軍部への介入

 江戸の町が東京の町へと変わりゆく中。欧化政策でかつての景観を失いつつも人は変わらないものだ。壱心はそう思いつつ本来なら京を任せている咲と共に大通りから道を外れる小道の角にある工事中の現場を見やり、ついでに横目で麗人を盗み見る。通常ならば亜美と行動するの壱心だが今日、彼女をここに呼び代わりに亜美を彼の地に送り出したのは壱心と談話する相手が理由だった。


「……何か?」

「いや、行こうか」


 見られていることに気付いた彼女は流し目で壱心に反応する。見返り美人という言葉がまさに似合い、長い睫毛にエフェクトがかかりそうな程にいやに様になっているが、そのことには壱心は何も言わず歩き出す。周辺の音に負けぬように大声を出す大工たち。彼らの喧騒の間を通り抜け二人は少し入り組んだ道を進み続ける。

 その道の先はどんどんと人気が無くなりつつある道だった。無言の道中であることが気になったのか、それともただ不満を抱いたのか不意に咲が口を開き始める。


「明治の元勲が壱心様をお連れするというのにこんな寂れた場所に指定するとは、さぞかし京での一件を懲りたのでしょうね」

「……滅多なことを言うな。お前は……誰が聞いているかもわからんというのに」


 咲の言葉を掻き消すかのように歩みを早める壱心。ただの会話がそれなりに響くほど誰もいなくなり始めた寂道。そこに今日の面会客から指定された旅館の名前があった。暗殺を警戒する壱心たちは一応、周囲の気配を探ってみる。


(……ん? 五人……? 護衛にしては多いような……まぁ、新政府軍の大将ともなればこのくらいは普通とも言えなくもないか……)


 届けられた書状が指定する旅館の一室に常駐する気配は対話相手と自社より派遣した女性一名を除いて五名。ただの面会にしては多い気もするが、相手が要人であることや紹介したい何者かがいる場合のことを考えると納得できなくもない程度の数だ。何より、この程度の数では自身と咲がいれば何とかなる範囲。


「行くか」

「畏まりました」


 二人は共に旅館の暖簾をくぐり、中へと入っていった。




「おぉ、久しゅうございますな。ささ、中にどうぞ」


 中で待っていたのは史実での維新の十傑、初代兵部大輔の大村益次郎。明治政府における軍部の実務上のトップだ。彼の歓待を受けて壱心は大村の隣の上座へ案内される。


(……さて、表向きは先の暗殺事件への対応と奇兵隊脱退騒動の鎮圧協力に対する感謝ための細やかな催しということだが……この人がそれだけなわけないよな……それに、こっちとしても色々と伝えておきたいことがあるからねえ……)


 腹に一物抱えた状態で話し始める壱心と大村。まずは日本人らしく辞儀合いから始まったこの会談。最初の話題は当然、この会談の表向きの名目である大村襲撃への対応と脱退騒動鎮圧への協力に対する感謝の辞だ。

 荒ぶる国内では各地で暗殺やその未遂事件が起きている。また、新政府が掲げた理想と現実との違いに不平の声を上げて決起する士族も多い。自身が窮地に陥った際に助けてくれた礼に始まったこの話は今年の頭に虎ノ門にて江藤新平が暗殺未遂に遭ったことなどを肥料として会話が開く。


「国内の情勢はまだ安定しないが、困ったもんだのぉ」

「急速な改革について来れぬ者がいる証拠ですね……こればかりは時間に解決してもらう他、ないかと……」

「理解に感情が追いつくまでは時間がかかる、か……」


 さて、この辺りまでが前座の話だ。ここからが二人にとっての本題。国内情勢、そして急激な改革という言葉が出たのをいいことに大村は壱心に問いかける。


「国内の安定化については香月殿にも大いに尽力していただきましたなぁ。此度の藩知事就任に関しましてもそう。先の賊軍討伐に関してもそう……そういえば、軍部の長としてお尋ねしたいのですが……討伐戦で活躍された貴殿の軍。【御剣隊】と仰ったかな? 彼らの活躍には香月殿の手腕が欠かせなかったとか」


 口の端だけは笑みを形作っている大村。だが、その目は鋭い光を隠そうとして隠しきれていない。


「福岡藩のあの力はこれからこの国が一丸となって列強と渡り合っていくに当たって不可欠な力だと、そう思います」

「いえいえ、そんなことはありませんよ……天下に名高い【奇兵隊】を育て上げた方から仰られると背中が痒くなってしまいます」

「いやいや、ご謙遜を。私が実際に話を聞けたのは御親兵の一人だけですが……噂では彼らの内、誰に聞いても『香月閣下のお蔭』、そう答えたとか。ということはそれだけ特別な訓練を受けたということでしょうなぁ……」


 大村の圧力が壱心を襲う。「これからこの国が一丸となって」という言葉は藩内の機密を守ろうとする相手の退路を断つ言葉だ。並大抵の相手であればこの言葉を錦の御旗として政府の重鎮という圧力を持つ大村相手に敗北を喫すのが常道。


「それほど大したことではないですが……そこまで仰るのであれば詳らかにするのも吝かではございません。参考になれば幸いです」


 だが、相手がこの国を本当に一丸として列強と戦わせようとしている者であればこの話は渡りに船だ。壱心は簡単に口を開いた。だが、逆に大村が疑心暗鬼に陥ることになる。磐城の戦いでも蝦夷での戦いでも謀略の鬼と化していた壱心がこれほどまでに素直に応じるとは思っていなかったのだ。

