不詳の者

 来年の今頃には天保暦ではなくグレゴリオ暦へと転換しているであろう頃。岩倉使節団の見送りと幾つかの確認のために東京へと向かっていた壱心は既に福岡への帰路についており、その寄り道として平時存たいらのときあり……後に横井小楠として広く知られることになる男に呼ばれて京の町へと足を運んでいるところだった。


 因みに岩倉使節団の見送りの帰りということで言及するが、壱心の介入によって史実よりも早く国内が安定したというのに岩倉使節団の外談外遊が史実と大差ない時期になったのには理由がある。

 結論から言うと史実の岩倉使節団は十全の準備が出来ていない状態で決行されていたことから今回は事前準備を行ったという経緯があったのだ。

 史実では交渉のために西欧に出かけて岩倉御一行だが、国家間の取り決めを行う際には全権委託書を持って行かなければならないというルールを知らなかったために予備交渉すら出来なかった。

 それに対応すべく、この時間軸ではその辺りの国際ルールについて事前に学んだ上で全権委託書などの必要なものを準備するという期間を壱心は提言した。

 当然、全権委託書を知らなかったという引け目がある状態で表立って強硬な反論はなく、壱心の提言は受け入れられた。その結果、この時期になったのだ。

 因みにだが、予備交渉すら出来ないということで街並みや産業を見ることに集中した彼らが列強との格差を実感して事業を発展させるという史実があるため、この対応としてこちらの使節団は史実のメンバーに加えて産業視察を目的とした福岡藩の人間を多分に含ませており大所帯となっている。


 そんなこんなで準備を済ませて出港した岩倉使節団だが、彼らは出立前に残留組に仕事や情報を回していた。当然、壱心にも重要な仕事が回されており、幾つかは断ったが、受けた分の幾つかは福岡に早めに知らせる必要があると判断し、壱心は同行していた亜美に福岡への帰路を急がせた。

 それによってある程度の猶予を確保した壱心は京を根城にしている咲と共に行動し……本話の冒頭に戻る。


「こっちはあんまり変わらんな……」


 今日の街並みを見ながら壱心はそう呟く。蛤御門の変や攘夷志士たちが蠢くことによって荒れていた京の地だが、変わらぬ古都としての姿がそこにはあった。

 だが、同行している咲からすれば壱心に賛同しかねるようだった。


「左様でございましょうか? 行き交う人々の姿といい、私の子どもの頃とは違う風景が見えるのですが……」

「……そういえばそうか。いや、ついとして見ると俺の知っている範囲の東京や福岡と比べてしまってな……」

「あれは変わり過ぎ、というものです」


 つい先日まで滞在していた東京、そして自身が県知事として、そして明治政府の重役としての権力をフルに活用して改造している福岡を引き合いに出すと咲は苦笑してその話を切り捨てた。中身はどうであれ、西欧文明に感化されて急激な変化を遂げて幾多もの箱ものが出来上がりつつある二つの都市のことは彼女もよく知っている。

 それが故に、この伝統ある京の都をそんな急変地と比べるなという気分になっていた。


 噂をすれば何とやらだが、少し前から変わった景色の一つである町行く散切り頭の青年が咲に見惚れて知らない人にぶつかるという出来事がすぐ隣で起こる。だが彼らは気にせずに目的地へと足を運んだ。




 目的地である料亭の前に着いた壱心と咲。だが、彼らの行く手を阻むかのように前には見知らぬ少女が頻りに首を傾げて立っていた。


「そこの子、迷子ですか? そこは出入り口ですよ」


 暗に邪魔になっていることを伝える咲。だが、壱心は無言で目を凝らしていた。少女が怖がるのではないかと思える眼光。案の定、少女は壱心たちの方を見て驚きの表情を見せる。


「ご、ごめんなさいでち」

「……壱心様。そこまで怒らずとも……」


 幼気いたいけな少女を相手になんて表情をしているのだろうか。そう思った咲が壱心の表情に言及する。だが、彼は鋭い目つきを変えずに告げた。


「君は……何だ? もしかするとだが……」


 まさか口説く気か。衆道ではなく、幼子好きか。咲は一瞬の間に色々と考えた。確かに、目の前の少女はやや幼いがかなりの美少女だ。蝶よ花よと育てられた清らかな美姫を思わせる……


