戦の合間に

 宮古湾海戦で圧勝した後、制圧前進するには天候条件が悪すぎることから壱心たち新政府軍は青森で足止めされていた。

 足止めされて暇を持て余した彼らは遊びに興じ始めている。陣内で流行っている遊びは1868年に日本に本格的に輸入が始まって流行していたトランプだ。新政府軍が保有する艦隊の外に海外から兵の輸送のために雇った商船などの持ち主が遊んでいるのを見てちょっとしたブームになっている。

 やっているのは18世紀から19世紀にかけて欧米で流行したファロというゲームで要するにトランプを用いるルーレットに似た数当ての賭け事だ。


(……カモられてるなぁ……)


 亜美によって通訳された外国商人の頭のいい人なら勝てるし別に頭が良くなくとも運が良ければ勝てるという言葉を信じて試しにという形で入り、そこで接待的なプレイを受けてじわじわ絞られている海軍の面々を見ながら壱心はそう思った。

 因みに彼はその超人的な動体視力で商人側のバンカーが行っているイカサマを見抜いて利用することで勝ち過ぎない程度に勝っている。


「あーっ! またそっちに出た! お前さっきも右に来ただろ! 右じゃなくて左に出ろよお前!」

「次に三が来たら今までの負けが取り戻せる……! 三来い、三……!」


 熱中している面々を尻目に壱心は福岡藩の大商人である釜惣から届けられた文に対する返信をしたためておく。内容は福岡藩のとある行為に関する物と彼が本来やりたかった農業政策、そしてとある人の動向についての話だった。


(……この辺は結構変わると思ったんだが、まぁ現時点では内政に手を付けてないから仕方ないと言えば仕方ないか。パワーバランスも歪に育ったしな……)


 藩内で行われている行為についての釜惣からの暗号文を誰にも見られないように確認しながら本人は苦笑のつもりの獰猛な笑みを浮かべる壱心。現時点では周囲に見られていいものではないため、すぐにそちらについては仕舞った後に自分の事業について確認を開始する。


(こっちは順調と言えば順調だが……チッ……こっちでも金がねぇ。思わず今切るべきではない俺の最高カードを切りたくなる程度には金がない……何とかなるはずだが、薩長に加えて福岡藩が政治の中枢に入り諸藩が入り乱れて大所帯になり過ぎている今、どうなるか……)


 無駄に重役に据えられ、これ幸いと政治の内部に糸を張り巡らせている壱心の耳に入る情報によって彼に焦燥感が募る。一部については壱心も織り込み済みで行動しているため仕方のないと割り切れる。

 ただ、新政府の最大の悩みの種である貿易赤字、外貨の問題についてはそうもいかない。史実から考えると大丈夫だとは思うが、歴史に介入している以上、史実通りとはいかないのが当然だと壱心は認識している。

 この貿易赤字に加えて味方として戦った藩には当然ながらその戦費の負担や褒章を払わなければならない。それが旧幕府の借金を引き継いだ新政府軍に大きな負担となっているのだ。

 このように出て行くものが多い新政府だが、入って来るものはそれに反して旧幕府よりも少ない。政情不安から国が揺らぐことのないように民への負担を軽くしなければならなかった。


 様々な問題を考えながら今後のことを考える壱心。それに対して目の前の者たちは賭け事に興じて何も考えていないように見える。腹立たしさを覚えるが、人付き合いを考えると飲み込むだけだ。


(何より、突っ込んでじゃあお前がやれと言われるのが非常に困るからな……)


 本心を飲み込んで壱心はその書面も仕舞っておく。そして壱心はこちらに意識を向けている男の相手をすることに決めた。男も壱心の用事が終わったらしいというのを受けて席を立ってこちらに向かっているのが見える。


 口火を切ったのは男の方だった。壱心より若く、身の丈六尺もあり、鍛え上げて筋骨隆々になっている壱心と並ぶと非常に小さく見える美形の青年士官。


(……うわ、本物が来た。やっぱり無理だ、逃げたい)


 彼が来たのを見て後ろめたさを感じると共に席を立ちたい気分になる壱心。だがしかし、この状況でいきなり席を離れた方が相手にとって思うところを残すのではないかと考えるとそれも出来ずにただそこに留まった。


「閣下、調子はいかがでしょうか? 随分と勝たれていたようですが」

「ん……まぁまぁだな」


 ぶっきらぼうに返す壱心。だが、会話が成立したと見た男は愛想よく笑いながら壱心の隣に座る許可を求めて来た。壱心は内心で困りながら許可を出す。


(あー……どうしようか。亜美か誰かが来れば口実にもできるが、基本的にあいつらには今通訳を任せてるから来ないだろうし……)


 困り果てる壱心。どうもこれから壱心が起こす行動によって運命を曲げてしまう可能性の高い歴史上の人物に対しては負い目を感じてしまうのだ。例え、それが今の彼らにとって何のことかわからなくても、だ。


 その思いが目の前の歴史上の偉人……今、壱心の目の前で名を名乗っている彼、後に国外にまでAdmiral東郷と自身の名を轟かせ、東洋のネルソンと称された男から壱心が逃げたい理由だった。


