女性。今日、連れて来たばかりで初対面というのに彼と彼女の距離は近くにあった。


(手前味噌になってしまうが……よく訓練されてるなぁ……)


 確か通訳の若い女性には良い人がいると壱心は今回彼女を手配した咲から聞いている。しかも、恋愛によるもので今日も本来は彼と逢瀬の予定だったらしい。

 だが、|色々あって《・・・・・》今回の会議にあたって欠員が出てしまい、英語を主体として教えている壱心らの通訳組の中でフランス語を解し、今回の会議をどういう形にするのが望ましいかという展望まで理解しつつ、今現在無理な範囲でなく浮いている人材は……あ、いた。という形で白羽の矢が立ってしまい彼女の強制出勤が決まってしまった。

 そんな事態で不機嫌な彼女が、彼女の父親と同年代のリゼンドルに誰がどう見ても言い寄っているように見える近距離にいても好印象を保てるように明るい表情を続けているのは彼女の忍耐力の為す賜物だろう。


 壱心はちょっとだけ慰労金に色を付けてあげようと思った。


「香月殿……」

「あぁ、申し訳ないですが一旦話は……」


 色々と余計なことを考えていた壱心にこれまで壱心と話をしていた板垣が小声で声をかけてきた。まだ、明確な回答を得ていないというのに引き下がらざるを得ない不満を隠しきれていないが、この場は大人しく自分の席に移るようだ。

 後でフォローを入れておかなければならない……とは思うが、壱心にはそれよりも気になることがあった。リゼンドルの視線だ。


(……豪いこっち見て来るなこいつ。いや、咲の方か……そういえばこいつ、日本人の現地妻を娶る奴だったな……大村さんたちへの牽制とフランス語が混じった時のために連れて来たが……失敗か?)


 澄まし顔の咲を少しだけ盗み見ると彼女が何やら物言いたそうな顔になっているのに気付く。最近は精神的苦痛に対する補填金と言うのを壱心が出してしまい、咲が取り敢えず申請してみようと考えるようになったようなのでそれかもしれない。

 しかし、よくよく彼女の表情を窺うとそんな勝気な態度ではない。何やら後ろめたさが滲んでいる表情だ。


(何だ……?)


 訝しむ壱心。対する咲は報告報告と口酸っぱく言い続けている彼女の上司の表情を窺いながら彼の思考とは全く異なることを考えていた。


(……隠し通せるでしょうかね……? 早良製糸場を立ち上げる前に技師や一部の外交官に酒の席での戯言のつもりで言っていた私と壱心様の夫婦関係が本当のものと思われていること……)


 外国人の視線を感じて咲は一瞬だけ表情を揺らし、憂い顔を作る。それすら絵になりそうな美しさだが内情は黒い。


(断る名目に丁度良かったので使いましたが……困りましたね。幸い、壱心様は仏語は不得手の様ですが……)


 何となく壱心も聞いてはいた戯言。言い寄ってきたフランス人技師をいなすために言ったのは壱心もその場にいたので知っているのだ。しかし、相手が思いの外、本気で言い寄って来たので素面でも明言こそはしていないが相手の言葉に乗っかる形で同じ趣旨のことを言ってしまったのだ。そして、後者に関しては言い寄られたので躱した程度の報告しかしていない。

 寧ろ、そのフランス人技師が妙な感じで口コミを広めて尾ひれを付け加えた結果壱心以上に周囲の方がその話を知っており、縁談が減ったのはその噂によって壱心が非常に面食いであるという噂が立ったことに由来したりする。因みに、横井が桜を彼に紹介しなければならない状況になった際、壱心が面食いであるとの噂が彼の背中を一押ししたとかなんとか……


 それはさておき、リゼンドルの目が咲から離れたところでようやく彼が口を開き会議が始まったようだ。尤も、会議が始まってもリゼンドルは演説の合間に入れるアイキャッチでやたら壱心と咲の方を見て来るが。


(……壱心様は当然として、私の方まで凄い見て来ますね。紗代の話からして私と壱心様が婚姻関係にあるという噂を信じている人なんですが……)


 どういう意味での視線なんだろうと訝しむ咲。彼女の名誉のために言っておくと彼女に与えられた仕事である本来の意味での通訳はしっかりこなしている。それでいて、まだ別の思考を続けられるというのが彼女の有能さを示していた。


