1871年秋

「壱心様、こちらが本件の詳細になります」

「……次から次に」


 全国で廃藩置県が完了し、日清修好条規が締結されたのが国内に情報として浸透し始めた頃。そろそろ岩倉使節団が欧米に旅立つということで残留組に大量の仕事が渡されている中で壱心は輪をかけて面倒な問題に直面していた。


(来るのは分かってはいたが……まさかこっちに回されることになるとは……それこそ、外務卿の出番だろうが……)


 外務卿、副島種臣に恨み言を吐きながら壱心は鹿児島県参事である大山綱良から上げられた宮古島島民遭難事件の報告書「上陳書付属書類」を斜め読みする。

 それには宮古島の役人69名が政府に年貢を納めようと那覇に行った帰りに台風で難破したという事件の発端から、溺死者三名を除いた彼らが台湾東南にある八瑶はちよう港の牡丹社付近に漂着し54人が台湾原住民のパイワン族を中心とする牡丹社の居住者に殺害され、地元の漢族系有力者に助けられて命からがら帰国するまでの一連の報告があった。

 これはその台湾の漢族系有力者に助けられた生存者12名から得られた調査の結果とのこと。清国がこの問題に不干渉のようであるため、台湾への出兵が必要であるとする建議書も添えてある。


 大体のところを読み終えた壱心はこの報告書を持って来た亜美に告げた。


「まぁ、やることは決まってる。取り敢えず、列強と同じやり方でことを進めるぞ。管理者である清国に厳重抗議。遺憾の意だ……勿論、副島さんを通してな」

「畏まりました」


 情報化社会となった世であれば確実に炎上する態度で壱心はその問題を投げた。それを受けた亜美は追加の指令がないか確認した後に細々とした追記を加えてそれを更に部下に投げる。その様子を見ながら壱心は思考を進めた。


(抗議したところで清国にはローバー号事件と同様、化外の地として流されることになるだろうけどな……今回はこの問題を通して琉球が日本の領土であると国際的に認めさせることが出来ればいいだけの話。俺がやることと言えば……強いて言うなら誰が台湾出兵に行くことになるかは知らんが、マラリア対策について知らせておくことくらいか? そう言えば、キナの栽培はどうする気なのか薬谷くすやの奴に聞いておかないとな……)


 今回の件についてはそこまで出しゃばる気のない壱心。国民、そして国益を守るために動きはするが大まかには外交問題だ。そうであるならば副島に任せておけばいい。その程度の関心になる。ただ、この問題を発端として起こる台湾出兵などのその後のことを考えると今から顔が険しくなるのだが。


(……問題はこの後。この国の今後を決める対リゼンドル及び征韓論派の面々との弁論大会だな……あー面倒臭い。だが、ここで介入しないと大陸利権を取りに行くのが国是になってしまうからなぁ……)


 来年この国に来るであろう米国領事のリゼンドル、そして彼の提唱する武力解決論のことを考えて壱心は瞑目する。近い未来には米国領事の職を辞し、明治政府の外交顧問になるリゼンドル。彼は日本を守るためにどうすべきかという政府重鎮の問いに以下の様に答える。


「北は樺太より南は台湾に至る一連の列島を領有して支那大陸を半月形に包囲し、更に朝鮮と満州に足場を持つに非ざれば、帝国の安全を保障し、東亜の時局を制御することは出来ぬ」


 そして、彼のこの解答は現時点の明治政府重鎮たちの基本戦略と合致しており、今後の外交理念となるのだ。


 ただし、そこで問題となるのがその足場・・の度合いだ。確かに、この列強が支配する時代において日本を守るためには足場が必要だ。

 だが、この国の防衛に必要とする足場は海外へと動こうとする相手に対して監視や見張りを十全に行うことが出来る範囲で十分だ。それ以上を欲すことは強大なランドパワーを保有するロシア、そして清と接してしまうため国防に無駄が多くなってしまう。

 例えるならば、近くに強盗がいるという話を聞いて自宅の貴重品を守ろうと自衛を志し、少し無理して土地を買い増して門を作って家人を門番に回したのはいいがそのために貴重品を入れる金庫の予算を削り、自宅の警備が手薄になってしまうという状況。


 史実では経済的な要因、特に士族の問題などを多分に含め、様々な問題があってその方向に舵切りを行っていた。だが、壱心の知識を動員して稼働させている国内の発展も人手不足であるというのにそんなことをしている暇も金もない。


