留守役組
「ご無沙汰しております。香月殿」
「あぁ、久し振りですね……」
評議所。西欧の真似をして作り上げた大きな机と椅子が立ち並ぶ会議所にて壱心は久々の再会を果たした。相手は板垣退助。言わずと知れた明治時代の英傑だ。
壱心とは甲州勝沼の戦いなどで付き合いのある間柄となる。あの時は壱心の方が上役だったが、今は壱心の申し出と様々な事情により福岡知事として壱心は働いており中央政府から離れていることで立場は微妙ものだ。中央政府で参議として権勢をふるう板垣と壱心の関係はぎこちないものになっている。
……そう思っているのは壱心だけだったりするが。
いかな情報を使ったとしても壱心が甲州勝沼に始まり磐城、箱館の戦いで武功を積み重ねて来たのは事実。そして、明治維新にあたって福岡藩へ働きかけを行い、幕府を追い詰める策を講じ、実行したのも彼だ。その評価は彼に支払われた賞典禄で推して知れる。更に加えて言うのであれば、天下の大藩である福岡藩の現筆頭であり、その治世能力からすればリスクの小さい旧態依然の立場を貫いてもおかしくないというのに維新後の富国強兵にあたって様々な協力を惜しまないどころか積極的に推し進めている。
その上、それらの改革事例の成功情報と新技術も広めてくれるという彼のことを不当に評価する者は現政府の重鎮内にはいなかった。現に、彼と現在進行形で外交問題で喧嘩をしている井上馨も色々言いたいことがあっても表立って強硬な反論は出来ないという。
その功績を認めない唯一の例外が当の本人というのだから仕方ない。
どうにも、後世の評価が混ざって現状の認識に影響を与えてしまっている壱心。だが、それは仕方のないことでもあるためそれは棚上げしておく。
それをさておいたところで互いに距離感を図りながらの世間話をしているとそこにまた別の、新たな人物が入って来た。
「お、香月殿。いらしてましたか」
「あ、大村さん……ご無沙汰しております」
供を連れて入って来たのは兵部省の長、大村益次郎だ。彼も言わずと知れた明治時代の英傑の一人であり、幕末の英雄。壱心との関係としては京の町で彼を襲撃者から守ったということ。そして、壱心に大村を襲撃から守るように頼んだ木戸孝允を交えた会談を行い、日本の明日を話し合った仲というところだろうか。
因みに、史実ではこの時期には兵部省は解体されて陸軍省と海軍省に分割されているがこの時間軸においては大村・香月の強権と、主に香月組の暗躍によってそれは為されていない。つまり、軍部のトップが目の前にいる大村ということになる。
……正確には、兵部省のトップは皇族であり大村は実務上のトップだが。
細かいことはさておき、そんな大物である大村と壱心の話が始まりそうだということで空気を読んだ板垣は少し離れて別の人物と話を始めた。その別の人物というのもまた大物。というより、この場に居る者は殆どがその名を歴史に刻んだ者たちだ。今回、板垣が話掛けたのは大村が連れて来た山縣有朋だった。
(……何か凄いところに紛れ込んだ気がするな)
小学生並みの感想を抱く壱心だが、今はそんなことよりも大事なことがある。目の前にいる大村との辞儀合いもほどほどに壱心はさっさと本題に移った。
「で、今年より公布予定の徴兵告諭……あれは、直訳ではなくきちんと私が出した意訳の内、どれかを使ってくれましたか?」
「ははは……香月殿も心配性ですな。えぇ。何でしたら原文を見せましょうか?」
壱心の態度から何か切り出されるのは分かっていたが、何だろうと警戒していた大村は壱心の言葉に緊張を解く。しかし、交渉の場で無防備になってしまったことに気付いた彼はすぐに薄っすらとした緊張感をまといながら壱心に応えた。
「あれほど貴方から『
「ならいいですが……」
そこで引き下がる壱心。だが大村の本題はまだ済んでいない。今度は彼の方から口を開いた。
「あ、それと私が香月殿からお預かりしている次郎長が連れて来たプロイセン……いや、今はもうドイツと言った方がいいか。彼の国より訪れている青年、ゴルツについてなんですが……」
「あぁ、名前だけは聞いてます……彼が何か?」
日本陸軍の父とも言える大村益次郎の口から出されたのはコルマール・フォン・デア・ゴルツ。史実通りに行けば後の世にてオスマン帝国軍の改革に貢献するはずだった軍事学者の名を口にした大村は少々渋面になって小声で告げる。
「……香月殿との対談を求めているようでして」
「? 大村殿や安川ではなく、私の? それはまた何故」
基本的に明治初期の軍事に関して壱心はそんなに介入しなくても皆が力を入れており、勝手に強くなっていくため現時点ではそこまで関心を示していない。
そのため、そこに名を連ねてはいない。軍学者として来ているゴルツにとっては壱心は
(わざわざ呼んでまで紹介するか……? だったら、あいつが福岡に戻って来てた時にやってくれればいいものを……)
