私塾 薫風堂

 1872年が明けてそろそろ落ち着いた頃。国内初となる官営鉄道が新橋から横浜の間に敷設されたり、学制が発布されたり様々な出来事が始まろうとする一年。その中で壱心宅でもささやかながら新たな門出を迎える者がいた。


「それでは、本日より薫風堂に通いつつ壱心様のことを支えさせていただきます」


 新たな門出を迎え、端然とした口調でそう告げたのは昨年の末に壱心が横井小楠より託された妖しき美少女、国守桜だ。そんな彼女を見て本日、その薫風堂を案内する事になっている美女、咲が小さく呟いた。


「……薫風堂にまた変な風が」

「うふふ、すぐに吹き抜けてこの地に流れ留まるので安心ください」


 聞こえてるぞと言わんばかりの桜だが、横井より預けられてからそれなりの時をこの家で過ごして互いに理解しているためこの程度はじゃれ合いの様なものだ。

 しかし、その辺りの理解については当人同士である程度分かってはいるが、その学校に行ったことがないリリアンと宇美はまた・・という辺りが気になったようだ。いつもはぐらかされている話だが、今日はその関係者がいて説明が必要なことからいけるのではないか。

 二人はそう思って質問しようと決める。目を合わせ、どちらが先に言おうとしているのかを互いに窺う。その時、隣室での話し合いが丁度終わったらしくそこで話をしていた二人がこちらにやって来る気配がした。


「では、出発ということになりそうですね」

「そうですねぇ……」


 機先を制すかのように桜と咲がそう告げる。その間に隣室にいた壱心、そして彼の弟であり、岩倉使節団と入れ替わるかのように普仏戦争を見届けて今年帰国した香月次郎長が部屋に入った。


「では咲、二人の案内を頼んだ」

「畏まりました」

「……よろしく頼む」


 入るなりそう告げる壱心。既に話は通してあるが故の対応だ。完全に質問する機を失った二人は戻って来てから桜に話を聞かせてもらおう。そう思いながらすぐに出立の準備を整えている三人を見送った。





 両手に花の状態で壱心亭を発った次郎長。彼は留学して得た知識を国内で最大限に活かすために私塾にいる優秀な人材を連れて東京に行くつもりだ。


(兄上の話では他所から取った方がいいかもしれないほど個性的とのことだが……逆に、この国の常識にとらわれ過ぎていない方が異国の常識を容れた制度を作るには都合がいい。この目で見定める……)


 隣にいる大輪の花を盗み見ながらそう決める次郎長。ここに居る両名の才は既に壱心を訪問した折に確認した。彼女たち程の処理能力までは要求しないが、それに近しい戦力があれば中央でもやっていける。その期待を胸にしながら次郎長は件の薫風堂の門を前にした。


 薫風堂は次郎長が思っていたよりも大分小さい区域のようだ。正面から見た限り少なくとも、壱心の自宅よりは小さい。それはそれとして、次郎長は気になることがあった。


(……また女か。にしても、この堂の門……酷く頑丈そうだな。籠城に使えそうなほどだ……)


 小柄な少女の門番と無骨な鉄の扉を前にして次郎長は内心でそう考える。少女も砲撃にも耐えそうな雰囲気を持つ門も次郎長が考える高難度の学問の場に相応しくはないように思えた。


(それにしても、少々見ない間に兄上は随分と欲求に素直になられたようだ。尤もその欲の裏で他人の欲に対して防衛も考えているようだし、節度を越えなければ気にはしないが……)


 そんなことを考えている間に咲は門番と挨拶を交わしている。落ち着いた咲の声に対して門番は外見通り姦しい。


「お疲れ様です。見学予定の香月次郎長様と本日より入堂予定の国守桜さんです」

「お~もう来たんだにぃ? 初めまして、薫風堂へようこそ! 桜さんは入堂ってことだから今後もよろしくにぃ! 門を開けたい時は門番に言うようにしてにぃ。すぐに開けるからにぃ~」

「国守桜と申します。以後、よろしくお願いしますね?」


 貞淑さの権化の如き所作でお辞儀をする桜。それをじっと見ていた門番は少し腰を屈めて桜と目の高さを合わせるとしみじみとした口調で言った。


「綺麗で素直そうな子だにぃ……ごめんにぃ、中には変な人がいっぱいいるにぃ。虐められたらお姉さんに言うにぃ!」

「ありがとうございます。その時はよろしくお願いしますね?」


 桜の対応にえっへんと言わんばかりの態度を取る少女。自己紹介が済んだところで咲が薫風堂へ入れてくれるように促した。彼女はすぐに了承して片手で鉄で豪奢な意匠を施した門の取手を握る。


