切り拓く者

「ふぅ……古賀は反省するように」

「全くです……」


 日が暮れ始める頃になっていた稽古場。土方は先に古賀と戦った八尋と共に既に席を外しており、この場には亜美と壱心のみが立っていた。

 もう一名この場に落ちているという表現にされた古賀に関しては気絶しており、彼らの声は届いていない。しかし彼らは気に留めることなく会話を続けた。


「さて、では戻って政務の続きを?」

「あぁ。彼がウチに来てくれるとなるんだったら助命嘆願しないと、表に出せないからな……」


 別室にて酒宴でもてなされているであろう土方のことを考えながら壱心は亜美の問いに答えた。土方の療養中、壱心が彼の説得のために動かしたのはその殆どが彼の感情に揺さぶりを掛けられる旧幕府側の人間。彼の神経を逆撫でするであろう新政府側には強い働きかけはまだ行っていなかった。それは受け入れ態勢についても同じことだ。


(攘夷志士からすれば新撰組は怨敵だからな……これは、説得に骨が折れることになりそうだ。まぁ、何とかするがな……)


 新政府側の重鎮は過激な思想で活動していた攘夷志士が多い。特に木戸孝允……幕末では桂小五郎と名乗っていた彼は新撰組が嫌いで仕方ないだろう。


(一応、和解まで行くにはステップを一つ置く必要があるな……本人が蝦夷共和国の陸軍奉行を名乗っていた頃の望み通り、北海道の開拓に送るか……)


 禊の期間と内容について予め当てをつけていた壱心は城に戻り次第その旨を現地にいるかつての部下に伝え、開拓使の一団に任命することにする。既に、蝦夷地の開拓環境が劣悪であることは政府内に知れ渡っているため、交渉次第である程度は手打ちと出来るだろう。


(まぁ、これまでの大規模な改革に文句も言わずに乗ってるんだからこのくらいは飲んでもらわないと底が知れるってもんだし、受け入れるだろ……)


 交渉がつく公算もある。日本における通常の為政者であれば、反発するであろう政策を受け入れ、積極的に実行しているのだ。それも私財を投じ、旧体制派の恨みを買ってまで。そんな協力者に対して私情を挟み込んで協力関係を崩すようなマネは……少なくとも、木戸はしないだろう。


(旧幕軍の首魁の一人として脱走の可能性があるとか考えるかもしれんが、あの人なら寧ろ脱走によって不穏分子を一掃できると考えるだろう……まぁ、自ら好んで言う必要もない。尤も、相手が納得いっていない場合に説得材料としてこちらから言ってもいいが……)


 大村に紹介されて何となくつかんだ木戸の人物像を思い浮かべながら壱心はそう考える。木戸を説得する目途はついていた。そうなれば今度は土方の説得が必要になる。こちらについても何となく程度の考えはあった。だが、それは実行するにはまだまとまっていないものだ。


(取り敢えず土方君には開拓使の経験を積んでもらって、将来的には占領軍の頭になってもらうとする旨の通達で何とかなるか……? それとも、対ロシア戦を意識した訓練をどうのこうの言った方がいいか……その辺は探り探りだな。実際、彼にやってもらうのはトウモロコシと甜菜の栽培をするための大規模な開拓と……出来れば、の範囲で酪農……)


 説得するにも現地であまりにも説明と乖離していれば反感を買いそうなので言葉を選んでおく壱心。壱心が土方へ尽力してもらおうと思っているのは福岡藩の開拓エリアとされた茅部郡での大規模なトウモロコシ農場を作らせるに当たっての開発だった。

 為政者としての業務とはいえ、土方……いや、武士階級の者たちからすれば微妙な案件だ。特にその生い立ちから武士に並々ならぬ意識を抱いている土方に対し、農業と酪農に専念するように言うのは酷なことかもしれない。


 だが、それを理解した上で壱心はトウモロコシを推す。理由は幾らでもあるが、壱心が特に気にしているのがペニシリン抗生物質……碧素へきそをアオカビの生体反応で作り出すにあたって重要になってくるコーンスティープリカーの存在だ。トウモロコシを少し特殊な加工をする際に生まれるそれは微生物の培養に非常に効果的な代物であり、ペニシリンに必要なフェニル酢酸などを豊富に含んでいるもの。これから壱心がペニシリンを量産するにあたって不可欠なものだった。