「失礼させていただきます。閣下、お飲み物などはいかがされますか?」

「……水で」

「畏まりました。閣下に水割を。それと私には熱燗を」


 ナチュラルに壱心には酒を持って来させる東郷。龍馬や安川、それから新政府樹立の際に共に宴会に参加した者たちの喧伝によって酒豪として知られる壱心に気を遣ったのだろうが、普通に有難迷惑だった。


(偉人のエピソードとかはこうやって作り上げられてるんだろうなぁ……)


 諦念めいたものを覚えながら取り敢えずそれを飲んでおく壱心。全部飲むと新しいのを用意されるので少しだけ残しておいた。尤も、彼の知人には少なくなっていると言って増やす輩が多いのだが。

 今回の東郷は違ったようだ。彼は世間話を切っ掛けとして壱心と話したいことがあったらしい。壱心が後ろめたさから言葉数少なくなっているのを見てあまり会話に乗り気ではないと見て取り、早急に本題に入った方がいいと判断した東郷。

 彼は今の賭博における壱心の勝ちから先の宮古湾海戦の勝ちに話を繋げて本題へと最短距離で向かった。


(成程……これが東郷ターンか……)


 さして面白くもないことを考えながら壱心は問われたことを心内で反芻する。


(何でアボルタージュが事前に分かったのか? か。まぁ普通に未来から来ましたとは応えられないな……適当に言っておくか)


 心のままに壱心は適当に口を開く。


「……一言で言うのであれば、事前に所属不明の艦隊がいると知っていた。これは俺だけじゃない。陸軍参謀の黒田さんも知ってるはずだ」

「それは、知っています。ですが、閣下はこちらにいらした時点で賊軍が接舷攻撃を仕掛けてくると仰ったそうではありませんか。その理由を聞きたいのです」


 食い下がる東郷。若かりし頃はお喋りな性格だったと聞くが、果たしてその通りの様だった。壱心は説明が面倒なのでそれっぽいことを言って逃げることにした。


「俺がもし賊軍で、生き延びるために戦うのではなく勝つために戦うとしたらそうせざるを得ないと考えたまでだ。制海権を取りさえすればこの戦いは容易にひっくり返る」

「なるほど。では何故、閣下は接舷攻撃を選ばれたのでしょうか?」

「何でも人に訊くな。自分で考えろ」


 拒絶にも近い言葉。階級差があるこの状況でそれ以上の追撃は許されない。壱心は割合酷いことをした自覚がある中で何となくの罪悪感を覚えつつ付け足した。


「東郷砲術士官。あの奇襲はどうだった?」


 どうだった? と訊かれても現実には壱心によって実施以前の問題で破壊されている。だが今、東郷の目の前で自分でもそうせざるを得ないと考えた作戦だと壱心から告げられているのだ。戸惑う東郷に壱心は勢いで持って行った。


「奇襲は意外性によって成功する。そうせざるを得ないという状況に相手の主導で持ち込まれた時点で奇襲に成功はない。それは予見されている襲撃だ」

「はい」

「加えて、単独の奇襲だけによる全体の勝利はない。意外性は持続しないからな。対応の暇を与えないこと。それが重要になる。例えば、今の問答のようにな」


 最後にふと思いついたことを言って本人は曖昧に……だが、周囲からすればにやりと笑い、立ち去る壱心。しばし怒らせてしまったのかと考える東郷だが壱心の表情と発言内容を時間経過による脳内処理で勝手に理解していく。


「……なるほど。これ程の奇襲の達人でしたら予測も容易ですか……いやはや、何とも立派な兵法でして……頭ではなく体で理解させてくれましたなぁ……」


 彼の優れた頭脳が勝手に導き出した答え。その途中式はこの会話を戦いとするのであれば壱心が接舷攻撃を選ぶと予測出来た理由を引き出して説明させることが出来れば東郷の勝利、出来なければ壱心の勝利と置き換えたところから始まる。


 当初の優勢は東郷。核心をつく奇襲は見事に壱心を捉えた。それに続く会話でも壱心を攻め続けることに成功。彼も口を開いていた。だが、突如襲って来た壱心による拒絶の一言で東郷はを完全に止めてしまった。

 その空白地点へ畳みかけるように混乱をもたらす言葉。加えて反撃を許さない勢い。相手の質問を予測した上で意外性による奇襲を強行、その上、対応の暇を与えなかったことは奇襲における壱心の考えた発言内容に一致する。

 最後に、壱心が勢いを緩めて相手に理解させるだけのいとまを与え、東郷の問いに自身の奇襲に関する知識を比喩的ひゆてきに答えるという形で会話全体での敗北を自ら迎えたところまで含めて、だ。


 当然のことながら、壱心はそこまで考えて発言してはいない。


 それでも本人の意思など知らない東郷は壱心の振る舞いに完全敗北したと笑いを抑えられない。これは嫌な笑いではなくどこか爽やかさを感じるものだ。


「……大きいですなぁ。今は届かない。ですが、いつかは……」


 将来の大きな目標が出来たと東郷はしばらく静かに笑い続けた。その過大評価を壱心が知るのはずっと後のことになる。


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