蝦夷上陸

 後方を顧みる壱心の内情は兎も角として。


 寒さの中、青森を出発して乙部から蝦夷へ上陸しようとする新政府軍の目論見は見事に成功した。旧幕府軍は新政府軍が日本海側から来るとは予想しておらず、慌てて江差の防衛隊を乙部へと差し向けるが壱心が率いる甲鉄以下の軍艦からの砲撃によって敗走。

 加えて旧幕軍が防衛していた江差にも軍艦からの砲撃が襲い掛かり、彼らは江差より更に南へと撤退し、石崎村(桧山郡上ノ国町)まで後退した。


(ふむ。まぁ普通)


 陸軍が輸送船より蝦夷地へと上陸していくのを見て壱心は特に喜びもせずに内心でそう呟く。

 上陸し、旧幕軍が保持していた江差の拠点を奪った彼ら新政府軍はこれより江差で陸軍を三部隊に分けて箱館へ向かう三道……松前口、鶉山道口、木古内間道口をそれぞれ行軍する手筈となっている。


(さて……海軍を率いるのであれば史実通り、というより松前ルートしかないな。陸軍を助けながら進軍するとしようか……ただ、史実同様なら南進する新政府軍を旧幕軍は何回か撃退する……)


 その中で壱心は自分に出来ることを考えながら自らも上陸する準備を整える。


 史実ではこの後、新政府軍は苦境に陥る。陸軍たち第一陣が上陸成功した後、首脳部を青森港から輸送するために軍艦が撤退したことによって南方へと撤退していた旧幕軍によって何度か敗北してしまうのだ。


(初期は陸軍が苦戦。海戦では圧倒的優位……だが、現実には弁天台場攻略時に戦力分散して朝陽が蟠龍に沈められる失態を犯したんだったか……)


 自分がいる限りはそのような愚は侵さないだろうと思いつつも史実と異なる現実を考えると普通に沈められる可能性もあると思いつつ歩を進める壱心。そんな彼に重低音の声がかけられる。


「香月様。お足元にご注意を」


 声をかけたのは福岡藩より壱心について来た御剣部隊の部隊長、古賀勝俊だ。壱心と同様にこの時代では珍しい六尺にも届く大男。そして、この時代では珍しくもない、金で士籍を買った商人から生来の士族である家に養子として送られた男。

 生まれはさておき、巨体の彼と壱心が一緒にいるだけでも威圧感があるが、その名と活躍を知っている者、特に軍属の兵士からすれば威圧どころではなく恐怖すら覚える。


 尤も、船旅の間中壱心に同席し続け、現在も壱心の隣にいる者からすれば古賀の威圧感などないようだが。古賀が歩み始めた壱心の隣の逆側を歩んでいた彼女はしばらくしても古賀が何も言わないのを受けて痺れを切らしたようで尋ねた。


「……古賀さん、香月様に何か用があって来たのでは?」

「仕えるべき主に臣が会いに行くのに何の理由が必要か」

「任されている部隊があるのに放置するのには理由が必要ですが」


 寡黙な男が苦い顔で美女を睨む。だが、美女……亜美はすまし顔でそれを受け止めて揶揄するように尋ねた。


「貴方の今の姿は貴方を信じて任せた香月様の期待を裏切っているようにしか見えませんが?」

「このあま……」


(やるなら他所でやれ。俺を挟んでやるな……)


 周囲の兵士が険悪な雰囲気にざわめく。磐城の戦いで名を馳せた【人狩】古賀。畏怖と蔑称の意味が込められたその異名。

 だが、亜美もまた含みを持たせた【将下し】という名で多くの者に知られているのだ。

 そんな彼らが敵と戦う前に仲間割れをしている。それは壱心に従う新政府軍の者たちからすれば不安なものだ。だが、壱心の直属部隊たちからすればまたか程度の感覚になる。

 亜美も古賀も壱心に恩義を感じており、種類は異なれど互いの前の境遇を知っているため、我こそがと競い合っている。それは特殊な出自をしている壱心の部隊の中核メンバーであれば誰でも知っていることだった。