(ここまで説明すればまぁ、大事な代物を任されたと理解を示してくれるかもしれんが……流石にいきなりそこまで信用は出来んからな……)


 コーンスティープリカー単体であれば他所に漏洩しても大した意味を持たない。しかし、碧素ペニシリンの情報は出来る限り秘匿しておきたいのだ。そのために打てる手は打っておく。壱心は人類への愛でこの薬を作る気はない。あくまで、この国のために自分がいいと考えるルートを辿っているだけだ。そのルートに、抗生物質の存在拡散などは存在しない。


(しかし、情報を秘匿するにも臨床試験の期間も考えなければならないし、コーンスティープリカーは開拓後すぐに実用したいものだ。それを実現できるだけの収穫を得るには卓越した統率能力が必要になる……となると、やっぱり彼が適任だと思うんだよな。上手いこと丸め込まねば……)


 色々と思案する壱心。コーンスティープリカーの大規模生産に関しては既に計画が進んでいる。史実の福岡藩が開拓を求められた奥尻島・久遠の内、奥尻島の方を利用して工場を作るのだ。

 ただし、当然のことながら史実と異なるルートを歩んでいる以上、蝦夷地開拓に関してもこの時間軸では事情が異なっている。具体的に言うのであれば政府開拓地への積極的な協力が求められていた。しかし壱心はそれを逆手に取って土方を筆頭とした開拓団を送り、一大産地候補となっている茅部から久遠、奥尻へ輸送ルートを作ろうとしていた。表向きには家畜の飼料を作る工場として輸送を通し、実際に飼料としても使用するため、しばらくの間は怪しまれることはないだろう。問題になる可能性があるのは各藩での開拓が取りやめになり政府案件になってからだ。

 その間が勝負だ。短期間での勝負であるため、各工程も前倒し気味に話が進んでいる。工場については既に設計が済もうとしていた。後は、材料の目途がつき次第施工に移り、動かすだけだ。


「まぁ、やっぱり蝦夷地は土方君に頑張ってもらうしかないか……」


 かなりの強行軍になることを確認して壱心は思わず言葉を漏らす。亜美はそれに敏感に反応した。


「お悩みでしたらご相談を」

「ん……いや、いい」


 半瞬ほどの間で即断する壱心。いつものことなので亜美もそれ以上は何も言わなかった。しかし、たった今知り合った相手に対して過剰な信頼を寄せているように見える壱心を見て何も言わずとも何も思わない訳はない。


 後世に残された土方の物語を知っている壱心からすればそれほど疑問を抱かないが、今を生きている亜美の視点からすれば土方は先の戦いで殺し合いをした敵。

 そんな相手に壱心は裏から幾つも手を回し、果ては小栗忠順の伝手を辿って元将軍家家系図の端なれど、確と名のある御仁を動かして直筆の文まで書かせているという溺愛ぶりだ。


(……もしや、男色の気が?)


 亜美がそう思ってしまうのも分からなくはないレベルに達していた。そんな亜美の異変に気付いていない壱心は北海道について考え続けている。


(土方くんを納得させられるような役職に就けようと思ったら現地で念願の蝦夷地開拓ツアーを楽しんでらっしゃる坂本さんに文句言われそうだし……あの人もあの人でそろそろ満足して外遊に回って欲しいんだよな……あ、この世界じゃ外遊じゃなくて外談になったんだった……)


 しかし、難題から逃れるように壱心の思考は脇道に逸れていた。因みにだがこの外遊という言葉を外談に変えたのは言葉の響きで印象が変わってしまうことへの対処として壱心が打った手の一つだったりする。

 冗談のように思われるが、文字通りの意味で捉えてしまう人は考えているよりも多くいるのだ。それを表しているのがこの時代の血税一揆だったりする。こちらは護国税とすることが以前の大村益次郎との会談で進められており、何事もなければこのまま進むことになっている。


 と、ここまで進んだところで壱心はそろそろ中央政府が岩倉使節団を送り、国内情勢を安定させるために自分の仕事が増えることを思い出した。難題から逃れて別の問題に突き当たったのだ。


(と、取り敢えず今は土方くんの問題で……)


 いずれ訪れるであろう大問題を避けるために大局的な思考をしながらも目の前の仕事を片付けていかなければならない。同じような役目を負っている木戸が史実で早死にした理由を味わいながら壱心は一先ず、土方の歓待という名目で酒に逃げるのだった。






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