進軍
「……ということだ。海岸線の制圧に向かうぞ」
ほとんど休む暇もなく青森へととんぼ返りした壱心たちを見送った古賀は御剣隊へ案の定そう告げた。
「壱心様に注意を受けたのに、ですか」
当然、隊の中から反論が出て来る。この部隊は壱心を中心として出来ているだけで古賀への忠誠心は殆どないと言っていい。壱心から古賀に従えと言われているために従っているのであって、壱心に言われたことへ逆らう気は毛頭ない。
その辺りの隊員の心情は古賀もわかっている。仮に自分が隊員であったとしても同じように考えるだろう。そのため、言い方を変えた。
「江差守備兵がこちらに来ているという情報を聞かされ、それらが混乱、もしくは撤退するという攻めるに絶好の話を聞いておきながら動かないのはおかしな話だ。周囲の平定なら許されている」
「……まぁ、確かにそれくらいなら許されるやもしれませんが……」
あくまで拠点防衛の一環であると主張する古賀。確かに、攻めてくる相手が既にいて行動していると言うのであればそれを迎撃するのは防衛行為の一環といえるだろう。言い訳は立つ。また、仮に拠点にいないというのであれば戦いすら行っていないため命令違反には当たらないはずだ。
彼らは別に戦いたくないわけではなかった。寧ろ、手柄を立てることを欲してこの場にいる。言い訳が立つ状態で、責任を古賀に押し付けられる環境が整っているこの状況は彼らを戦いの場へと導いた。
「では御剣隊、二百名は南進するということで報告だ」
話がまとまったところで古賀はすぐに動き出す。副官の八尋を伴い蝦夷上陸部隊の現地責任者にあたる軍監の福岡藩士、建部小四郎の下へ向かった。彼は他の中隊長らより報告を受けているところで、古賀たちが来たのも同じように報告だと見て取り、彼らを迎え入れる。
「天下の御剣隊の報告か。まぁ心配はないと思うがどうだ?」
会って嫌見のようにそう告げる建部。彼にとって古賀が……もっと言うのであれば彼の後ろにいる壱心のことが苦手なことが嫌味の理由となる。
というのも彼、建部小四郎と古賀のケツ持ちである壱心の立場関係が大分拗れているのだ。
建部小四郎は福岡藩大組の建部武彦の息子であり、本来の地位的にも、年齢的にも壱心より上だった。少なくとも、彼らが幼い頃はそれで通じており、相応の対応は受けていた。
しかしながら、明治維新の最中で壱心が大功を立て続けたせいで壱心は新政府内においては彼より上役。そうでありつつ藩内では壱心の生家である香月家に配慮して壱心は特別な枠組みを組まれている。
福岡藩では基本的に親子勤めは弊害が多いとして避けられていた。だが、ここまで戦果を挙げている壱心を放置してはおけないと特例扱いで異見役という職を新たに作り、彼をその奇妙な職に任じた。この異見役は身分に関わらず藩の一大事を語る役職という名目で作られたのだが……その内実が作った者たち以外には今一わからない職で、基本的には藩の重役との会議に参加して意見するのが主な仕事ということしか不明なのだ。そのため、重役や会議の参加者以外の者からすれば壱心は扱いに困る存在になっている。
加えて、現在の壱心の性格自体が小四郎が知る男とは異なっており扱いに困っていた。少なくとも、良い感情は抱いていないが敵対するのは絶対に嫌。それが今の彼の心情になる。
そんな複雑な心境で、古賀から受けた報告とそれに続く言葉に建部は当然の様に難色を示した。
「出兵? 少し待て。上陸したばかりだろう? 兵には休息が必要だ」
当然の様に止めに入る建部。古賀は噛みつくような表情で何か言わんとし、逡巡する。だが、古賀があまり喋ることに向いていない性格であり、古賀に喋らせては無用の軋轢を生むと判断した八尋が割り込んだ。
「確かに休息は必要ですが、間隙を突かれ拠点を失う恐れを見過ごすわけにはいきません。休息は賊軍の北進を挫いた後に行いますので許可を願います」
「……陣替えをするにもだな、各藩との調整が……そもそも、そういう話があるのならば香月殿から先に話があって然るべきでは……つい先程までここにいたというのにだな……」
「許可を」
