宮古湾海戦

 不本意ながら箱館戦争に参加することが決まった壱心。彼はその前哨戦となる宮古湾海戦への備えをさせていた。潮風が強く、身に染み入る寒さの中で白波が寄せては返す港から壱心は薩摩藩の赤塚源六が艦長を務める新政府軍の軍艦、春日丸を見ながら黄昏る。


(まぁ、どうせやるなら勝ちたいし……ここで無駄に被害を受けて人材を減らしても……んーある程度は調整したいところだが……)


 藩閥が新政府にとって後々の禍根となるのは間違いないので圧倒的優位な藩を作りたくない壱心はそう思いながら佐賀藩を多少磨り潰しながら戦うべきか悩む。


(……ただ、あまりに露骨だと後で恨まれて後々の禍根になる……大体からして、福岡藩の軍艦がないのに俺が指揮官という非常に恨まれやすい編成。万が一軍艦を取られでもすれば俺の身が危ういどころか政府にとって最悪の事態だってあり得るしここは完勝で終わらせるべきか……)


 負ける気はさらさらない壱心。海軍戦力でも陸軍戦力においてもこちらが勝っている上に相手は血気盛んに出て来るのだから後はどう料理するかが問題なだけだ。

 そう考えていると壱心の視線の先にふと気になる自分と同年代程度に見える美男子が見えた。


(……あれは……砲術士官の……もしかして?)


 壱心が気になる相手の素性を確認しようと考えたその時、不意にこちらに向かっている気配を感じ取って壱心は少しこちらに向かっている人物がいる方向へと進んで場所を変えた。

 そこに現れたのは壱心の部下である亜美だった。側近兼スナイパーとして連れている彼女がここに来たのはどうやら何らかの情報を掴んでの事らしい。大体の見当は付きながら壱心は彼女の言葉を促した。


「どうした?」

「壱心様、山田湾方面にアメリカ国旗とロシア国旗を掲げた不審な船が入港したとの情報です」

「あ、そっちが来たか」


 壱心は思考を中断して今後の展開を考え始める。参考とするのは史実の展開で考える対象は旧幕軍の動き。


(資材も少ないというのに本拠地から出て来てこちらを通過し、わざわざ山田湾に行ったということは史実通りのアボルタージュでいいのか……?)


 壱心の予想では旧幕軍は史実通りの展開に移ると考えた。アボルタージュとは旧幕軍に同行した元フランス海軍の士官候補生の提案した作戦で、接舷を意味し、敵船に乗り込んで拿捕する強襲作戦だ。


 史実通りであれば相手がこの作戦に使用する艦艇は三艦。回天と蟠竜、そして第二回天と名を改められた高雄丸だ。ただし史実では蟠竜が嵐によって回天と高雄と逸れてしまう。それでも彼らは機を逃してはならぬと回天と高雄で作戦実行。

 陽動によってこちらの軍を混乱させた状態でこの時点で日本唯一の装甲艦である甲鉄を奪いに突っ込んで来た結果、奇襲には成功する。しかし、船の高低差などによって飛び込むのを躊躇っている間に体勢を立て直した新政府軍によって撃退されるというのがこの戦いのあらましとなる。


 ここで、壱心は現在の状況を確認した。


(……アメリカ国旗にロシア国旗となるとこの時間軸でも蟠竜は仲間外れなんだな……まぁ、史実通りの嵐ってほどではないけど昨日は微妙に時化てたしな……)


 強めの潮風を受けつつ沖ではそれ以上なのだろうと壱心は考える。現状、史実通りに相手が攻めてくるような状態にはしてあるのでこのまま行けば史実通りに翌日の夜明けに相手が攻めてくることになるだろう。


「さて、と……じゃあ亜美は参謀殿と艦長クラスの面々に出来れば集まるように伝言させてから俺の指揮下に戻ってくれ。これからまた戦争だ」

「畏まりました」


(あ、件の砲術士官とちょっと話をするのを忘れた……この戦いが終わってからでいいか……)


 海戦を前に壱心は周囲と連携を図るべく私事を後回しにして亜美を伴い兵棋室へと向かう。







 壱心が亜美から報告を受けた翌日の明朝。正体不明の艦隊が宮古湾に侵入する。今回の気象条件では史実よりは少しだけ賊軍に優しく、史実とは異なり高雄(第二回天)の機関を壊すことなく二隻が同時に向かって来た。