疑問に思う壱心。大村は微妙な顔をしたまま続けた。
「いや、まぁ……詳しくはこの会合後、次郎長から話が行くと思うので、一応参考までに」
「わかりましたが……」
言い辛そうにしている大村からそれ以上聞くのは止めて、気楽に訊ける相手から詳細を聞くことにする壱心。
後の世ではベルリンの陸軍大学校で教官となり、更にその後オスマン帝国に派遣されて元帥となる等の活躍を見せるゴルツだが今の時点ではまだ特に仰々しい肩書はない。壱心にとってゴルツとは今はただの弟である次郎長の友人であり、友好の証として……そして何よりもドイツと対立するフランスの軍式を採用しようとしていた日本にフランスへの牽制としてドイツより送られた使者の一人。その程度の認識だった。
因みに、壱心は歴史上の人物としてゴルツのことを知らない。壱心は日本に関係の薄い海外情報には疎いのだ。
(あまり無駄な時間は取りたくないんでな……悪いな)
基本的に断るつもりで、一応相手の面子を保つために確認するフリだけしておくことにした壱心。そのために今後のスケジュールについて同行中の秘書である咲に確認を取ろうとするところにまた大村が口を開いた。
「では、申し訳ありませんが私は回るところもあるのでこれで……」
「あぁはい」
大村は壱心との会話をここで切り上げてまた別の人物の下へと移動を開始した。他の場所で行われる様なこの会議に対する意思確認の様な物は行われない。彼らの間ではもうそれは既に済んでいるからだ。
思いの外会話終了が早かったのを見て大村に追従する山縣が板垣との会話を切り上げに入った。同じく、壱心の会話に聞き耳を立てていたらしい板垣も元々は壱心に用があってこの場に来ていたため、二人の話は急速にまとまり終了する。
その気配を感じ取った壱心は咲との確認を急ぐ。短いやりとりでこの後の予定についての確認を済ませると山縣との会話を済ませていた板垣が口を開いた。
「そちらの話はもう大丈夫でしょうか? では、会議が始まる前に少々お伺いしておきたいことがあるんですが」
「何ですか?」
咲から確認した予定を基に今後の日程について考えていた壱心。だが、真面目な顔の板垣に合わせる形で思考をこの場に戻す。正直、彼の魂胆はある程度読めてはいるが……
(はぁ。明治六年は来年なんだが……)
板垣が切り出すであろう予測に壱心は溜息をもらす。彼が言いそうなことはこの会議にあたっての最大懸念項目。即ち、この国の大陸に対する方針についてだ。
昨今は朝鮮国の書契問題に端を発す度重なる無礼に世論が沸き立っており、征韓論が盛んになっている。そして、板垣もそれに賛成していた。というより、強硬派の中心人物だ。
(彼らの情報網でリゼンドルが大陸に進出するように勧めてくるのは分かってる。史実通りにな……話の大体の流れは賛成に傾く予定だが、大村さんは内政優先派。そうなると長州藩がストッパーになり、話は決定にまで至らない。そうなると現在視察中の連中が戻って来て話は元の木阿弥、と……)
もし、ここに大村が居なければ征韓論へまとまる下地が出来ていただろう。それだけ強硬派は多い。そして戻って来た視察組が無理矢理ひっくり返して明治六年の政変に至ることになる。
だが、ここには大村がいて穏健派、強硬派両方に睨みを利かせている。征韓論を実現するための最大の障壁となる視察組がいない間に征韓論が決まらない。それは強硬派にとって困りごとなのだ。今決まっていれば既に決まったことで押し通すことも可能性として出て来るだろう。だが、逆に今ですら決まらなかったことを後でやり通すというのは難易度が跳ねあがる。
そのため、征韓論を実行しようとしている彼らは今この場を勝ち抜くための方法として壱心に目をつけていた。
(征韓論への慎重意見をひっくり返せるとしたら……俺を引き込んで福岡藩を味方につけるしかないよな……まぁ、確かに外交で舐められっ放しだと問題になるからある程度は必要事項として認めるが、加減が難しいな……)
自己評価の低い壱心でも自分の意見がこの場でかなりの価値があるということくらいはわきまえている。そのため、征韓論に賛成している彼らの企みなど既に看破していた。そして、強硬派の中心である板垣が征韓論の実現のために会議が始まる前にどちらとも意思を表明していない壱心を味方に付けようとしていることも容易に想像がつく。
(会議が始まるまでのらりくらりとやり過ごすしかないな……この人たちからすれば中途半端な意見が一番イライラするんだろうが……まぁ、仕方ない)
必要なことを必要なように行う。板垣の心情として土佐藩の上層部にコネを持つ中岡や土佐藩の事業を任されていた坂本に出資している立場である壱心に板垣は強く出られない。壱心は不毛な会話を続けて時間を潰しにかかるのだった。
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