静かな終結

「簡単に言うのであれば、今回の贋造事件……薩長の奴らに借りは作らん。司法に介入することなく事を済ませ、奴らにも同じ道を辿ってもらう」


(いきなり何という事を言い出すんだこの人は……)


 最初に告げられた加藤の言葉に壱心は危うく口を呆けさせるところだった。この新政府が不安定な状況で、周囲に付け込ませる隙を見せるなど自殺行為。ようやく戦の上では落ち着かせることが出来たというのに……

 壱心は色々と言いたいことがあった。だが、一先ずはそれを飲み込んだ上で彼が続けるのを黙って聞く。すると彼はしたり顔で言った。


「言いたいことは分かるぞ壱心。無用な混乱を招くな。そう言いたいのだろう? だがな、これは無用なことではない。挙国一致と言いつつも尚も藩に拘り、互いに足を引っ張り合い続ける我らには必要なことだ」


 穏やかに告げる加藤。その内容はどの時代でも変わらぬ人の業に対しての皮肉が込められているかのようだった。


「俺はな、筑前藩に力を持たせ柱とすることで新政府を導こうと思っていた。だがそれが失敗した以上、強過ぎる藩をなくさねば組織が瓦解する。そう思っているのだ。筑前が潰れると次に動くのは薩摩だろう。奴らはこの国に迫る列強を意識しすぎるあまり国内を疎かにし過ぎだ。それを止めるには奴らの力も削がざるを得ん」


 加藤はそう言い切って壱心の反応を見る。彼は無言のままだった。


(その考えの是非がどうであれ、その考え自体が他藩の足を引っ張る事に繋がっているんだがな……)


 加藤の語りに壱心は内心で冷静な値をつけていた。だが、彼が見通して危惧していることは実際に起こりうることだ。現に史実では征韓論という形でそれが表面化し、引いては士族最大の反乱、西南戦争の切っ掛けとなった。加藤の言う通りに今の内から薩摩の力を削いでおけば西南戦争での苦労は減るだろう。


(それじゃあ困るんだよな、そんな削ぐなんて程度じゃ……)


 しかし、壱心はそれを受け入れない。胸中の呟きは家族にも聞かせたことのない暗く、ナニカを嘲るような声。壱心が計画の妨げとなる幾多もの人々を屠って来た時の声だ。それをひた隠しにしながら彼は曖昧な反応で加藤が描く画餅の話を続けさせる。


「我らと薩摩の上層に退場してもらい、陋習ろうしゅうを取り払おう。この国に新たな風を吹かせる……そのために、この身命を賭すつもりよ。俺の最後の大仕事というやつだな」

「お言葉ですが、導く者たちが消えてしまうことによって道を惑う者も出て来るかと。加藤様、この国にはまだ「そこでお前の出番という訳だ」……は」


 再考を迫ろうとする壱心の言葉を遮って加藤は告げた。彼にとってはここからが本題だ。


「お前が、次代の福岡を担うのだ」

「え……?」


 素で訊き返してしまう壱心。本当にちょっと何を言っているのか分からない状況だった。大功を立てているとはいえ、壱心は現在数え年にて24歳。この時代の感覚からすればもう立派な大人だが、藩の重役を担う年齢としては少々若い。

 だが、彼と同い年の時には長崎湾にて今も尚続く脅威であるロシアの黒船と藩の代表として渡り合った加藤はそれは違うと思っているようだ。


「その功といい、先見の明といい、武芸といい……反対する者はおらんだろう」

「いえ、流石に……」


 反対者がいない訳がない。寧ろ、賛成する者がどれほどいるのだというのだろうか。壱心は言葉を選びながらそう言おうとするが、加藤はそうは思っていないようで壱心の態度を不可解なものを見る目で見ながら告げた。


「何を謙遜するか。逆に問うが我らが居なくなったとして誰が藩を率いることが出来る? 今の重役の殆どが先の贋札を知らぬとは言い切れん。身の潔白を証明し切れぬ以上は誰になろうとも薩長に貸しを作るということだ。だが、お前は断固反対し続けた。証拠もある。俺がお前だと決めたのは能力だけではない。その辺も踏まえての事だ」


 ここまで言われれば加藤の言い分は壱心も多少は理解出来る。だが、今度はそこまでして薩長に借りを作りたくない理由が分からない。事がここに至る迄何が起きたのかさっぱり分からない壱心は重要事実の伝達だけで精一杯な現在の壱心の情報網の限界を痛感する。それでも嘆いてばかりではいられないので壱心はその辺りを知るべく少し探りを入れてみることにした。


「他の皆様は何と……」

「まだ話しておらぬ」


(……その辺りがあんたらが乙丑の獄で死んだ理由!)


