新たな始りへ

 1869年の春。戊辰戦争は終わった。そして、壱心にとって……いや、彼の出身である福岡藩、引いては日本国全体を覆うインフレ問題の火種となっていた太政官札贋造事件も時をほぼ同じくして収束に向かっていた。


 史実では全国的な廃藩置県を待たずして福岡藩の歴史に幕を下ろす役割を果たしたこの問題。その処罰は黒田藩当主、黒田長知ながともを罷免閉門(解職の上、軟禁状態)。大参事(現在の副知事、幕藩体制における家老に相当する)以下五名が斬罪という非常に重いもの。

 だが、福岡藩が雄藩となったこの時間軸では内容が比較的軽くなっていた。知藩事である黒田長知は罷免の上、30日の逼塞ひっそく(日中の間の軟禁)そして大参事であった加藤司書に罷免閉門が課せられ、勘定奉行ら二名が斬刑。

 加えて、福岡藩の反撃とも言える暴露によって鹿児島藩知藩事、島津忠義が30日の逼塞。会計方と勘定方、蔵方目付の斬罪が課せられた。


 ……と、これだけであれば史実に比べて軽くなったと言っていい問題。だが、事はそれで終わらなかった。


 1869年の夏に福岡藩大参事にて新政府で参与の地位についていた加藤司書が自宅で切腹したのだ。


 それにより、中央政府に動揺が走る。福岡藩が頭一つ抜けていたことが気に入らなかったという理由でその頭を叩き、頭の位置を整えようとしていたのが斬り落ちてしまったのだから当然だ。反福岡藩で結束していた者たちの中には離反する者、寧ろ福岡藩に同情的になり強権を振りかざす薩長に対して不満を溢す者などが出て来るようになった。後者の動きは特に市民の間で広がっていたようだ。

 だがしかし、その不穏分子は表に出ることはない。少しだけ現れるようになった程度の話だ。それだけ現政権の力は強かった。それでも、福岡藩に対するこれまでのような強い風当たりは存在しなくなったというのが現状となる。


 そんな現状にて、福岡藩の知藩事を罷免した新政府は世間の、とりわけ福岡の民たちが納得いく者を新たな知藩事として送らなければならなかった。

 史実では皇族である有栖川宮熾仁親王が就任することになったが、今回は他に適任がいるとして別の者が任命されることになっている。


 彼こそは明治維新の各段階において格別の功を誇り、藩士における賞典禄しょうてんろく(明治維新の功労に対して政府より与えられる賞与)が最高位の西郷隆盛の2000石、そして二番目に多い大久保利通、木戸孝允、広沢真臣の1800石に次いで多い1600石を与えられた維新の英傑。


 香月壱心。その人だった。


(やめてくれよ……)


 本人はこの様だったが。


 さて、冗談めかした紹介はさておき壱心が福岡藩知藩事となったこと、そして福岡藩士で最高の賞典禄を得たのは事実だ。時系列的に言うのであれば福岡藩知事となったのが1869年の夏で賞典禄の下賜が戊辰戦争が終了してほどない1869年の春。

 その両方とも壱心は一度断りを入れていた。まず、賞典禄の件では自分ではなく古賀を代表としたいと提言して回避行動に出た。福岡藩として動員者に対して報酬を払わなければならないため藩士の働きに対する報酬は受け入れるが、壱心個人への報酬は受け取らないというのが主な趣旨だ。これには壱心がこれ以上しがらみに囚われたくなかったという感情が反映している。

 上記の旨を婉曲に伝えた壱心の申し出。賞典禄については政府の資金難ということもあり本人の功績分の減額提案が素直に喜ばれた。少々腹の探り合いがありはしたものの、藩士第二位に位置する1800石だったものを1600に下げるというお達しがすぐに届けられることなる。

 だが、壱心が減額という形であるならば更なる減額を、と提案した際に新政府の態度は一変することになる。

 要するに、裏を勘繰られたのだ。命懸けで戦った者が自身の功を過少に申告するなどありえない。常識的な価値観が下した判断として真っ当なことだろう。また、壱心が立てた大功に対して本人が求める額が少なすぎると今後の人事にも影響してくるというのもあった。


 そんな折、夏に加藤が切腹。彼の遺言により結束した一部の福岡藩士、それから釜惣の働きかけによって動いた博多の豪商、戊辰戦争時に彼と行動を共にした者たちが動き出す。壱心にとって最悪のタイミングだった。


 福岡での動きが中央に伝わった時、彼らは壱心が何故賞典禄を減額しようと提案したのかを勝手に理解した。そして、忖度したのだ。


 結果が、生存する福岡藩士における最大の賞典禄と知藩事の地位。無邪気に喜ぶ壱心の側近たちを尻目に壱心は頭を抱えたくなった。


(是が非でもやりたくないという訳じゃあない。知藩事クラスになった方が色々と出来ることはあるからな……就任したからには役職を全うしてトップダウンである程度の改革はさせてもらおう……だが、明治六年までは待ってほしかった……)


 能天気な身内とは対照的に壱心の頭を過ったのは九州を襲う明治六年の大干害。太政官札贋造事件や金銀の海外流出、そして内戦に欧化政策での殖産投資という出費。そんなインフレパレード会場で民衆が最も気にしている主役である米価を更に高騰させる出来事だ。

