過去のやり残しと未来への思い

「いぃっしぃぃんッ! おんし、なんてことをしてくれたんじゃァッ!」

「……来ると思ってましたよ」


 1868年9月、江戸。今は東京と名を改めた日本の中心にて。その1月ほど前に磐城の戦いで大きく名を上げた男がそこにいた。

 尤も、彼は自分が動いたわけではなく、自分は米沢藩に北越戦争の状況を流して同盟の空気を悪くした後、仙台藩と相馬中村藩を中心として散々に離間の計を行っただけで史実以上の疑心暗鬼に陥った彼らが自滅し、後は薩長筑の面々が個別撃破してくれただけだと訳の分からないことを言っているが。


 それはともかく、その武名を上げた男……黒田藩の奥羽先鋒総督府内参謀、香月壱心は現在、後に幕末の英雄に殴られようとしている寸前の窮地に立っている。


「一発殴らせろ。いや、殴る! 歯ぁ食いしばるんじゃな!」


 そんな偉くなった彼が戦線から離れてやっているのはアポイントを取って出合い頭にこちらを殴りつけて来た男の拳を顔で受けることだった。反射的に威力を殺したのはご愛敬だが、この一発は受けるのが壱心としてのケジメだ。


「龍馬! 気は済んだか! もういいだろ!」

「このッ……ワシはおんしを信じとったんじゃぞ! それを、それをなぁっ!」

「えぇ。こちらもあなたのことを信じていました。そのため、このような処置を取った次第にございます」


 涼し気な顔でそう告げる壱心。目の前にいた男は史実では明治を迎えることなく死んだはずの男たち。


 ―――坂本龍馬と中岡慎太郎だった。



「……磐城では豪い活躍だったらしいな」

「いえ……アレは薩摩、長州らの協力あってのことです」

「ふん……到着して1月で徹底抗戦派だった中村を降伏させ、続けざまに仙台藩も落としておいてよく言う」


 興奮していた龍馬を抑えた中岡は出された茶を飲みながら壱心にそう告げる。彼は壱心側の人間であり龍馬の療養中、彼に戦乱を気取らせないために立ち回っていた人物だ。その隣で龍馬は不機嫌さを露わにして無言で座っている。

 茶を飲んで口を湿らせた中岡は拗ねた子どものような態度を取っている龍馬に一度目を向けた後に曖昧な笑みを作りながら続けて壱心を見て頭を下げる。


「こうなるのは予想出来ていたがわざわざ時間を作らせて悪いな……会津の戦いもあっただろうに……」

「まぁ、坂本さんに今後活躍してもらう必要があるというのは新政府内のお偉方にも理解してもらっていますし、あの戦いに関しては私よりりたがっているが多いですからね……」


 京都守護職を担った会津の松平容保。京都の治安維持のために奮闘した彼らへの新政府の恨みは強く士気が高い。

 また、上の考えとしても幕府への高い忠誠心なども相まってそう簡単に相容れる仲ではないという判断からそれを許しているのが現状だ。壱心が出たいと言えば喜んで許可を降ろすだろうが、別に代わりは幾らでも居る状態になっている。


 そんな状況から、壱心は一部の者たち以外には行方不明、もしくは死者という扱いにされていた龍馬へのコンタクトを取りに来ていた。


 当の本人はたいそう不機嫌だが。


「ふん、ワシをまつりごとから遠ざけておいて今更必要などとよく言えたものじゃのぉ……? え? 本当は要らないと思っておったんじゃないか?」


(拗ねんなや……)


 色々と思うところはあるだろうが、思いっきり態度に出さなくともいいだろうと思いながら壱心は中岡を見る。彼は苦笑していたが何も言うつもりはなさそうだ。


「その件に関しては申し訳ないですが、坂本さんの理念とは異なる道を行かせてもらいました。ですが、問題はこれからです。この国を列強の食い物にされないためにあなたの力が欲しいんです」

「ふん……違う道に進んだんじゃろ? なのにおんし、これ以上ワシに何をさせる気なんじゃ? おう? ワシの道がのうなっとるんじゃが? どうする気じゃ?」

「国を富ませ、強くします」


 拗ねたように懐疑的な目を向けていた坂本だが、壱心の断言に対して少しだけ目を鋭くして彼の話を無言で促した。


「この国が列強の食い物にならないための方法は、軍を強くすることが不可欠。ただ、軍だけが強い歪な形になれば硬けれど脆い国になります。柔よく剛を制し、剛よく柔を断つ。剛のみではいずれこの国は破綻するのが目に見えております」


 外交に必要な力として壱心は剛として軍事力の行使等のハードパワーを、そして柔に経済的なソフトパワーを挙げて龍馬を見据えながら壱心は説明を開始する。

 ただし、この時の彼は坂本を見ながらも別の物を見ていた。即ち、彼の持つこの時代のモノではない記憶だ。

 かつて、この時代からすればまだ先の時代に起こる第二次世界大戦は経済を壊され軍事力に寄った歪な形になってしまった国たちが引き起こした。

 そして、この日本国も軍事費が大きな負担となっている状態で経済状況を改善すべく同時期に無謀な戦争に参加することになる。結果として負けた後は今度は軍の保有を認められず経済力のみで外交を行わざるを得ず、舐められ続けて最後は……


 そこで、壱心の脳裏に急激に疑問が浮上して来た。


(そう言えば、俺が知識として知っている日本はすべて過去の話だけだ……俺はどんな時代に……?)