「危ないから桜ちゃん、ちょっとどいてにぃ」

「はい」


 そして彼女は何の気負いもなく扉を開いた。次郎長は目と耳を疑った。何の起動音もなく動いたそれは目の前の光景を信じるのであれば人力で動いている。


「は?」

「お、大門さんが来てるにぃ。あたしもそろそろお昼かにぃ。後は大門さんに頼むにぃ~」


 思わず声に出してしまう次郎長。だが、この場にいる誰も今の光景を疑っていないようだ。寧ろ何を止まっているのかと次郎長の方が疑問に思われている。普通に進んで行く一行に続いて次郎長もその場を後にしたが、後ろでは先程と逆の光景が繰り広げられている。


(いや、普通はそうだよな……?)


 屈強な男が、腰を落とし、法律に引っ掛からないように建前上は木製としつつも過分な鉄の装飾が施された門を閉めている。門の裏から見ても特にギミックの類はないようだ。それなのに目の前の少女は……そう考えた次郎長が彼女を見るとほぼ同時に彼女は石垣を駆け上がると、そこにある直径四尺程もありそうな巨大な円形の岩を避けてお堂に直進していた。


 門を抜けた敷地に低い石垣があることなど敷地内の設備についても聞きたいことは多々あった。だが、こちらについては戦術として説明がつくものだ。何故、ここにあるのかは置いておいて理解できるもの。


 今はそれよりも先程の光景についての確認が先だ。


「……あの門番は」

「自称14歳のお姉さん妖怪です。少なくとも、私が壱心様と出会う前……公儀隠密という言葉の意味すら分からなかった子どもの頃から変わらぬ姿で14歳ですね」


 謎は深まった。いや、彼女個人の設定に対する問題はこの際おいておく……と、ふと気付けば次郎長の棚上げが続く所為で上段の棚がいっぱいになりそうになっていた。


「……冗談はさておき、あの方にも色々あるんですよ」


 少しだけ遠い目をする咲。だが、すぐに近くで微笑みを崩さない少女の方に目を向けるとそちらに視線を向けつつ次郎長の問いに答えた。


「一応、次郎長様の問いに答えるのでしたら門の開閉はさておき、何の意味もなくあんな行動には出ません」


(……いや、そのさておかれた部分がかなり気になっている。問いには答えられてないぞ……)


 微妙な気分になる次郎長。だが、視線を向けられていた少女がころころと笑って口を開いたため一時的に黙った。


「うふふ、楽し気なところですね」


 凄まじい大らかさだ。次郎長は桜の言葉を聞いてそう判断した。だが、続く咲と桜の会話で彼女に抱いた大らかという印象は歪み始める。


「先程の会話と私が言った意味……通じてますよね?」

「勿論ですよ? うふふ、壱心様と出会ってから外見と所作以上の情報を見抜く人が多くて楽しいです。楽し気なところとはそういう・・・・意味ですよぉ」

「是非とも、警告を無駄にしないで欲しいですがね……」


(どういうことだ……?)


 まるで意味が分からない次郎長。そんな彼に桜は嫋やかな笑みを崩さずにまるで世間話の一環のような口調で言った。


「要するにです。私達は警戒されているということですよ。先程の門番の方の動きはこちらに対する牽制。そして、客人が来るというのにその応対もそこそこに彼女お昼と言いながら中に入りました。交代のタイミングとしても不自然です。あの方の動きからして、彼女はこの私塾でも相当に信頼されているのでしょう。つまりは問題があっても対応できると見做された人物です。そんな彼女を中に入れたということ……つまり、監視です。合ってますか?」


 ゆっくりと笑顔で語る内容は極めて不敵なものだった。それを受け取る咲は仏頂面で応じる。


「……達、ではなく貴女個人ですけどね。次郎長様まで巻き込まないでください」

「うふふ……それは大変失礼いたしました。それでは、案内を続けていただいてもよろしいでしょうか?」


(何だこいつら……いや、兄貴が言ってたことの意味。ここに来てようやくわかり始めたぞ……)


 薫風堂の案内のために別途金を請求する娘に警戒と監視をされながらも微塵も気にせずに楽しむ少女。ここに来てからはまた別系統の怪力娘。果てはその変わった人から中には変人がたくさんいるという言葉。

 個性的という言葉はまだ歯に衣着せた表現であったことを理解する次郎長。だがしかし、そんな目に見える欠点がある者たちであってもこの場に留めておくことを選ぶほどの才能があるのであれば、次郎長がここに来た意味もあるというものだ。


(気合入れていくか……!)


 香月次郎長、国守桜の薫風堂の一日見学コースが始まる。



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