塾生

 咲に案内されて薫風堂に入った香月次郎長、国守桜。まず最初に一行が向かったのはこの塾の先生役をやっている塾長の下だ。


「……おや、出ているようですね。来客があるとは伝えてあったはずですので堂内のどこかには居ると思いますが」


 しかしどうやら塾長室にはいないらしい。ただ書置きが残されており、咲は何の気もなしにそれを手に取る。何か所用でもあり、少し席を外すというところだろうか。そんなことを考えていた彼女の期待は裏切られる。


 内容は、一言。引き抜きの話は伝わっているため事後報告でいいとのことだ。咲は書置きを握り潰した。


「面倒臭くなって逃げましたね……! あの髭……」


 誰にも聞こえない程度の声量で苦々しく暴言を吐く咲。すぐに探し出して強制的に職務を全うさせたいところだが、壱心の身内とはいえ部外者である次郎長がいる前で不始末を見せつける訳にもいかない。それに次郎長はここで人材発掘を終えた後、中央政府に行くのだ。時間もない。


(……この私塾の評価を何だと思ってるんですかねあの髭……いくら身内とはいえ次郎長様は政府内でも有力者ですよ? 私が応対することを分かっていての行動でしょうが、やっていい事と悪い事の分別もつかないんでしょうかね……お金じゃ済まない問題もあると、分からせてあげましょう)


 髭については後で壱心にチクるとして咲はこの場を切り抜けにかかった。


「……次郎長様。申し訳ございませんが、熊谷くまがえは少々席を外しているようです。紹介予定だった人については話を通してあるとのことですので今から私が連れて来ます。こちらで面談の準備をお願いします」

「そうか。では、案内を頼む」


 案外素直に応じてくれた次郎長。咲はこの好機を活かすためにすぐに塾生を呼びに向かう。


 そんな折、外からこちらに向かってくる気配がした。その気配は何も気にせずにこちらに向かっており、室内に声をかけながら入室して来た。


「熊谷さん……は、あれ? いないのか。おや、初めまして」


 そこにいたのは中性的で端整な顔立ちをした塾生だった。壱心同様、体格のいい次郎長からすれば小柄な訪問者。次郎長はここに来たタイミング的にもこれが件の紹介予定だった人物かとすぐに観察を始めた。


(また女……いや、違うな。これは……この骨格、筋肉の付き方……男だな。よく見れば鍛えられた体をしている)


 大事な大事な初手だった。ここで間違っていればこの薫風堂に対する印象は壱心が紹介していた以上の個性派・・・ということになっていただろう。

 だが、間違えなかった。次郎長は髪の短い女性ではなく、髪の長い男という正解を引き当てた。そのため、この場は普通に流れ始める。


「初めまして、香月次郎長だ。君が塾長が言っていた人でいいのか?」

「……どんな話を聞いたのかは不明ですが、私は菊池です。あなたが壱心様の弟様ということは、本日はスカウトということでよろしいでしょうか?」


(よし、何となく誤魔化せていますね……このまま彼を中央に連れて行ってもらえれば色々と助かります……)


 爆発することもなく、何となくふんわりとした状態のまま話が進行しているのを見て咲は安堵する。隣にいる桜は沈黙を保っており、何を考えているのかは不明だが次郎長と菊池の話はこのまま進みそうだ。


「……それで、こちらが要求する人材として君は要件を満たしているということでいいのか?」

「あぁ、それでしたら。問題ないかと……ドイツ語が出来ればいいんですよね?」

「それと基本的な四則演算、それから日本語の読み書きだ。問題は?」

「ないと思いますよ。薫風堂に入る際に試験がありますし、入ってからも定期的に試験はありますから」


 明確な受け答え。次郎長はまずまずの人柄だと頷いた。その後、実際に軽く言語能力や演算能力、そして受け答えを終えて第一面接は終了することになる。


「……では、また後程声をかけさせてもらう」

「ありがとうございました」


 ここに来た用件を忘れたのか菊池はそのまま立ち去った。話が都合よく流れているのを受けて咲は内心で笑みをこぼしながらこの分なら適当に外を案内してさっきの菊池をあてがって中央に送ればなんとかなるだろうと考えて塾長室を後にすることに決める。