渋る建部に迫る古賀。内心で舌打ちしたい気分になる建部だった。下級士族とはいえ生来より武士である八尋はまだしも、古賀は士族と血縁関係のない、金に物を言わせて地位を買った商人の子。そんな輩の言うことを聞きたくないのだ。
建部は新政府の意見に賛同して軍属しているわけではなく、ただの成り行きでここに居る古い考えの人間。商人の出である古賀には身分の差をわきまえろと言いたいところ。だが、新政府は身分ではなく能力を重視する事を各所に求めて公布しているため表立って怒鳴りつける訳にもいかない。
まして目の前の男は磐城の戦いで人狩として名を馳せた野蛮人。そして何より、もしもこの男が壱心に告げ口をしたら。そう考えると嫌な気分になってしまう。
「……許可を求めるならそれ相応の態度と説明があるだろう」
「その通りでございます。香月閣下よりいただいた情報を仔細にお伝えいたしますのでご理解のほどよろしくお願いいたします」
古賀とこれ以上話すくらいなら八尋から丁寧な説明を受けた方が精神衛生上いいと建部は八尋に説明を受ける。古賀は特に口出しもせずに目を閉じてこれからの戦いに思いを馳せていた。
江差沖。青森へと引き返している最中に松前方面行軍する怪しい小隊を見つけた壱心は甲鉄の艦上で双眼鏡を使い、敵の正体を確認しにかかった。
「亜美、見えるか?」
「 ……しばしお待ちください。葵の御紋です。間違いありません、賊軍です」
亜美はしばしスコープを覗き込んだ後に端的に答えた。彼女は壱心を上回る人外染みた視力の持ち主で、視力のみならず視ること全般に優れている。それを利用して狙撃の名手として【将下し】の名をつけられているのだが、今はさておく。
(俺が知らないところで道内を新政府軍が動いているっていうのもおかしな話だ。当然と言えば当然なんだが……)
敵軍がいるのはまぁいい。彼らには彼らの都合があって然るべきだし、その動きは読んでいたため事前に対応はしてある。そこまで読んでいた壱心が気になったのは彼らがそこにいることではなく、その編成だった。
(……少なくないか? 三小隊で、大隊にギリギリなるかならないか程度だと話を聞いていたんだが……あれは、100人いればいいとこ、小隊の最低限の編成に見えるぞ……? 斥候? いや、それにしては大規模になる。流石にそこまで余裕はないはず……)
史実とのズレを目の当たりにして壱心は目を鋭くして考えこむ。賊軍の毅然とした兵列は彼らの数を分かり易くしており、見間違いというのは考え辛い。
だが、あの程度の人数では江差奪還など出来るはずもないのが壱心の考え。何か奇策があるのか……壱心は更に考え込む。
(尤も、この段階において奇策を講じたところで……兵力の彼我の差は相手の方が嫌という程理解しているはず。兵力の分散は各個撃破の的。これは何時の時代も変わらぬ兵法の初歩だが……)
この時点ではそれほど大規模な展開をしていないため、相手に兵力分散を強いる条件もあまり見当たらない。確かに、太平洋側から上陸すると見せかけていたためそちらに兵力を集中させるのは分かる。だが、そちらに兵を回してただでさえ少なくなっている日本海側の兵を防衛でもなく
しかし、時間もない。甲鉄の艦長を務める長州藩の中島が隣にやって来て指示を待っている。
「閣下、万事手筈通りに進んでおります」
「あぁ、流石ですね……わかりました」
自分より十も年上の部下に愛想笑いと共にそう返しておく壱心。将の動揺は兵に容易く
疑念には蓋をした壱心は指揮官として部下に不安を与えない振る舞いに戻ると事前の手筈通りに艦隊を進める。
(……紛れ込ませた部隊をもっと上手く活用できないとな……結構な人を使い、金も費やしたのにこの様では……)
今後の課題を考える壱心。彼はその後、薩摩の春日丸へ様々な交渉をした末に壱心を自藩寄りの人物にしようと彼を長州藩が率いる甲鉄へ移した首謀者との会話に努めることになる。その中で彼は今後の成り行きについて考えるのだった。
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