 確かに、時は列強の時代。植民地を得るのが是となっている時代だ。しかしそれが故に本来であればチョークポイントなどの重要地点を抑え、利益を上げることを目的としていた植民地政策が、今は競争のあまり青田買いで旨味のない地まで手にしなければ誰か盗られてしまうと過熱している。

 大日本帝国は列強の時代に完全に乗り遅れている。近代化にもだ。植民地政策に対する焦りも理解できない訳がない。だが、だからこそ、効率を考えて資本と人力の集中を行わなければならないと言うのが現状だ。


 そこまで自分の思考を再確認した壱心は来たるリゼンドルたちとの戦いについて考えた。討論は正論だけではなく、感情論も含めて戦わなければならない。その点を考えると、事前準備が不足しているように感じられた。


(……台湾の問題、リゼンドルはこの時点でローバー号事件で結んだ条約を日本にも適用するように動いてる。失敗するんだが……まぁ、心象はよくなるな。こっちも少しは動いた方がいいか……牡丹社討伐事件への同意辺りが無難かな)


「亜美、さっきの書類……台湾の問題については再考するから戻しておいてくれ。もう少し首を突っ込むことにした」

「畏まりました」


 一先ず、その問題について手を出そうと思えば壱心の権限で色々と動かすことが出来るため、熟慮した上で行動に移すことにして今は別件へと移る。


 今度の案件は今年、国民皆学を目指して設置された文部省関連の話だった。専門教育としては1868年に福沢諭吉が開いた慶應義塾などを筆頭に様々な場所で学問の花が開くことになるが基本教育についてはまだまだということで翌年に学制を頒布することになっている。


 それにあたって、壱心ら福岡藩閥の協力を求めるということらしい。


 その基本方針としては英米独仏蘭の制度を参考に混ぜ合わせ、時に自国のやり方を切り貼りして作り上げることになるこの案件。壱心は非常に重要視して取り組んでいた。

 そうであるが故に、中央から送られてきたこの文部省関連の話が気に入らない。


(立身出世主義の言葉を並べて理念や信念語るだけのご立派なお題目だけを流して来て……あれだけ言ったんだがなぁ。具体的な規定を流して欲しい、と。じゃないと他は動かんぞ……こっちは勝手に動いているが……)


 不満げに書類を処理済みの方へ置いておく壱心。史実通りに行くのであればこの国で義務教育が成立するのは明治33年でありこの時点では義務も罰則も何もない。つまり、現時点でのこの書類はただの要望書のようなものだ。既にそれ以上の行動を取ろうとしている壱心からすれば相手にするだけ無駄。興味をなくして次の案件に移る。

 それに応じて亜美が処理済みの書類を回収しに動いたところで彼女は壱心に声をかけて来た。


「あの、学制についてなんですが……先程処理した中にその件に関して平時存たいらのときひあり様より私的なお手紙が届いています」

「ん……? 内容は?」


 共に郵送物の分別をしていた壱心に亜美から書面が渡される。壱心宛に広沢真臣の暗殺に対する捜査依頼が幾つも来ており、九州にいるというのに何を馬鹿な……と壱心が思っていた矢先の出来事だった。

 暗殺された広沢とは違い、一昨年辺りに京都で壱心の手の者に暗殺から救われた平……横井小楠の名で知られる彼。彼は現在新政府の参与として通商貿易を中心に国内の経済発展を目指して大活躍をしているところだ。

 だが、その裏で教育関連にも興味を示している。史実で彼が「学校問答書」などを記していることが裏付けている。


 そんな彼が学制についてこちらにわざわざ壱心宛に書面を送り付けてくるということ。壱心は他の作業を止めるだけの価値があると見て亜美から受け取った手紙に目を通す。


(……何だこれ? いや、まぁ言ってることは分かるんだが……まさかとは思うがこれ……)


 書面に目を通し、訝しむ表情になった壱心。そんな彼を見て既に書面を読み終えていた亜美が尋ねる。


「……これはやはり、身を固るように。ということでしょうか?」

「いや、あの人はそういう狡っからいやり方は嫌いなはずだ……文字通りの意味で捉えていい、はず……なんだが。何だこれ……」


 明治の怪傑、横井から出された謎の依頼。その内実を確かめるために壱心は岩倉使節団を送るにあたって東京へと向かう帰りに一度京都へと向かうことを決めるのだった。



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