「さてと、盛大に揶揄からかってやりますかね」

「香月閣下、不謹慎ですぞ?」

「これは失敬……では、手筈通りに」


 半信半疑の目を向け、年下の上官に何とも言えない気分を味わっているであろう春日丸の艦長、赤塚源六に窘められながら壱心は前を見据える。


(一番強い殺気が身近から発されているのは何とも居心地が悪いな……)


 福岡藩兵が多数在する輸送船飛龍ではなく、薩摩藩の春日丸に乗船している壱心は苦笑しながら近づいてくる船影を睨み……そして相手が叫ぶよりも先に大音声で怒鳴りつけた。


「ァアボルタァァージュッッ!!!!!!」

「~ッ!」


 振動が、近くに居る者の肌を揺さぶるほどの怒鳴り声。これを合図として新政府軍が慌ただしく動き始める。どうでもいいことだが、これをやると壱心は翌日まで嗄れ声になる。だが、喋れないわけではないので耳を塞いでいたのに頻りに耳の周辺を気にしている赤塚に告げた。


「手筈通り、東の岩場に追い詰めてください」

「あ、あぁ……って、フッ! 閣下、アレをご覧ください!」


 ぐずぐずしてる暇があるならさっさと行動に移せと思いながらも何やら笑い始めた赤塚を少し睨み、彼の指を辿ってこの時代の軍艦の砲撃可能距離である約二海里先の敵を見据えて……何とも言えずに苦笑した。


「奴ら、閣下の声を味方の指示と勘違いして旗を変えておりますな……こうなれば疑う余地はありますまい」

「閣下の神算鬼謀はまさに人知を逸脱しておりますなぁ!」


 手と口を動かしながらも掌を返した諸将並びに兵士たち。彼らの尊敬の眼差しを受けて壱心は仄暗い感情を塗り潰す曖昧な笑みで謙遜しておく。


(……止めてくれ。俺じゃない。俺はただ反則してるだけだ……唾棄されることはあっても褒められるような……)


 心内で強く感じてしまった劣等感に思わず強く奥歯を噛み締めるが、今は自分の小さな拘りなど気にしている場合ではないと無理矢理押し殺して思考を打ち切り、目の前の敵を睨みつける。


 ほぼ同時に、壱心が乗り込んで警戒していた春日丸から敵襲を知らせる空砲が打ち上げられ、新政府軍は一気に動き出す。


「ハハハ! 見てください艦長、奴ら尻尾巻いて逃げ出してますぞ!」

「何を笑っておる! 逃がすな!」


 一気に慌ただしくなった海上。既に列島側である湾内の南から西に停泊していた軍艦の砲撃が始まり、敵船は北東へと逃れていく。

 その時だった。西側から追撃を開始していた甲鉄から逃れようとした回天を避けるために舵を切った高雄の進路が宮古湾の東側、重茂半島側に非常に寄り始める。


「よっしゃぁ!」

「高雄が死地に落ちたぞ! 狙い目だ! 追い込め!」


 歓声を上げる新政府軍の士官たち。それもそのはずだ。宮古湾の東側が急峻な岩場や岩礁が発達しているのは測定済みなのだ。

 座礁させ、拿捕することが容易な状況。南側から追撃していた艦隊たちの多くが手柄を得ようと我先に高雄に群がり始める。


「……まぁいいか」


 結果として回天への追手が少なくなっているのを見ながら壱心は息をつく。この状況から負けはないだろうという判断だ。


(……回天の方は一応、甲鉄と丁卯、それから飛龍が向かってるから深追いさえしなければ何とでもなる。後はここで高雄を綺麗に手に入れられればいいんだが、追い詰め過ぎて自沈させるなよ……?)


 勝ちを確信した時程脆いのは知っている。だが、この状況で負けるのはよっぽどのアホなのでそこまで気にしていられないと戦後処理に頭を使い始める壱心。その直後、高雄の動きが止まり、砲撃が命中する。


「座礁したか。あがりだな」


 史実の高雄は宮古湾に入る前に作戦失敗を覚って逃走し、逃れ切れずに座礁。その後敵の手に渡るのを嫌った旧幕軍で高雄の艦長であった古川の手によって燃やされた。だが、現実の高雄は敵地のど真ん中で座礁し、砲門を向けられている中でどうしようもなく新政府軍によって拿捕された。


「後は増田さんたちがどうなったかを後で聞くとして……ちょっとこの戦いで影響を受けたとされる次代の天才に会いますか……相手の良い芽を潰し過ぎて後々に変な影響が出ると嫌だし……」


 海軍参謀で現在は甲鉄に乗って回天を追撃中である増田のことを考えながら壱心は更に後のことに想いを馳せる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る