(結婚、結婚ですか……壱心様との結婚自体はまぁ、早良製糸場は軌道に乗り始めていますし、更に別事業に出資をするという不安要素もありますが……現段階から研究も進めていますし、これほど名が売れている現状、余程の失敗がない限り問題ないんですよね……)


 咲の仕事外の思考回路的が回転する。彼女の打算的には壱心と結ばれるのは全く問題ない。色々と余計な相手が彼の周辺に多いというのが玉に瑕かもしれないが、そいつらは表面上、壱心の財産には興味がないように思われる。そうなればその傷もまた意匠として受け入れられるというものだ。


(結婚自体はいいんですが……問題は、壱心様自身がどう思うかなんですよね……この人、本当に何を考えてるんだろう……)


 咲の疑問に対する壱心の答えとして、取り敢えず今は目の前でリゼンドルの演説に質問と反論をぶつけるという思考で会議を活発なものにしている。至って真面目な仕事ぶりだ。

 寧ろ、こんな大事な場面で咲の方が何を考えているんだと言われても仕方がない状況だった。ただ、重ねて言うが彼女が仕事をしていない訳ではない。こんな状況でも咲はしっかりと仕事をしているのだ。

 例えば、リゼンドルの積極的な大陸進出策に対して壱心が列強と新興国が行っている植民地政策の青田買いによる財政悪化への言及により、リゼンドルが流れるように行っていた高説が少し詰まって苦い顔で極々小さく吐き捨てるように呟いた音だって聞き逃していない。壱心の問いかけにもすぐに応答できる。


「咲、今あいつ何て言った?」

「……『黙ってろTa gueule黄色い猿がSinge jaune』ですね」

「ハッ、意地でも自分たちの植民地政策が狂い始めてんのを認めたくないってか? 咲、紗代に合図して今の言葉に悪意を塗りたくって説明を……いや。一応、奴がこの国の顧問になれる程度に手加減して……最悪でも大陸進出計画でリゼンドルと意見を同じくする薩摩の裏に残るだけの手加減をして翻訳するように伝えてくれ」

「畏まりました」


 黄色い猿という差別意識を持っていることは伝えずに何故、彼が苦い顔で言葉に詰まったのかの説明と彼らの背景について日本語・・・で説明する紗代。加えて、壱心の方から補足でアメリカが警戒するロシア、そして西欧が警戒するドイツという列強後発組の台頭に関する情報。それからそれら列強が注目しつつも眠れる獅子を起こさないようにと探りを入れながら慎重に開拓している巨大市場、清国に対する情報を勿論、日本語で入れる。

 日本語で議論が紛糾し、リゼンドルが取り残される中でこの場でも最有力クラスの発言権を持つ大村が隣席にいる壱心に小声で問いかけた。


「……加藤殿から聞いていましたが、本当に見て来たように語るんですね……その植民地政策に関する話はどこから来たんですか?」

「アメリカ海軍のマハン殿ですよ。少し前に戊辰戦争の時に少しだけ話をしましてね……非常に聡明な方だった」


 もし、この場に坂本が居れば「嘘八百を並べるもんじゃのぉ」とでも思ったことだろう。壱心が坂本に地政学の基礎を話したのはマハンと会う前だからだ。坂本も壱心の行動をそこまで詳しくはしらないが、少し突っ込めばわかる事。

 しかし本当に壱心がこの考えを学んだのはマハンからであり、嘘は言っていないのだ。ただ少し、時系列的に百年以上後ということなだけで。

 それでも、この場で追及する者は誰もいない。話の大勢が大陸進出計画の慎重な見直しに傾く。


 その時だった。この場で最有力の発言権を持つもう一人の人物が立ち上がった。


「……各々方! あまり議論に加熱し過ぎてもいい案には至りませんぞ! しばし休憩を挟みましょう。いかがか!」


(出たか……)


 鶴の一声。大物ばかりのこの場で、このまま慎重論で押し切りたいと盛んに話を続けていた者でも彼に異論を挟む者はいなかった。


「さ、これで少しは休めますかな……ではでは、四半刻後に再開ということで」


 飄々と立ち上がり、部屋を後にする発言者。彼は名を西郷隆盛といった。



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