 壱心もそれを理解している上、その忠誠心を利用しているので止めることはしない。だが、自分がそのいざこざに巻き込まれるのは嫌なので話に水を向ける。


「古賀、状況は?」

「現在のところ問題ありません。敗走した脱走軍は艦隊に怯えて逃げ帰ったままです」

「そうか……」


(つまり、第二陣を輸送する間に活動するってことになるな……史実とも合致する内容だ)


 壱心は現状を聞いて未来を予測する。第一陣の時点で壱心は蝦夷に上陸したが、本来は史実同様に周囲の安全と拠点を確保した後に首脳部が出て来る手筈だ。


(ふむ……となると艦隊の指揮を執るのが俺な以上、脱走軍との小競り合いの指揮は執れないな……)


 新政府軍は既に史実と異なる軍が編成されているため、史実と異なる展開になることが期待される。だが、敵軍は後がなく死に物狂いで攻寄るため簡単な戦にはならないだろう。

 しかし後乗りで新政府軍に参加した軍はこれまでの政府軍の連戦連勝から相手を舐めてかかってしまっている。自分がいることで引き締められるとは思うのだが、艦隊を動かさなければならないためそうも言っていられない。


「古賀、俺は青森に戻るが功に逸って攻め入るなよ?」

「……勿論です」


(何だその間は)


 少し思ったが黙っておく壱心。江差に補給拠点を築くため、周囲を平定しに向かう程度であれば問題ないのだがそれ以上に攻め入り拠点候補地を失うようになればこれまでの功があっても台無しだ。


 古賀に再三の注意と周辺の状況を伝える壱心。だが、あまり感触が良くないのを受けて微妙な気分になりつつ壱心は黙って控えている亜美に告げる。


「亜美、脱走軍に紛れ込ませている部隊からの情報展開を」

「畏まりました」


 敵の不利を知らせることで無駄な忖度を招くのは嫌だが、これからの軍事行動を任せるに当たって知らせないわけにはいかなかった。万が一の際に必要な情報として敵部隊の編成と展開、それから拠点を教えておく。

 この情報は亜美の部隊から得られた情報に加えて壱心が知る限りの未来予知から推測される相手の編成内容を加えたものだ。


「江差方面の守備隊は一聯隊隊長三木軍司率いる迎撃部隊が三小隊で進軍中です。こちらについては後程、壱心様が艦隊を松前城方面に陽動することを合図として埋伏毒より偽報を流し、撤退させるので特に問題ありません……」


(そこまで言ったら叩きに行くだろうな……まぁそれくらいはいいが)


 壱心が作戦を取る以上は史実以上の勝利を手にしたい。その思いから進軍は前線と司令部の連携が緊密に取れるようになってからと考えているが、あまりに厳しく縛り過ぎて士気を下げるのも問題だ。


(前線と司令部の意見が噛み合っていないまま進んだのが今の主敵たる蝦夷共和国の敗因だ。それをこっちでも行う愚は侵させない……)


 相手の行動を読みながら壱心は亜美の話を聞く。箱館政権は制海権を取られていることを理解していたため、海岸線における新政府軍の侵攻を最も嫌い、対応しようとするだろう。

 そしてこちらも有利であることを理解しているため、そちらに注力する。勝つための定石だ。普通にやって負けることはない。


(尤も、俺が海軍じゃなくて陸軍なら別の手法を用いられたんだが……まぁ過ぎたことを考えすぎてもよくないな。海軍だからこそ出来たこともあるわけだし)


 例えば、アメリカより幕末・明治維新の日本を実見するために派遣されたイロコイ号の艦長、そして副長と知見を交わすことが出来たこと。これは後々に大きな影響を与えられる……


 そう考えていた壱心に亜美から声がかけられた。


「壱心様、報告は以上になりますが」

「あ、あぁ……」

「どうかされましたか?」


 少々悪いことを考えていた間に亜美の報告は終わったようだ。そうであるならば彼は手筈通りに動くだけ。


「後は任せたぞ。古賀」

「……お任せください閣下」


 何となく手筈通りには動いてくれなさそうだなと思いながら壱心は亜美を伴って船へと戻り青森へと戻る準備を整えた。



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