 まさかの答えに喉元まで出かかった言葉を飲み込む壱心。何とかやんわりと矯正していた根回しの悪さ。それがここで大いに発揮されていた。

 だが、こうなれば逆に好都合。藩の行く末など例え明治の元勲とされる加藤とはいえ、一存だけで決められることではない。当然、大いに反対論が上がるだろう。太政官札贋造事件という不祥事の後始末をさせられることになるとはいえ、福岡藩は天下の大藩。その知藩事ともなれば誰もがなりたい地位。


「……そのような大事、私の一存では決めかねます」


 このように壱心があまり乗り気でないという態度だけで周囲のやりたい者が勝手に引き受けてくれる。加藤は壱心がやると言わない限りは引き下がらないだろうが消極的に引き受けるという態で行けば加藤は引き下がらざるを得ない。

 逆に周囲からはそんな舐めた態度の者をトップに据えられるかと咎められて引きずり降ろされるだろう。そう考えての事だ。忙しく未来予想を行いながら何とか彼にとっての不幸な未来を回避しようとする壱心を見て加藤は苦笑した。


「相変わらず慎重だなお前は……天下の大大名となれるやもしれぬというのに」

「なりたいだけでは務まらぬのが上に立つ者ですから。皆が望まぬというのにやると言うのは……」


 控えめな壱心だが、その行間のニュアンスを理解した加藤は言質を取ったとばかりに問いかけ直す。


「そのことが分かっておれば誰も文句は言わんだろうに……それはさておき、お前がそう言うということは、皆の推薦があればやるのだな?」

「……えぇ、まぁ……その折には謹んでお引き受けさせていただきます」


(まあ、無理だろうが)


 藩内、そして新政府側の心情からしてそんなことはないだろうと高を括る壱心。対する加藤は最期の大仕事を前に妙なテンションになっていた。


「そうか……引き受けてくれるか!」


 急にハイテンションになった加藤を見てこのままでは壱心がやる気満々だったと郷里に戻って吹聴して回らないと判断した壱心はすぐに釘を刺す。


「皆が納得すれば、という話ですよ? 他に相応しい人物がいらっしゃいますのでそちらの方々が辞退された場合の話です」

「……この俺を前にして十年前から相変わらずの物言いよ。まぁいい。お前が東京で賞典禄、そして栄典の授与や式典を終えて筑前に戻る頃にはその辺の話を済ませておこう」


 壱心が水を差したことによって不満げに、だがどこか楽し気に笑う加藤。彼は大仕事を終えたとばかりに茶を飲み干し、大息を吐く。壱心は本当にこの人分かってるんだろうなと思いつつ茶を新たに淹れさせた。


(まぁ、これで気が済んでくれたのなら……)


 思ったよりかは早く終わりそうだ。これならば亜美たちを待たせて参加すればよかったか……壱心がそう思ったところで加藤は口を開いた。


「ふぅ……これで思い残すことは……あぁ、後はお前がまだ身を固めていないことだな。女遊びもしないというのにお前は何故結婚しない」

「……今は国家の一大事ですから」


(次から次によくもまぁ嫌な話題を続けるつもりだこの人は……)


 再び説教をするときの不機嫌な様相になった加藤。その連撃を前に壱心は嫌な顔を隠し切れなかった。別に女嫌いというわけではないが、この時代の社会理念である結婚が互いの家を結ぶという考えが嫌だった。

 加えて、家には金髪碧眼の美少女が約一名うろうろしている。つい先程まで攘夷を叫んでいた日本国民からすれば受け入れがたいことだろう。更には家の中に壱心の側近である美女やその使いの者が入って来る。壱心に勧められる身分の女性ともなると彼女らの出自を知ってしまえば、自然と蔑視してしまう。そうなれば業務上の差し障りまで出てしまうのだ。

 更に更に加えて言うのであれば、壱心は暗殺の類を非常に恐れている。彼がこの世界で意識を覚醒してすぐに行ったのが過剰なまでの鍛錬であったことがそれを表しているだろう。


 ここまで言えばわかることだろう。現時点での壱心は微塵も結婚したいと思っていない。


 だが、この時代の考えからすれば壱心のような上級武士の24歳はもういい加減に初婚を済ませていなければどこかおかしい人扱いをされる時期。まして、見目も悪くなく明治の元勲入りを果たしかねない程の戦功を積み、一代で莫大な富を生み続けている壱心ともなれば相手に不自由することなどない。


(……やっぱり合流は無理そうだな。先に行かせておいてよかった……)


「俺も死後、安らかに眠りたいものだがのぉ……壱心、お前、いい加減に何か考えてあるんだろうな……?」

「さて……」


 どこか他人事のような顔をして壱心は柔らかく自らの死を武器として身を固めるように説教してくる上司をそんなに気になるなら意見を曲げて壱心の気が変わるまで生き長らえればいいと婉曲に伝えながら彼の言葉を流す作業に入るのだった。


 十年前、壱心の意識が覚醒して間もない初対面の頃とは比べ物にならない温かな空気。壱心が公私の都合で各地へ飛び回っていたことから直接会話することはそれほど多くはなかった。だが、会えば幾度となく国家の一大事から藩の行く末、様々なことを語り合った二人。


 ……これが壱心と加藤が直接話した最後の話だった。


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