 福岡藩より派遣された御親兵の中核である御剣隊、そしてそれ以外の誰もが戊辰戦争の活躍は壱心の手によるものと讃えるだけだったのは藩の機密に関わる情報を渡さないため。そう思っていたのが猜疑心の霧を濃くしている。


「ほぉ……教えていただけるので?」

「えぇ。まずは通常訓練の方法ですが……射撃の場合、人型の的を使うようにしてください。人間は無意識の内に同種の相手を殺すのを躊躇ってしまうので射線に乱れが生まれます。それを習慣で埋めてください」

「……ほう。かたじけない。して、少々待ってくれぬか? 覚書に認めておきたい」


 嘘か誠かは知らぬが、少なくとも今聞いた話は使えそうだと大村は日頃の習慣で秘書にメモを取らせる。次いで、彼女が壱心の手の者であることを思い出した。


(……書き終わり次第、回収して内容を確認しておくか……)


 自らのミスに気付くも聞きながら冷静に次の手を考える大村。相手が口を開こうとしているタイミング。疑念を抱かせるようなことをしてしまえば相手の答えにも影響してくる可能性が高いため今回はこのミスを呑むことにしたのだ。

 対する壱心は言いたいことが先行してしまっているのを自覚して新兵教育の内容からに切り替え、話の流れを修正する。


(相手はこの時代最高の兵学者……とはいえ、一応前提の確認からしておかないとズレが生まれるからな……)


 近代戦の基本となる散兵戦術において壱心に先んじて導入した大村相手だということで論理の飛躍を見せてしまう壱心。一応、秘書の方には咲のルートで仕込みをしているが、大村が別の者のメモを使用した場合はその効果は薄くなってしまう。しかし、すぐにその修正も必要ないことに気付いた。


 大村の飲み込みは流石後世に名を遺す天才だと言わんばかりだったのだ。メモなどあくまで補助。会話は要点を抑えた直球勝負。まるで鉄球で行うドッヂボールのようだ。互いに力量を必要とするが高速でどんどん進んで行く。


 話は既に射撃訓練からこれからの戦いの主戦法である狙い撃ち、それに適応した

陣地構築へと進んでいる。


「……これからは塹壕戦が主流になると思われるので特に陣地構築は力を入れていく必要があるかと」

「うむ……その役、個人的にはやはり農民が似合うと思うのぉ……そう言えば香月殿は徴兵制の導入はどう思われる?」


 捻じ込んでくるのは壱心だけではない。大村もこれから自身が行うべきだと考える施策に対しての意見を求めてくる。受け取ったら投げる。この短時間で既に話題は幾つも織り込まれ、そして決して本筋から逃れないように進んでいた。同席している者たちが口を挟む余地がない速度だ。


「賛成です。ですが、言葉と人を選んで行うべきかと。耳当たりの良い護国税などという言葉を使うなどしてですね……」


 史実の血税一揆を踏まえた上での壱心の発言。一瞬で相手の問いを呼んで返した言葉だが、恐るべきは大村の会話展開力だ。史実との対話というある種暗記のようなことを行っている壱心に対して彼は素で一から考えて会話している。

 その上で壱心が一度した話をすぐに理解し、壱心が時折前のめりになって起こす論理の飛躍も話を一段飛ばしているだけで議論にはついて来ていると判断しているからこその高速展開。寒冷地や熱帯地での訓練の必要性など壱心が話したかった事がどんどん流れていく。


(この人としては流れを絶えさせると情報を引き出せなくなるかもしれないと危惧しての事かもしれんが……丁度いいことだ。こっちからも話を誘導して要となる部分を出し切らせてもらおう……特に、日本軍にとって最大級の敵をどうにか……)


 そして、大村がそう・・であることを理解して壱心も突き進む。


「しかし、そこまで気を遣うことかの? まぁ、確かに血税という言葉は聞こえが悪いから避けた方がいいとは思うが……」

「えぇ。恐怖と不安というものはすぐに伝播するものですから……ただでさえ色々と貯め込んでいるのですから」

「ふむ、心には留めておこう……」


 少しだけ、言葉が切れる。その間に大村は旅館の食事に手を付けた。彼の大好物である豆腐だ。それを見た瞬間に壱心は動く。


「そう言えば、豆腐は脚気を遠ざけるとの噂がありますな」

「何だ藪から棒に……」


 今度の話の展開には流石の大村もついて来れない。だが、壱心にとっては重要なこと。そのまま突っ切った。


「いえ、近頃の民草が脚気の流行を恐れているのを思い出しまして」


 流石に少々無理があったとは自覚している。しかし、日本軍にとって最大レベルの敵である脚気は早い段階で手を打たなければならないと思うと気が逸ってしまうのも仕方ないとそのまま進む壱心。

 大村は戦う者たちには白米を腹いっぱい食べさせねばならぬという考えを持っている。壱心が主に戦った東北でもそれはそれは気にかけており「兵士が頼りにするのは米ばかり」と絶えず米糧のチェックをしていたほどだ。

 だが、それは明治三年より翌年にかけて流行する脚気の一因だった。脚気は過度の白米中心の食生活が引き起こすビタミン欠乏症。精米技術が発展する大正時代に結核と並ぶ二大国民亡国病となり、陸軍に甚大な被害を及ぼした病気だ。


「……豆腐が? ほぉ、それは面白い噂だ」


 自身の好物に新たな側面があるかもしれないという話を聞いて興味を示す大村。壱心はそれを好機として日本陸軍の創始者を通してこの問題にも切り込み始めた。



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