「そんなことは分かり切っとる。で、ワシは壱心くんに何をする気で、ワシに何をしてほしいのか聞いておるんじゃが?」

「ッ……そうですね。前置きが長くなりました」


 しかしその疑問を考えている時間はない。今は目の前のことに集中しなければならないのだ。壱心は思考を切り替えて今度は意識して会話を再開する。


「私はこの国を海洋国家として舵を切らせ、列強とは違う形で彼らと渡り合おうと考えております」

「海洋国家ぁ? なんじゃそれは」


 興味を持ったらしい龍馬に壱心は海洋国家の概要、そしてその国家が取るべき戦略を語り始める。


「海洋国家とは周囲を海に囲まれた環境から他の地域の影響が及びにくく、また分かり易い国境があることから同国内の団結が維持できる国です」

「ほー? この国は今、思いっきり列強の影響が来てる上、大きくは旧幕府と新政府の間で、あるいはお上と民の間でも。小さくは壱心くんとワシの間の団結すら崩れそうな状況じゃがのぉ。ま、続けて」


 揶揄からかうような龍馬の発言を流して壱心は続ける。


「この国の利点は、海が天然の城壁となり外敵の侵入を防ぐこと。そしてこちらから他国に出る際に他国の領土を踏むことなく移動できることです。その利点を最大限に活かすためには制海権を握ることになります」

「また新しい言葉を出す……もっと分かり易く言ってくれんかのぉ? で、制海権とはなんじゃ?」


 まだ地政学という学問分野の内、海洋戦略の大家であるマハンがその著書『海上権力史論』を出していないこの時代。シーパワーやランドパワーなどの言葉を説明するのに壱心は四苦八苦することになるが、大体の概要は時間をかけることで龍馬も理解してくれたようだった。


「ふーむ……その海上の交通要衝……チョークポイントじゃったか? それを抑えることで貿易による経済力。同時に海軍拠点をそこに置くことで本国防衛の軍事力を手に入れるのが基本戦略、か……」


 龍馬は壱心の話を聞いて頷いた。確かに、交通要衝を抑えることで得られる利点は大きい。経済で言えばその地点を通らないことで遠回りしてしまえば人件費や燃料費などの費用が嵩んでしまう。また、軍事的にも時間がかかるということは対応が後手に回ってしまうということだ。押さえない理由はないだろう。


 理屈は分かった。だが、そう簡単に列強がそういう地点を取るのを許してくれるかどうか。それが次の問題となる。それに対する壱心の答えは簡単なものだった。


「今ならまだ押さえられます」

「何故じゃ?」

「ここが極東の地だからです。兵を派遣するには遠く、占領を維持するには現地人が強く、利権を独占するには商売敵が多い。今なら、警戒の薄い今であれば欧米の主要なアジアへの入り口と化している上海ルート、そしてアメリカがアジアへの道として、ロシアが太平洋の道として新たに開拓しようとしている朝鮮へのルート、両方を抑えられるんです」


 思わず熱がこもる壱心。今、彼が話している計画は彼がこの世界に意識を根差してから温めていた計画の骨子となる部分だ。この国を強くする、そのために彼が考えた中で最も効率がいいとされる方法。実現を夢見て奔走を続けたものであるから思いが籠らないわけがない。


「そうか……ふむ、慎太郎、どう思う?」

「うん? 俺か……俺は初対面の時に忘れ物をちゃんと探して届けてもらったからなぁ……今更、少しだけ拾うことはない」

「何を言って……あ! おまん、そういう事か! お前がワシの一番の敵だったんじゃな! おい!」


 意味深に笑う中岡に龍馬は全て気付いたと怒って見せる。だが、それは次第に笑みに変わり最後は呵々大笑に呑まれていく。


「あー、そういうことじゃったかぁ……ワシとしたことが気付かんかった……あぁもういいわい。で、話は分かった。この国が他の国の戦略を左右する大国家になるなんてぞくぞくする話じゃのぉ。こんな面白い話に乗らんワシじゃないぞ? これから君はワシに何をしてほしいんじゃ?」


 協力的な笑顔でお道化た様子になる龍馬。この日の夜は長く……話題も尽きず、日本の未来を思い描く楽しく熱い一日となった。



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