お雇い外国人

 さて、舞台は壱心の存する場所に戻って横浜の町。


「ハッハッハ、これで気兼ねなくタメで話せるのぉ? のう、壱心くん!」

「……龍馬さん、壱心が気にしなくてもその後ろにいる人の目が怖いんで自重してください……」

「何を、あんな美人の目なら幾らでも向けて欲しいもんじゃろ! 新兵衛も向こうじゃ相当……」

「勘弁してください!」


 ここは港から少し離れた外国人居留地の街路。そこに壱心と咲、そして西欧へと渡っていた福岡藩士の安川新兵衛や新政府参議の坂本龍馬、中岡慎太郎を筆頭とした一行はいた。港から徒歩でここまで移動しており、その間に列強に外遊していた者たちが帰国した当初の他人行儀な口調は既に砕け、賑やかな道中になっている。


「いや~戻って来るなりやたらと肩書が増えておって本にびっくりしたのぉ!」

「何度目ですかそれ……」


 ただし、賑やかな道中の内実はそこまで和気藹々とした雰囲気でもなかったが。主に話しているのが坂本。だがあまりにも雑な振りで基本的に彼が語りかけている壱心には届かず、その前に安川が回収してしまう。そのやり取りを眺めつつ中岡と壱心が情報交換をするというのが基本形のスタイルになっていた。


(……何か、友人が中間管理職の板挟みを上手いこと切り抜けようとしている姿を見ると何とも言えない気分になるなぁ……新兵衛にしてみれば何か言えってところだろうが……)


 苦労しているらしい安川を少し見て壱心はしみじみと思う。どうやら、壱心のことを庇うというよりも殆ど条件反射的に坂本の処理をしているようだ。

 そんな道中で色んな苦労をしたであろう友人の心境がわかっていながら、一緒に巻き込まれるのが嫌で壱心は話さない……


 ……というわけではなかった。壱心は壱心で色々と忙しくてそちらの対応をする暇がないのだ。その理由が、壱心と情報交換をしている最中の中岡……そして、彼が仲介している後ろにいる男たちだった。


「……それで、だ。この人がフランス人技術士のブリューナ。以前から日本に来ていたが、今回、正式に新政府に雇われるに当たって機材や技師を連れて来るためにフランスに戻っていた」


 中岡からジェスチャーで示され、話の中で自身の名を呼ばれたことに気付く髭面の男。彼はこれが事前の打ち合わせ通りだと理解したらしく、一歩前に出て壱心に発言した。


「Enchanté de faire votre connaissance. Wa・ta・shi Brunat.」

「……トゥレズゥルー。ジュ マペル イッシン・カツキ」

「! Est-ce que tu parles une le français?」


 無理に決まってんだろ。内心でそう思いながら壱心は咲に後は全て丸投げする。第一印象をよくするために少しだけ齧った程度しか把握していないフランス語では挨拶すら覚束ないのが当然という認識だった。

 坂本たちの会話を放り投げている壱心だが、彼を咎める者がいないどころか安川がフォローに回っている状況。

 そんな状態で壱心が何をしているのかというと、中岡から後の世でお雇い外国人と呼ばれることになる外国人技術者たちの一挙紹介を受けている最中だった。


 一先ず、名乗ってからは通訳兼秘書である咲を前に出す。亜美ではなく咲を連れて来た理由の二つ目がこれだった。咲の方が多言語を話せるのだ。


(理由が一貫してるから潔いんだよな……)


 フランス語ならある程度できるだろう。任せたと告げる壱心。だが、咲は快諾はしなかった。その代わりに恐る恐る告げてくる。


「壱心様、フランス語は追加料金になりますが……」


 恐る恐るとは態度だけだったようだ。少し呆れそうになりながら壱心は言った。


「いい根性してるなお前……後で払うからやっとけ」

「頑張ります」


 咲から請求を受けた壱心だが、それを承諾。そこで壱心はそういえばブリューナは英語が話せたな……ということに気付いた。

 だが、彼女は壱心からはそんなに金を取らないしある程度金を渡しておいた方が頑張ってくれるのでいいことにする。


 そんな二人のやりとりを見て終わったらしいと判断した中岡が口を挟んでくる。壱心に紹介したい人がまだいるらしい。


「……次行っていいか?」

「いや、そろそろ料亭に着くんで落ち着いて話をしようかと」


 落ち着く暇もなしに続けられては困るとばかりにまだ少しだけ距離はあるがそろそろ見えて来た料亭を指し示す壱心。安川と会話していた坂本が食いついた。


「お! もう着くのかの! いや~、色っんな国で色んなもん飲んできたが、やっぱ故郷の酒が一番じゃ! 飲むぞ飲むぞ!」


 坂本の食いつきによって中岡の紹介が止まる。思っていた以上に飛びついて来た坂本を見た壱心は少し後方を確認した。疲れ切っている安川の姿が見える。

 ややあって会話が切れたことに気付いた彼が壱心から視線を向けられていることに気付くと彼は顔を上げた。そして、周回遅れに近い返事を口から漏らす。


「あー酒か。いいね。飲もう……」


(お前のテンションは飲まないとやってられんと言う感じに聞こえるが……)


 壱心は安川の身を案じた。だが、内心は外に一切出さない。今度は紹介を受けているから忙しい、そんな理由ではない。ただただ標的になって第二の安川になるのが嫌だからだ。見なかったことにする壱心。これで安心……と思いきや、安川の苦労の代わりなのか、目の前に咲の姿が迫っていた。


「うわっ……何?」


 他人の気配を探知することに長けている壱心がこれ程までに他者を接近させてしまうという事態に珍しく驚く。だが、それを成し遂げた相手はさらに接近して壱心の耳元で告げた。


「……壱心様。あの男、言い寄って来るのですが……割引価格の追加料金では少々割に合わないので、代替案でいいでしょうか?」


 ブレない咲。彼女は己の欲に忠実だった。だが、部下の反乱を酷く警戒している壱心としてはあまり力で押さえつけると反乱分子が目覚めるかもしれないと一先ずの理解を示しておく。


「何? 何をするつもりなのかにもよるが……一応、暗殺はダメだぞ?」


 壱心の言葉に咲は勿論だと頷いた。


「……分かっています。それは最終手段として、今やるのは簡単に言うのであれば私が壱心様のお手付きだということにするだけです」


 だが、暗殺云々の物騒な意見の完全否定はされなかった。しかしその代わりに謎の話が咲から告げられる。

 しかも咲の言い方では壱心に提案の態を取っているように見えるが、彼女は既にブリューナに対して壱心の分からないフランス語で何か言っているようで、壱心にはよく分からないままに話が進んでいた。


「……おい、変なことは言ってないだろうな?」

「えぇ、問題ありません。壱心様と最初に交わした契約を遵守した上で、問題ない発言しかしていません」


 色々と引っかかる言い方をしてくる咲。だが、何を言っているのか分からないので壱心は咲の良心を信じて確認しかできない。


(……まぁ、契約遵守と自分から言ってくるぐらいだから虚偽の報告はしてないということに間違いはないか。咲がプッツンするとか、ブリューナの方が強引に迫って……いや、どっちにしろ咲がキレることになる未来しか浮かばん……まぁ、外交問題に発展するとか面倒なことになる位なら別にいいか……)


 坂本から口笛が。中岡から苦笑が。安川からは嫉妬の目が。そしてブリューナからは残念そうな溜息が届けられる中で壱心は色々と諦めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る