 そう、咲は思っていた。少なくとも一見した時はそうだった。しかし今、壱心の琴線に触れた部分を探ろうともう一度少女の方を見た時にそれは覆される。


「ふふふ……流石です。お気づきになられるとは……」

「……やはり、か」


 先程「ごめんなさいでち」などと言った少女とは思えぬ艶やかな笑みと共に奇妙な気配を身に纏った少女。それを見て壱心は納得したように呟く。


(これが件の……まぁ、どれだけ取り繕おうとも初対面で「でち」とか言ったことは忘れないが……確かに妙な気配を感じる。その辺にいる変人が纏う生温い空気ではない、ナニカを……)


 何かわかり合っている様子の壱心と少女。置いて行かれたのは咲だけだ。それを察したのか、目の前の艶やかな少女は名乗りを上げる。


「あぁ、試すような真似をしてしまって申し訳ないです……私は国守くにもり桜。今回、平先生より香月様に紹介させていただく者です」

「……香西 咲と申します」


 外見に囚われて本質を見抜けなかった。その苦い事実を噛み潰すように咲は桜の名乗りに応じた。そして壱心も遅れて名乗る。


「一応名乗っておこう。俺が香月壱心だ」

「存じております。ささ、中へお進みください」


 壱心の名乗りに口元を隠し、朗らかに笑って応じる少女。彼女はそのまま二人を料亭へと案内する。咲は苦い思いをしながらも案内された通りに進み……壱心に手を引かれた。


「なっ……?」


 そのまま体勢を崩し、壱心に抱かれる形になってしまう咲。予想外の展開に抵抗する暇もない。ただ、そこに観客がいるのを思い出してすぐに自力で立ち直り前を向いて、彼女は目の前の悪意に気付いた。


「……どういうつもりですか?」


 その言葉と共に目の前の妖姫の如き少女を睨みつける咲。彼女は気付いたのだ。目の前の料亭へと続く道に自身の胸の高さに何やら細い糸が張られていることに。丁度、桜の頭の真上。彼女が掛かることのない高さにあるそれ。無言のまま壱心が小太刀で切り捨てると死角から麻袋が落下し、それなりに重量のある物が落ちる音が聞こえて来た。


 それは、明らかに何らかの罠だった。


「どういうつもりなのか、そう訊いているんですが?」


 再度問いかける咲。だが、桜の興味は既に咲にはないようだ。彼女は黙り込んだままの壱心に、その外見相応の憧れの眼差しの様な何かを向けている。彼女は咲の問いなど無視して壱心に聞こえるように呟いた。


「うふふっ……本当に、流石なんですねぇ……そうでなくては」

「……ご丁寧な自己紹介だな。これは平さんと合わない訳だ」


 吐き捨てるように応じる壱心。しかし、桜は気にした様子もなく煌めく眼差しを壱心に向けながら答えた。


「そうですね。合わせてはいましたが……これからはそんなこと、しなくてもよさそうです」


 随分な言いようだ。壱心は窘めるように口を開いた。


「……随分と自信家だな。まだウチで引き取るとは言っていないというのに。これからも平さんに合わせてもう少し真人間になった方がいいんじゃないか?」

「うふふ……これは失礼いたしました。常日頃より論理の飛躍については気を付けているんですが、あまりに嬉しくて。香月様ほどのお方であれば、すぐにお分かりになるかと……」


 本当に嬉しそうな顔をしている桜。一連の流れに置いて行かれている咲は非常に不愉快だった。


「貴女、私に対して何か言うことは?」

「あぁ……先程は申し訳ございません。色々と、計りたいことがありましてご迷惑をおかけしました。以後、気をつけますのでこれから一緒に頑張りましょう!」


 怒りの炎に油が投げ込まれる。この自分の中で話が勝手に進んでいる感じ、咲は見覚えがあった。亜美だ。しかし彼女はここまで酷くない。

 少々、色々と分からせてやる・・・・・・・必要があるかもしれない。そう考えた咲は動こうとする。だが、他でもない壱心がそれを止めた。


「咲、悪いが今回は見逃してやってくれ」

「何故ですか? このような暴挙を許してしまうと後が……」


 訝しむ咲に壱心は何を言うのか少し考える素振りを見せた。そして、何とも言えない感じで咲に告げることになる。


「次はない。そうしてくれていいからここは俺に免じてくれ」

「……何故」


 今度の何故は先程のものとは少し意味合いが異なった。ただし、咲のその問いに込められた感情に対する答えである壱心の本意を確かめる前に料亭より横井が出てきたため、この会話はここまでになってしまう。

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