鬼たちの間
「よー飲むなぁ! ヨッ! 流石漢・壱心! 日本男児の意地を見せぇ!」
坂本龍馬の陽気な掛け声が騒がしい室内で壱心に向けられる。横浜の町の一角で顔合わせを行っていた一行は、既に挨拶を済ませて宴会に入っていた。
「ささ、どうぞ」
「Merci!」
料亭にいた美女……種を明かすのであればこちらも壱心の、正確には咲の手の者であるこの時代の日本美女からの酌を受けて喜ぶフランス人技師。その顔は過去にこの国の者が赤鬼や天狗のようだと称したそれのように真っ赤になっている。
対して、坂本に煽られて彼と自然に飲み比べをさせられているようになっている壱心は素面のような顔のまま咲から酌を受けていた。
「壱心様も、どうぞ」
「……咲、分かっていてやってるよな?」
「えぇ、勿論無料です」
(何もわかってねぇ……)
素面なのは顔だけ。確かに、普通の人からすればほろ酔い程度の感覚だろうが常に気を張っている壱心からすればこの少しの酔いですら嫌だった。
それはくノ一として生きる咲もわかっているであろうに、彼女は何故か上機嫌で壱心に酒をなみなみと注ぎ足すのだ。
(なんかこの場を止められるものは……)
酒を呷るついでに周囲を見渡してみる壱心。常識人の中岡慎太郎がいるはず……だが、彼は同じく常識人枠だったはずの安川新兵衛に絡まれていた。
使い物にならない。
壱心がそんな感想を抱いているとフランス人技師の男が咲の方にやって来た。彼はそのまま咲に近づくと告げる。
「Je suis trés heureux avec vous!」
「だそうです」
通訳なしで丸投げしてくる咲。壱心に言っているようには見えないが、咲は何故かこちらに振っている。取り敢えず、壱心は感想だけ返しておいた。
「何言ってんのか全然わからん」
「楽しんでいるらしいですよ」
「C'est trés beau!」
「壱心様と私がお似合いの夫婦に見えるとのことです」
(……? 本当にそう言ってんのかこれ……どう見てもこれは咲に言い寄ってる顔をしてるが……仮に咲の言う通りだとすればこいつ、言行不一致極まりないろくでなしなんだが……そんなのには色々と任せられんぞ……?)
疑問は抱くが、頭の回りが悪くなっている今の壱心では深い洞察も考察も出来やしない。因みに、壱心の勘の目は大体当たっている。ただ違うのは咲の話を何となくでも信じていることだ。この技師の男は咲と壱心がお似合いだとは一言も言っていない。
「……まぁいいや」
しかし、壱心は原因追求に走ることはなかった。それよりも気になる気配がこの辺りを動いているからだ。
「咲」
「……畏まりました」
壱心が感じ取った気配は外からの来た者。この気配の薄さは恐らく自身の手の者だろう。だが、内容次第では自分以外の誰にも覚られる訳にもいかない。そのため壱心が取った行動は
酒を取りに行かせるという名目で先をこの場から離し、
取り残される間にも坂本から酒を進められながら壱心は内心で考える。
(……本来ならこの料亭の間者に情報を渡し、料理の追加と共に届けられるようになってるんだが、そうじゃないってことはそれなりに大事なことが……)
その時、不意に壱心の酔いで温められていた頭が冷え込むような殺気が外を走り抜けた。酩酊していた安川が剣呑な目をした状態で顔を上げる。坂本、中岡も何かに気付いたようでアイコンタクトを交わしていた。
「……ちょいと厠に」
「あぁ、俺も行こうかなぁ……? よっ、と」
壱心が動く。それに追随する安川。だが、壱心はそれを制した。
「ん、新兵衛もか……じゃあこっちの厠に言ってくるからお前はあっちに」
「……んー、ちょいと酔い過ぎた。落ちるかもしれんからなぁ、俺もついてくよ」
「ハッハ、酔っ払いのお守は勘弁だ……」
立ち上がって廊下に出ようとする安川に対し、半ば強引に突破する壱心。だが、安川は自分の酔い具合と壱心の足取りを見た後に無言で壱心と逆方面へ進んだことから廊下で分かれることを承諾したようだった。
(さて……素直に行ってくれて助かった。さっきの殺気は咲のだからな……やばいな。全然面白くないが色々掛かってる……)
やはり、完全には酔いが抜け切れていないらしい壱心。だが、短時間のみの殺気は一種の暗号。他人に聞かれたくない話がある時のものだ。
「さてさて、何の話かねぇ……」
酒に惑わされ自分が思うペースでは歩けないもののゆったりとした確かな足取りで壱心は廊下を歩き出した。
(……そろそろ壱心様のところに報告が飛んでいる頃か……)
東京、江戸城周辺。
江戸と東京が混じり合ったその町のとあるお屋敷の中で男は一人、月を見上げていた。
月明かりに優男。葉桜が綺麗に入るように構図を取ればそのまま絵になりそうな光景。
だが、現実はそうもいかない。この場は背後から聞こえる喧騒によって支配されているのだ。
優男……元御剣隊、副隊長である八尋は現実逃避のために見上げていた夜空から地上に意識を戻してその後ろの喧騒に耳を傾けてみた。
「尊王攘夷を謳い、民衆を救うと大言を吐いて
「お前の感想など知らん。壱心様が雇うと言うのだから大人しく従え」
「えぇい、言葉の通じん奴だ……! 言っておるだろうが! 俺がどれだけの言葉を並べようともお前が理解しないからもういいと! 行動で示す! さっさと刀を持って来い! 腹を切らせろ! 武士として幕府に殉じさせろ!」
「武士を名乗るなら命の恩に報いろ。後、幕府は倒れたがこの国は生きているし、将軍家もこの国のために働こうとしている。お前のそれはただの我儘だろう? 仮にお前が武士を名乗るなら負けたのに命を拾ってもらったこと。敵だったというのに許されたこと。重傷だったところを救われたこと。先の主が託した願いをかなえること。この国を守る事……壱心様の下でやるべきことは幾らでもあるだろうが」
(……うん。まだ同じ話してる……あぁ嫌だなぁ……古賀さん、天然で煽りまくるから少し落ち着いたところで入りたかったんだけどなぁ……)
後ろの喧騒……元御剣隊隊長で、現在は新政府軍の陸軍中佐になっている古賀と
元蝦夷共和国陸軍奉行の土方の間で繰り広げられている舌戦を聞き取り、外に出た時と変わらぬ話に戻っているのを理解した八尋は苦笑しかできなかった。
(あー……キツいなぁ……無理なものは無理だと思うけどなぁ……まぁ、壱心様が来るまでつなげるだけ繋ぐか……それにしても誰に対してもあんな態度だから人の心を知らぬ鬼人だなんて言われるんだよあの人は……はぁ)
人狩と呼ばれた男は今、自身の部隊に自分基準の無慈悲な特殊訓練をつけていることから鬼人と呼ばれている存在になっている。元々狩のように殺しをやっていたことからつけられた二つ名が悪化しているのだが、当人は全く気にしていない。
そんな彼と言わずと知れた鬼の副長との間に割って入ることになる八尋。鬼畜な状況としか言えないが、壱心が来るまでという光明を頼りに彼は戦に身を投じた。
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