妖女

 幕末の天才、横井小楠。彼が戊辰戦争の英雄である壱心を招待した料亭は上品な味わいが楽しめる名店だった。しかし、この時代の衛生観念からして当然だが目に見えぬところでは今の価値観からするとどうなのだろうか、そう思うような工程もある。


 とある店内の個室。壱心らが案内された大部屋の一室でもその店と同様の出来事が起きていた。


(……全く、俺を何だと思ってるんだこの野郎は……)


 目に見えぬ心内で毒づく壱心。当然だが、相手の前に出すことはない。相手の前に出るのは綺麗に塗り替えられた言葉だけだ。


「……と言う訳です。前置きが長くなってしまいましたが、言いたいことは最初に言った通り、要するに私の私塾は既に客人が多いのです。この娘は女だてら才能はありますが如何せん、周囲の目というものもあるのです。香月殿、自由な塾を作ると仰られているのですからその一歩として引き受けてはくれませんか?」

「お願い致します」


 横井、そして彼から紹介されている少女、桜が壱心に依頼を投げる。投げられた側の壱心は思案する素振りを見せ、返事を保留した。


(胡散臭い……確かに話を聞く限りこの女、国守桜とか言ったか。こいつはかなり優秀だ……だが、信用するには難しいな。どれだけいい物でも使わなければ意味はない。こいつを使うにはリスクが……)


 出会い頭に試すという名目で罠を仕掛けられていい気になるわけもない。当然の話だ。咲など今も後ろで桜の一挙一動を睨むように警戒している。壱心はそこまではいかないが、それでも気にしていた。


「難しい話ですね……私のところも別に、空いている訳ではないので」

「だが、既に前例として女がある程度はいるのでしょう? なら、よいのでは」


 何だか含みのある言い方をしてくる横井。後世に伝えられる彼の人物像にはないような言い方だ。


(……あー何か、好き者扱いされてる気がするなぁ……こっちはそうしたくてそうなった訳じゃないのに……あんたらが才能ある男たちを持って行くから、こっちにまで回ってこないんだよ……こっちだって現在いまの、明治時代の社会通念上、男の方が色々と仕事を楽に進められるというのに……)


 こちらを理不尽な目に遭わせている張本人の一角を前にやさぐれる壱心。その辺に関してはそういうものとして割り切っているのでそこまで怒っていない。寧ろ、隗より始めよと言わんばかりに少々特徴はあるが、優秀な者たちが集まっているのでいいことにしている。

 ただ、それをさせている相手が更に上から追加注文をしてくるのは少々反骨精神が沸き立つのも仕方がないというものだ。


「彼女たちはきちんと試験を突破してきているんです」

「でしたら、私も試験を突破しますので受けさせていただきとうございます」

「それはいいですね。しかし試験のためにこちらから毎回向かわせるのも効率が悪い。彼女をそちらで預かってはくれませんか」


(……こいつ、史実通りに暗殺させた方がよかったかもしれん)


 ストレスが溜まり始めた壱心。それを面に出してはマズいので彼は一度厠へ行くという名目で中座することにした。


「……はぁ」


 色々と出し終えた壱心だが、不満やストレスは出し切れていないようで廊下にて溜息を溢した。しかし、近づいてくる気配を感じ取るやすぐにそれを隠して部屋へと向かう。


 前から来るのは横井小楠。どうやら彼も中座したようだ。彼は壱心を見ると立ち止まって声をかけて来た。


「おぉ、申し訳ないが儂も失礼させてもらう……その前に一つ」

「何ですか?」


 横井が立ち止まったというのにこちらだけ部屋に進むという訳にもいかず、立ち止まって問い返す壱心。すると彼はこれまでにない真剣な顔で短く告げた。


「妖の 桜を照らし 香る月 幻孕み 光増す夜」

「は?」


 急にバグったのか? そう思った壱心だが、少し遅れて横井は何かを伝えようとしていると理解した。それにしても教養人この人にしては下手な歌だな……まぁ、確かに酔ってるし仕方のないことか?