 この干害は福岡藩……明治六年という時点では福岡県となっている地域に大きな問題を引き起こした。それは福岡県の民衆の内、凡そ10万人にも上る者たちが参加することになる大一揆、筑前竹槍一揆だ。欧米に倣って急激な近代化を推し進める新政府に対しての圧縮された不満に火が灯り、爆発した。


 史実では県ではこの一揆を収集する能力がなく、官舎が焼き払われ、県庁が打ち壊しに遭い、庄屋や豪商などにまで被害が広がり政府が軍を派遣する騒動になったこの問題。当然、自然気象を変える超能力も、列強の動きを止める軍事力も、インフレを問答無用で押さえつけるだけの経済力もない壱心は回避できない。


(あぁ、また回り道か……次から次に……はぁ……廃藩置県の時点で理屈捏ね回して投げたいところだが流石に命を賭して俺をこの座に推薦した加藤様を思うとそれも忍びない……)


 己の無力を嘆く壱心。筑前竹槍一揆を無視すれば豪商……つまり、釜惣や利三が運営する会社がターゲットになるだろう。それはつまり、壱心が開発中の事業に大きな損害が出るということ。ましてや藩知事は不満のぶつけ先に格好の地位。権力者は恨まれるのだ。無責任な信頼に応えなければ攻撃の対象となってしまう。


(藩だけで全国的なインフレに対処するなんてどう考えても無理だ……だが、何もしないわけにもいかない。取り敢えずは、干害に備えて備蓄米を増やす作業に……田中から屋稲とでも分家させて庄屋の真似事でもさせるか……)


 問題に対し壱心は本当に就任することになってから対策を取り始めている。今回はインフレの主役、米に対する対応だ。稲の品質改良などを任せている田中という側近衆を分化し、専門化させる。屋稲には農家の指導や米の備蓄、その他現行の米作に関わる備品を扱ってもらうことを決めた。

 壱心にとって不幸中の幸いは金をかけて作り上げた御剣隊と勇敢隊にはある程度の算術を仕込んでいたことだろう。損益勘定が出来るのは事業を任せるに当たって最低ラインの問題だ。加えて、御剣隊は壱心の熱心な信奉者が多く、統率が取りやすいという利点もあった。だが、その御剣隊も福岡に残っている者は少ない。


(私兵の保有が禁止され、ウチの大部分の藩兵が御親兵として連れていかれたからな……仕方ない。だが、残った者は多い……)


 史実通り、活躍した士族は殆ど御親兵として中央政府に取られていったのだ。他藩では平民出身で活躍した者との差別に不平の声が上がっている。現に、長州藩では奇兵隊が脱退騒動を起こし、大騒動となっている。

 最も、首脳部の失脚、そして事業拡大を続ける壱心の存在のおかげで人材不足に悩む福岡藩では残された者たちも算術や基礎的な教養さえあれば活躍の場が大いにある。そのため、戊辰戦争で活躍できるだけの実力を持つ御剣隊と勇敢隊の反乱にそこまで気を付ける心配はない。


(財政的に私兵保有は厳しい。その上、中央集権を行う最中ということで私兵への目も厳しい。だが、従業員の制限なんざあるわけがないからな……その辺、色々と活用させてもらうぞ……)


 恨みを込めた内心の呟き。優秀な部下を引き抜かれまくった後で大任を放り投げられたのだから当然だ。失った人材の穴を埋めながら一大事業拡大に努め、やっとの思いで明治六年の天災を乗り越えた壱心を襲うと思われるのが明治九年の秋月の乱。それを見据えての恨み節となる。

 確かに、活躍の場があれば多くの士族は不満を飲み込むはずだ。だが、それは活躍できる者たちに限った話。算術を小人の技、能力重視を忠孝の廃れと見做す人々は確実に存在し、彼らが黙って死ぬわけもない。


(寧ろ、軽く爆発してもらおうと思ってるがな……翌年の西南戦争にどんな影響が出るか分からないし……)


 壱心は昏い考えを表層思考に浮かべる。戊辰戦争の論考賞与に納得いかなかった不平士族の火種は全国にバラまかれている。それは圧縮すればするほど大火になるのだから、どこかで一掃する必要がある。

 とはいえ、今はそこまで先のことを考えている余裕はない。目の前に迫っている変えようのない天候の問題で壱心が今の地位から引き摺り下ろされれば捕らぬ狸にも程があるのだ。


(あー……キツいな……大干害への対策をすれば勿論、豊かな場になるんだが……そうなればその後の戦乱で狙われることになる……特に、不平士族からすれば自分に与えられなかった活躍の場、そして褒賞を渡された俺なんて狙いたくて仕方のないことだろうし……)


 どんな未来を考えても楽しくならない。ストレスが溜まり始めた壱心はもう何となくやるしかないと開き直る心境へと至り始めた。


「はぁ……俺一人が如何こうするにはこの辺りが限界か……だが、やらないというのは逃す魚が大き過ぎる……仕方ない。色々と周囲に仕事を回すか……」


 時は既に1870年の新春。翌年には廃藩置県を控える明治三年を迎え、妙な心境になっていた壱心は開き直りの笑みを浮かべてそう呟いた。そして、現在卓上にある書状を片付けるとたった今、彼方から届けられた別の書状を卓上へ広げて意地悪な笑みを浮かべる。


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