「では……」


 そう決めた咲が口を開いたその時。目の前の扉もまた開くことになった。そこにいたのは身の丈六尺近い次郎長とほぼ同じ巨躯を持つ人物だ。


「おぉ、次の方か。中々鍛えてらっしゃる御仁のようで」


 訪問者を面接者と勘違いしている次郎長は客を招き入れる態勢に入った。当然のことながら、相手は何のことだか不明だ。そのため、個人の要件を済ませることを優先する。


「む? 熊谷さんは……いないようですね」

「あぁ小野さん、ちょうどいいところに。こちらが壱心様の弟にあたられる次郎長様です。熊谷さんはいませんが、中央への件を進めたいと思うので……」


 曖昧な状況。咲はそこに付け込んだ。説明的な誘導により、小野と次郎長の会話内容に介入することに成功する。小野が熊谷の性格も理解していたこと、そして既に話自体は薫風堂に回っていたことが功を奏してこの場も上手く流れそうだ。


「これはこれは……挨拶が遅れて申し訳ない。私、小野芳美よしみと申します」

「小野さんですか、よろしくお願いします」


 そして次郎長の面接が始まった。今回も菊池の時と同様に話が進んで行く。前回と異なるのは見た目からして武芸者である小野に対して次郎長の語りが目に見えて滑らかになっていたことだろうか。


「小野さんは戦斧を扱うんですか! ほー……この国では珍しいですね。しかし、お強そうだ。そうそう、戦斧と言えば私はこの前まで西欧を回っていたんですが、その時に少し武器についても見て来たんですよ。ハルバードをご存知ですか?」

「ハルバード……ということは、プロイセンに?」

「ご存知の様ですな! 実際に扱ってみたのですがこれがまた微妙に難しい。素槍とは重心が違って先端が重くてですな……」


 和やかに弾む会話。しかし、咲は違和感に気付いていた。


(この人、小野さんのこと男と思ってないですかね……?)


「その重心が遠いのを活かして遠心力で敵を砕くのが醍醐味ですよ」

「豪快ですなぁ。その益荒男ますらお姿に劣らぬ剛腕ですか」


 咲の予想は当たっていた。次郎長の言葉の節々から出てくる文言は目の前の筋骨隆々の戦う漢女おとめ、小野芳美を男として見ていると匂わせるには十分すぎた。しかし、目の前の漢女はそれを笑顔で受け入れる。可愛らしさ、貞淑さ、愛嬌を女性だけが求められ続けるのはおかしい。戦う、強く格好いい女が居てもいいではないかと100年単位で早いジェンダー論を斧と共に振り回す漢女。


 それが彼女、小野芳美であるからだ。


(まぁ……この人がいるせいで姐さんが微妙に窮屈な思いをしてしまっているのでこのまま連れて行ってもらう方向で……)


 だが、咲は何も言わない。門番である永遠の14歳と相性が悪いこの漢女をどこかへ合法的に連れて行ってもらえるのであればこれに越したことはない。

 それに、彼女とて漢女の権威向上を目指して活躍の場を探しているのだ。悪い話ではないだろう。


(……別に、私が個人を誘導した訳でもないので。言質も取らせないように匂わせる程度で済ませてますし。そもそも、私に支払われた分はここの案内金であって、仲介人としての手数料は支払ってもらってませんし……何か言われたら全ての元凶である熊谷に押し付けるとしましょう)


 誰に聞かせるでもなく言い訳しておく咲。桜が意味深な笑みと共に咲の方を見ていた気がするが、少し前に行った自己暗示にも似た行為を強化することでなかったことにしておく。

 そうこうしている内に、次郎長と小野の面接もそろそろ時間が尽きて切り上げにかかろうとしていた。


「では、江戸……じゃない、東京に行きましたら手合わせの程を」

「えぇ。よろこんで」


 咲が桜の方に気を取られている内に、次郎長は小野と次に会う約束を取り交わすというほぼ合格通知を出している状態にまで進んでいた。そのことに関して何も言わないまま、彼女は退出する。


 その後、数名の奇人、変人とも邂逅を済ませることになる次郎長だが結局はこの二名を選んで東京へと旅立つのだった。


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