 そう壱心が思考を揺らしている間に横井は続ける。


「来るべき夜明けの光を迎え入れ、輝く月もその光の美しさを理解する者が居なければ霞んで消えて行く。だが、妖しき夜桜は皆に月光の美を気付かせるだろう」

「いや……」


(さっきの和歌から話が飛んでるんだが……酔っ払いの戯言と流す、にはちょっと相手さんの目力が込められすぎだな……)


 壱心が黙っていることをいいことに横井は止まらない。凄まじく早い口調で一気にまくしたてる。


「確かに、月は見られるために輝いているのではないだろう。美しさを万人に理解させる気もないだろう。自らの光が分かる者に分かればいい。その考えは理解できなくもない。地上を照らし続ける月が小さな桜など気にも留めないのは分かる……だが、それが分かっていてもその景色を見たい者もいるのだよ」

「はぁ」


 何とも気の抜けた返事をしてしまう壱心。その話がしたいなら部屋ですればいいのではないだろうか。そう思ってしまうのも訳はない。厠に行きたい者がする話の長さではない。


 真面目に話を聞かない壱心。そんな彼に横井は小声で告げる。


「……何とも恥ずべきことだが、私はある妖に睨まれている。公の場で言えることは限られているんだ」

「なっ……」


 衝撃の告白に思わず絶句してしまう壱心。だが横井の表情は穏やかだった。


「だが、利用されているのを分かっていても、私の恥を晒してでも、本心から君と彼女が作り出す景色が見たい。それだけは本当のことだ……だから、頼む。彼女を受け入れてやってくれ。月に恋い焦がれる、悪夢の夜に咲いた妖桜を」


 頭を下げる横井。抽象的な表現しかされていない辺りにナニカを感じる。壱心がそんなことを考えている間にあまり長いこと戻らないと怪しまれると横井は去って行った。


(……国守桜、あの横井小楠にここまでさせるか)


 そこまで距離のない廊下を歩みつつ壱心は内心で唸る。裏を探れば厄介払いにもとれるこの話。しかし、そうではないと感じさせる何かが確かにあった。


(胡散臭いことは間違いない。そもそも、実績の紹介と現状の説明こそあれどあの女の素性は全く伝えられてないんだからな……)


 横井から壱心に渡された書状の内容を思い出しつつ壱心は思案する。横井からの書状には懇親と意見交流の場を設けること。そして、紹介したい人物がいることは記されていたがその内容は不詳だったのだ。


(しかし、その辺に関してはこっちから何とも言えない。戦乱の最中に連れて来た人材に関しては経歴の殆どを自称で賄っている状態だしな……それで言語能力を盾に要人の秘書として送り出しているんだから突っ込んで突っ込み返されたら困る)


 その辺の暗黙の了解に下手に踏み入らせても困る。そこまで突飛な紹介はしていないので被害はそれほどないが、遊女上がりの者などは知られると相手によっては面倒なことになるのだ。


(……はぁ。まぁ仕方ない。どの道、人材に関してぜいたくを言えるような状況ではないんだ。私塾の試験まで預かり、その後の適正次第で今後を決めるとでもしておくか)


 部屋の前まで辿り着く短い間に考えをまとめた壱心。彼はそのまま障子を開けて部屋の中へと戻る。そこには件の少女が美しく微笑んでいた。


「うふふ……月夜の桜、見に行きたいものですね」

「隠すことすらしない、か。まぁいい」


 戻るなり妖しい笑みとともにそう告げる桜。しかし、壱心は既に腹を括っていたため、気に留めることもなく盃を干した。それに酌をしながら少女は告げる。


「お決めになっていただけたようで……ありがとうございます」

「……咲、しばし京を離れてこいつの面倒を頼む」


 否定はせずにそう応じる壱心。桜のことを警戒し続けている咲は非常に嫌そうな顔をして言った。


「その依頼は壱心様の依頼としても少し、値が張りますが?」

「うふ、その代金は私が持ちます……」


 桜はそう言うと、どこかで見覚えのある麻袋を差し出してきた。その口を締めている紐が異様に長いそれ。途中で乱雑に切られた後のある紐はつい先程、料亭の前で自身の胸の高さに仕掛けられていたそれだ。咲はその美しい顔に引き攣った笑みを浮かべた。


「……いい根性をしているようですね」

「うふふ……これからお世話になる方のことですもの。きちんと調べさせて貰っていますよ……これで足りますか?」


 中から取り出したのは黄金色に輝く大判と小判。しかも、咲が壱心に提示しようとした金額ちょうどだ。


「これから、よろしくお願いいたしますねぇ……うふふふふっ」


 外見相応の可愛らしい笑みを作る彼女。この出会いが後に……いや、今、この時を以てしてこの国の運命を変えることになる。



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